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 トーラス帝国の四大都市の一つで、北西部の要とも言われるアラーザミアには複数の闘技場が存在している。

 その中でも最も大きな物は、上級剣闘士の対戦や、大会等の特別な催し、或いは人間対肉食獣、人間対魔物と言った特殊な対戦等に用いられる中央闘技場だ。

 ごく一部の例外を除けば中央闘技場での戦いは処刑と同義である為、特に下級の剣闘士達には酷く畏れられる場所だった。


 次に大きな物は、ほぼ同じ規模の物が都市の東西に一つずつ。 

 単純に東闘技場や西闘技場とも呼ばれており、主に中級剣闘士の対戦に使用される。


 上級用、中級用とくれば、当然下級剣闘士用の闘技場も都市内には五つあり、毎日多くの対戦が組まれ、毎日誰かが命を散らす。

 興行師も仕入れた剣奴に死なれるのは損失だが、それでも観客は本物の戦いと、何より死に様を見に来てる。

 故に時には、戦いの最中の偶発的な死ばかりでなく、昇格の見込みもなく、使い道のない剣奴を処分する対戦が組まれる事もあった。

 そして今、僕が観戦している対戦も、そうした処分戦の一つだ。



「ハッハーッ、随分と粘るが、粘るだけじゃ、逃げるだけじゃ勝てねえぞぉ!」

 ゲラゲラと笑う剣闘士は、処刑人のバットゥーザ。

 僕と同じく悪役だったり中級への壁扱いをされるバットゥーザだが、彼はこう言った処分戦も回される事が多い。

 確実に対戦相手を屠れる実力は勿論だが、観客の嗜虐心を満たす、無惨で救いのない殺し方を心得ているからだろう。

 バットゥーザは僕以上のプロで、他の剣闘士からは僕以上に嫌われる人物だった。


 だがまぁ、バットゥーザは別にどうでも良いのだ。

 今日僕が見に来たのはバットゥーザではない。

 同じ中級への壁であるバットゥーザが僕との対戦を組まれる事はまずないだろうし、あったとしても別に負ける気はしない。

 何時もの様に殺さない様に気を付けながら戦うのは無理だろうけれど、万一バットゥーザと戦う様な時にそれを求められる筈はないだろう。


 それよりも僕が見に来たのはその対戦相手。

 今まさに、処分の為にバットゥーザと戦わされているタイロンと言う名の剣闘士だった。



 僕とタイロンの関係は、別に知人や友人と言う訳じゃない。

 寧ろ、きっとタイロンは僕を恨んでいるだろう。


 タイロンは奴隷の剣闘士ではあるが、南方から連れて来られた蛮族ではなく、れっきとしたトーラス帝国人だ。

 別にトーラス帝国人の剣奴が物凄く珍しい訳じゃないけれど、彼はその中でも少し変わった経歴を持っていて、元々は貴族の私兵をしていたらしい。

 仕事で大きなミスをしたのか、或いは賭博や女に入れ込んで身を崩したのかは知らないが、兎に角タイロンは成り立ての剣奴としては高い実力を持っていた。

 そんな実力者だったからだろうか、タイロンは周囲の下級剣闘士達を見下して共に鍛錬しようとせず、一気に中級、上級へと駆け上がろうとする。

 そしてそれを阻んだのが、中級への壁たる僕だったのだ。


 タイロンは確かに剣の腕はそれなりに高かったが、中級を抜けて上級に至るには到底足りない。

 特に鍛錬不足による、スタミナの少なさは致命的である。

 それにもう少しばかり下級で鍛錬を積んでくれれば、タイロンの持つ正規に学んだ剣技を見て、興行師の抱える下級剣闘士全体の質も向上すると、そんな考えもあった。

 だから僕は、

「フン、その程度の腕で私に勝とうとは片腹痛い。しかし久方ぶりのベルガラート流剣技の相手はそれなりに楽しめた。次はもう少し鍛錬を積んでから来るのだな」

 なんて風に嘲笑って、タイロンの中級昇格を阻んだのだ。


 別に今でも、その時の判断を間違いだったとは思わない。

 実際にその後、タイロンはそれまでと打って変わった様子で鍛錬に精を出していたと言う。

 己が得意とする拠り所の剣技で、僕に上回られたのが余程悔しかったのだろうと、興行師は笑っていた。

 ……のだけれども、その鍛錬中に問題は起きる。


 と言っても僕が知るのは鍛錬中に問題が起きた事だけで、実際に何があったのかは知らない。

 ハードな鍛錬で身体を壊したのか、鍛錬中に事故があったのか、或いは他の下級剣闘士が何かをしでかしたのか。

 興行師は鍛錬中に問題が起きたとしか言わなかったから、それ以上を追求する権利は僕にはなかった。


 結局タイロンは左足を壊し、碌な戦いが出来ない身体となってしまう。

 それでも単なる素人が相手なら、片足が使えず、踏み込みや踏ん張りが出来ずとも戦えるかも知れない。

 だが剣闘士であるタイロンの相手は、無様な敗北が死に繋がりかねない剣闘士なのだ。

 当然ながら必死になって戦うし、タイロンの弱点が左足だと知ればそこを攻める。

 やがて勝ち星を上げられなくなってしまったタイロンは処分の対象となり、今、あそこに立っていた。



 ベルガラート流剣技、二の剣、返し切りなら、今のタイミングでバットゥーザの手首を切り裂けた筈。

 でも左足の踏ん張りが効かないタイロンに、ベルガラート流が得意とする返し切りは放てず、逆に手傷を負わされる。

 バットゥーザの表情が喜色に歪む。

 本来はそれなりの実力を持つ剣士を嬲るのが楽しいのだろう。

 一層の勢いを増したバットゥーザの攻撃がどんどんとタイロンを追い詰めていく。


 そしてやがて、

「ああああああああああぁぁぁぁっ!? 腕がっ、俺の腕があぁっ!!!」

 嘗てはベルガラート流の剣技を放ったタイロンの腕が、ザクリと皮一枚を残して断たれ、だらりとぶら下がる。

 勝敗は既に決した。

 けれども、これからが本番なのだ。

 だから僕は、目を逸らさない。


 錯乱して喚き散らしていたタイロンの叫び声が、止まる。

 バットゥーザの刃が、腕と同じくタイロンの首を皮一枚残して切り裂いたから。

「ヒヒッ」

 残虐な笑みを浮かべたバットゥーザがタイロンの胸を蹴り飛ばし、地面に転がった身体から首がずれ、噴き出た血が闘技場の血を赤く染めた。

 敢えて首を斬り飛ばさない、バットゥーザの悪趣味な演出。


 大きな悲鳴と歓声と、様々な感情が入り混じった声が闘技場に降り注いでる。

 今この瞬間が、この闘技場で今日一番の盛り上がりを見せたタイミングだろう。

 僕は目を、逸らさない。



 今でも、僕はタイロンの昇格を阻んだのは間違ってなかったと思ってる。

 別にバットゥーザだって間違った事はしていないのだ。

 判断を下したのは興行師で、バットゥーザはその判断に従っただけ。

 その判断にしても、タイロンが勝ち星を上げれなくなったからこそ下された物だった。


 でも、それでも僕は、この結末を決して忘れはしない。

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