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 ルッケル・ファウターシュ男爵、つまり僕が闘技場に立つようになって、もう一年位になる。

 思い返せば最初の頃は色々と戸惑いもあったが、もう随分と慣れた。

 誰かに傷を負わせる事も、もちろん僕が傷を負う事も。


 名前の後ろに男爵と付いてる通り、僕はいわゆる貴族の一人だ。

 ただ僕の属するトーラス帝国には、貴族といっても色々と種類がある。

 ……色々って言っても三つ程だが。


 その一つ目は領地を持たず、帝都で役職に就いて政務を回す法衣貴族。

 法衣貴族の収入は爵位に応じた貴族年金と、就いてる役職に応じた手当で安定した生活が送れるそうだ。

 もちろん彼等は彼等で、日々の仕事や宮廷政治と忙しく過ごしているのだろうけれど、安定した収入があるというのは、やはり羨ましい物である。


 二つ目は帝国が戦争で勝利して得た支配地、特に皇帝の直轄領となった地域を治める派遣執政官。

 彼等は代理で領地を治める身だが、独自に軍隊の指揮権を持ち、税収の数%を己の物とする権利を持つ。

 借り物の領地ではあっても大幅な裁量があり、いざとなれば帝国本土からの支援があるという、これまた妬ましい存在だった。


 最後の三つ目が、元より自前の領地を持ち、古くから帝国に所属して税を納めて支え続けているが、困った時に助けて貰える訳でもない、いわゆる領主貴族だ。

 尤も帝国本土内に領地があるだけで安全が得られているのだから、それが充分なメリットである事は理解している。

 けれども前者の二つの扱いに比べると、思う所はどうしてもあった。

 帝国の根幹を支えるのは、我ら領地持ちの貴族であるとの思いもあるが故に。

 ちなみに領主貴族でありながら自前の領土を大貴族に譲渡し、大貴族からの報酬を受け取って法衣貴族のように仕える道を選ぶ貴族家も、決して少なくはない。

 独自の領地経営とは、それ程に厳しく難しい物なのだ。


 そしてまぁ、この流れなら言わずとも伝わるであろうけれど、ファウターシュ男爵は家柄ばかりはとても古い、五つの村を領地とする領主貴族である。

 貴族と言っても領地が田舎村ばかりなので然程に豊かではないけれど、堅実な経営で長年に亘って領地を維持してきたファウターシュ男爵家。

 けれどもその堅実な領地経営が傾いたのは、帝国を襲った大規模な冷害のせいだった。

 真夏にもかかわらず雪が降り、作物が駄目になる事が三年も続く。

 何でも北の大山脈に住むとされる霜の巨人達が、夏に目覚めたのが原因だったとか。


 実に迷惑な話である。

 霜の巨人達にだって、人間ごときには察せられぬ事情があったのかも知れないけれども、何も三年連続で夏を冷やさなくても良いだろう。

 戦争で得た南方の支配地を持っていなければ、あの三年で帝国自体が傾いて居たかもしれない。


 冷害が一年で終われば、珍しい事もある物だ。

 起きてしまった事は仕方ないと諦めもできた。

 二年で終われば、苦しみに呻き声を上げながらも顔を上げ、次の年の収穫を目指しただろう。

 でも三年は無理である。

 ファウターシュ男爵家自体は家に伝わる財を吐き出せば耐え凌げるが、領民達が次の年を生き延びるには、もう家族を奴隷として売りに出すより手がなかった。

 実際に他の貴族領では、二年目三年目の冷害をそうやって何とか乗り切った所も数多いと聞く。

 だがファウターシュ男爵家は、長年苦楽を共にした領民を見捨てる事が出来ず、借金して買い漁った南方から運ばれる食料を領民に配り、その一年を耐えたのだ。


 といっても、父、先代のファウターシュ男爵には返す当てがあったのだろう。

 何せファウターシュ男爵家は、家柄ばかりは古い貴族家だ。

 初代皇帝が建国する以前から付き従い、功を成して貴族となったファウターシュ男爵家は、それなりに広い伝手を持っている。

 そのまま父が健在であったなら、時間は掛かっても借金はいずれ返せた筈だった。



 そう、筈だったのだ。

 心労か、弟を産んだ際に身体を壊して亡くなった母がうっかりと迎えに来てしまったのか、それとも無関係の病なのかは不明だが、父、先代のファウターシュ男爵はある冬の寒い日に、胸を抑えて倒れてしまう。

 幸い……、否、不幸にも、命はとりとめたものの父が意識を取り戻す事はなく、まるで人形の様に口に含まされた物は飲み込むけれど、出す時は垂れ流しの肉の塊になってしまった。

 こんな風に言えば、父親に向かって何て言い草だと思われるだろうか?

 しかしせめて、僕が『借金はどうやって返すの?』と聞いた時に『お前が心配する事じゃない』なんて風に言わずに方法を話してくれていれば、話はこんなにややこしい事にはなっていない。

 だから多分、僕は父を少し恨んでいるのだろう。

 こうして、僕は齢十六にしてファウターシュ男爵家を継ぐ。

 自ら引退を決意できなくなった父から僕が貴族位を継承した方法は、あまり言いたくないけれど。


 借金ばかりが残ったファウターシュ男爵家にそれをどうにかする方法は、器量の良い妹を富豪の嫁にでもくれてやるより他にはなかった。

 あぁ、いや、妹は生まれ持った魔力も高いから、それを明らかにして爵位の高い貴族に嫁がせるって手も、……なくはない。

 貴族は高い魔力を保有する事をステイタスとするし、それが子に受け継がれる可能性だってある。

 だがそれは兄として、僕にはどうしても選べない道だった。

 前者は、別に平民が駄目って訳じゃない。

 妹が望んで選んだ相手なら、平民だってかまいやしないし、幼い頃から共に過ごす譜代の家臣の誰かが相手だって別に良いのだ。

 彼女自身が、本当に望んだ相手なら。


 貴族家の当主として後者、政略結婚に妹を使う事を厭うのは、間違っているのかもしれない。

 だけどやはり、妹を売って家を立て直す兄には、なりたくなかったのだ。


 どうするべきかと頭を悩ませた僕がその末に思い出したのが、本当に幼い頃、先々代、つまりは祖父に連れられて大きな都市に連れられて見に行った、円形闘技場での剣闘士の試合。

 もう十年以上も前の話だが、僕が剣技に本気で打ち込み始める切っ掛けになった出来事である。

 その時に聞かされた話では、その闘技場に関わる興行師の一人がファウターシュ男爵家の元領民で、興行師となる際にある程度の額を祖父が出資したらしい。


 ……これしかないと、僕は思った。

 幸い剣技だけは、誰にも負けないとまでは言わないけれども、それに近い自信は持っている。

 高名な剣士を家に招いて教えを受けた事もあったし、領内に現れた野盗の退治だって幾度も経験はあったのだ。

 父や祖父が健在ならば決して許さなかった方法だろうけれど、死人は文句を言って来ない。

 まぁその代わりに妹や、譜代の家臣からは反対されたが、だからと言って彼等に代わりの意見がある訳でもなかった。


 剣で稼ぎたいなら配下を率いて南方の戦場に、なんて意見はあったが、そんな分の悪い賭けに家の命運は……、妹の身柄は賭けられない。

 戦争に行くには支度金が必要だし、戦場では剣の腕だけがあっても生き残れるとは限らないのだから。

 戦場で僕が死ねば、それこそ妹を何処かの金持ちに売り払い、幼い弟だけが残される事になってしまう。


 そして戦場に行くのと同じ程度に、剣闘士として普通に参加するのもナシだった。

 たとえ不名誉でも僕は生き残り、何としても借金を返せるだけの金を稼がなければいけない。

 可能な限り安全に、より多くの報酬が貰える方法が必要なのだ。

 故に僕は記憶を頼りに、祖父との縁があった興行師を見つけ出し、貴族としての名に泥を塗りながら、下級剣闘士としては破格の報酬を受け取って闘技場の悪役を続けている。

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