帝国貴族の剣闘士生活

らる鳥

借金貴族の剣闘士生活

1-1


わぁわぁと、無責任に囃し立てる野次と歓声が降り注ぐ。


「臓物撒き散らして死ね!」

「殺せ! 腐れ貴族なんざぶっ殺しちまえ!」


 まぁ中には、野次のレベルを越えて罵声を浴びせ掛けてくる輩も混じっているが、それも含めて僕はこの場所、円形闘技場が嫌いじゃない。

 何故ならここには、剣闘士の血や汗が染み込んだ土の下には、欲望、絶望、希望の全てがごちゃ混ぜになって埋まってる。

 それこそ、そのおこぼれを浅ましく啜るだけで、僕の目的が達成できてしまう程に。


 そう、僕はこの闘技場で、我がファウターシュ家を立て直す為の金を稼ぐ。

 続いた冷害に飢えた領民を喰わせる為に、背負ってしまった借金を返済する。

 どんなに嫌われ、罵声を浴びせられても、その目的が果たせるならば構わない。

 あぁ、いや、興奮した彼らの落とす金が、一部とはいえ僕に流れ込んでくるのだと思えば、感謝すら覚えた。


 もっと僕を憎み、忌み嫌え。感情を昂ぶらせろ。

 その為には、一挙手一投足から、彼らの嫌う悪役になり切る必要がある。


 心を整え、息を吐く。

 剣の握りを確かめて、一度振るう。

 体調も良い。問題はない。


 するとその時、ワァッと歓声が大きくなった。

 どうやら今日の仕事相手が到着したらしい。

 僕はそれを確認し、一つ頷くと、役割という名の仮面を被る。


「フンッ、逃げ出さずに私の前に現れるとは、卑しい蛮族にも最低限の勇気はあったらしい」

 鼻を鳴らし、現れた若い剣闘士の、名前は確か……、アペリアを嘲る。

 尤もそんな風に言ってはみても、アペリア君は剣奴なので試合から逃げるなんて事は、最初から許されてないのだが。

 彼の濃い茶色の髪と褐色の肌は南方に住む蛮族とされる、ミダールの民である証だ。

 以前はとても珍しかったが、ここ十年程で随分と数が増えたらしい。

 もちろん、蛮族呼ばわりされる彼らが自分の意思でやって来ている訳じゃなく、帝国の南方での戦争が順調であるが故、奴隷として連れてこられただけなのだけれども。


 僕に蛮族呼ばわりをされ、アペリアが僅かに眉根を寄せる。

 激昂したりはしないけれど、まだ多少自分の立場を割り切れていない様子だ。

 煽った張本人である僕が言うのも何だが、あまり良い事ではなかった。

 あの程度の言葉に感情が揺らいでいては、上に進んだ時の揺さぶりにはとてもじゃないが耐えられないだろう。

 剣闘士なのだから、馬鹿にされようが貶されようが、そんな物は無視してしまえばいい。

 口で何を言われようと、剣闘士の価値を決めるのは、実力と結果だけなのだ。


 構えを取るアペリアの武器を握った手に、必要以上の力が籠っているのを見て、僕は口元を歪めて嗤う。

「さぁ掛かってこい薄汚い奴隷め。この帝国貴族、ルッケル・ファウターシュ男爵が、貴様に身の程を教えてやろう!」

 できる限りいやらしい笑みに見えるように、殊更に意識をしながら。



「クゥォォォォッ!」

 裂帛の気迫と共に長剣を振うアペリア。

 踏み込みも剣速も、下級の剣闘士としては抜群に早かった。

 以前に戦いを観戦した時よりも更に早くなっているから、恐らく生き抜く為に、必死に努力を積み重ねているのだろう。

 才能と、力への渇望、死への恐怖を併せ持つ彼は、一流の剣闘士になれる素材だ。

 ……でもまだまだ甘い。


「このイノシシめ。何の工夫もない剣が、貴族である私に通用すると思うな!」

 僕はバックラーを使って振り下ろされた長剣の腹を叩いて払い、その衝撃で僅かに体勢を崩したアペリアの脇腹を短めの直剣、グラディウスで浅く切り裂く。

 傷口からは血飛沫が舞って、周囲の歓声が一層強まる。

 直径が三十センチ程しかない小型の盾であるバックラーは、矢を防ぐと言う盾にとって最も大事な役割は殆ど果たしてくれないが、そんな代物でもこの闘技場でなら割合に使い勝手は悪くはなかった。


 アペリアは確かに一流の剣闘士になれる素質があるが、しかし幾ら素材が良くても、否、素材が良いからこそ、もっと狡猾で冷静な戦い方を知らねば、上級には到底至れない。

 剣闘士としての位が上級になれば、たとえ奴隷であっても自由民になれるし、それなりの財産だって築けるだろう。

 だからこそ上級の剣闘士への道は険しく、素材が良質であればあるほどに、どんな手を使ってでも引き摺り落とそうとする者も増えるのだ。

 しかし剣奴の主人、興行師からしてみれば、折角上級にも至れるであろう素材を、道の半ばで無駄に殺してしまうのは大きな損となる。

 故に良質な剣闘士が才覚だけで勢いよく下級を抜けてしまわぬよう、敗北や挫折の味を教えて底へと追い返すのが、この闘技場の悪役であり、中級の壁でもある僕の仕事だった。



 剣の腕に自信があり、剣闘士を相手にそれを見せ付けて悦に浸る嫌味な貴族。

 それが僕に与えられた設定だ。

 上半身は裸で量産品の武器のみを手に戦う奴隷の剣闘士達に比べれば、僕は服の下に鎖帷子さえ着込んでる。

 つまり全く以てフェアではなく、更に身分が貴族ともくれば、観客や剣闘士から嫌われる要素には事欠かない。

 でもそうやって嫌われるからこそ、悪役として場を盛り上げるには適していた。

 そして僕は、他の剣闘士よりもずっと安全に金を稼げる。


 僕が勝てば観客は鬱憤を溜め、その鬱憤を晴らす為に後の試合がヒートアップするだろう。

 僕が負ければ、貴族が無様に負ける姿が見れたと、観客達は大喜びだ。

 帝国でなくとも、大体の国では貴族を騙る事は重大な罪となるけれど、この僕、ルッケル・ファウターシュ男爵は、本当にれっきとした貴族である。

 まぁ決して設定通りに悦に浸る為に剣闘士の真似事をしてる訳ではないけれど、この身分の御蔭で僕は闘技場を取り巻く欲望のおこぼれを拾えていた。



 闇雲に剣を振り回しても僕には通じないと理解したアペリアは、多少の工夫を試みはしたが、所詮は付け焼刃でしかない。

 むしろ慣れぬ工夫により早く体力を失い、動きが鈍り出していた。

 今回はこれ位でいいだろう。

 僕は動きの鈍ったアペリアの顎を盾で殴り付けると、意識が飛んで後ろに倒れる彼の胸を、サッと浅く広くグラディウスで切り裂く。

 傷口は大きく、出血も多く、けれども命に別状がない程度に。


 倒れて動かなくなったアペリアに、婦人の形ばかりの悲鳴や、観客の興奮した歓声、罵声が降り注ぐ。

 殺せとの声も混じっているが、ふざけるなって話だ。

 素質ある彼が最終的には何枚の金貨を稼ぐ存在になるのか、ちゃんと理解してから言って欲しい。



「つまらん。この程度か。まぁ私の相手ではなかったな」

 グラディウスを振って血を払い、カラカラと笑いながらゲートを通って退場する。

 こんな風には言ってるけれど、次にアペリアが挑んで来たら、地に転がるのは僕の番だ。

 彼の資質なら、その日は然程遠くないだろう。


 もちろん中級への壁は僕以外にも何人かいるから、彼と再び対戦するかどうかは、興行師の考え次第だけれども。


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