僕の痛み⑥・回想
「おっ! 来てくれたんだね。燈輝くん」
時間は容赦なく流れ、その日は訪れる。
僕と風霞が集合場所の駅に着くなり、麻浦先輩は白々しくも歓迎の言葉を投げかけてくる。
それが僕には酷く、不気味に思えたのは言うまでもない。
そして、さらにステキな付録つきとあれば、もはや今後の行く末に疑う余地はないだろう。
「おひさ〜。ってそうでもないか。今日はヨロシクね〜」
駅前花壇の縁に腰掛ける須磨先輩は、僕たちに気づくなり、少しだけ顔を上げる。
しかし、すぐにスマホの画面に目を落としてしまう。
彼女の他には、能登とその取り巻きの一人。
あとは恐らく、風霞のクラスメイトと思われる男子生徒2名が居た。
「……よし。じゃあメンバーも揃ったし、行こうか!」
「オッケー! アタシ、カラオケとかチョー久しぶりかも!」
麻浦先輩の呼びかけに須磨先輩は立ち上がり、軽快な足取りで歩き出す。
「じゃあ俺たちも行こうか」
麻浦先輩の号令で、他のメンバーもようやく動き出す。
僕と風霞も、須磨先輩たちの後を追おうとすると、不意に麻浦先輩が近付いてくる。
「やっぱりキミは来ると思ったよ」
耳元でそう呟かれた瞬間、僕の足は止まる。
そんな僕を見て麻浦先輩はほくそ笑み、須磨先輩たちの後に続いた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
僕の異変に気付いた風霞は心配そうに、顔を覗き込んでくる。
「い、いや。何でもない……」
彼女の言葉に我に返った僕は、咄嗟に取り繕う。
「あ、あのさ! お兄ちゃん……」
「い、行くぞ!」
「え? う、うん……」
一度、この場へ来てしまったからには、後の祭りだ。
今ここで引き返す方が、後に禍根を残すと自分自身に言い聞かせ、先輩たちの後を追った。
「じゃあ、次! 風霞ちゃんね!」
「は、はい!」
「え!? まじ!? 風霞、歌うの!? じゃあ一緒にコレ歌おうぜ!」
「バカ! お前、ソレ軍歌だろ! んなモン天ヶ瀬に歌わせんな!」
「ちょっとー? そういう思想の強い歌はシラけるから禁止ぃー! お姉さん許さないぞー!」
カラオケ店に着き、何が始まるのかと身構えたものの、何のことはない。
入室から早一時間。
気味が悪いくらい、皆普通にカラオケを楽しんでいる。
初めの内はぎこちなかった空気も、主に須磨先輩の扇動のよってある程度、場は温まっている。
風霞にしても、流れとは言え、ああしてマイクを握ろうとしているのもその証拠だろう。
所詮は、単純な中学生・高校生だ。
長いものには巻かれるというか、何となくでその場の雰囲気に流されてしまうのだろう。
ある意味、羨ましくもある。
しかし、場の雰囲気に同化しやすいということは、逆もまた然りということだ……。
だからこそ、僕としてはより一層身構えてしまう。
「燈輝くん。楽しんでる?」
麻浦先輩は、そんな僕を絶対に許容しないとばかりに声を掛けてくる。
「は、はい。まぁ……」
「そっか。それは良かった」
それだけ言うと、麻浦先輩は黙りこくる。
彼の意図を掴めないまま、時間だけが過ぎる。
まるで僕と麻浦先輩だけ、この空間から切り離されたような感覚だ。
どうにも辛抱できなくなり、僕はずっと気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。
「あのっ! 麻浦せ」
「お父さんとお母さん、共働きなんだって?」
僕の言葉は、無残にも遮られる。
しかし、意図せずも僕の目的も果たせそうな質問内容だ。
「は、はい。そうですね。詳しいことは知りませんけど……。二人とも同じ会社としか……」
「そっか。大変なんだね」
麻浦先輩は神妙な顔つきになる。
ますます分からない。
彼は、麻浦先輩は、一体僕から何を引き出したいのだろうか。
「い、いえ。大変と言うほどでも……」
「ふーん。でもさ。そうなると、家のこととか全部キミたちでやってるんだろ?」
「ま、まぁそうですね。食事は基本的に僕で、風霞にはたまに掃除をお願いしてる……、て感じですかね?」
「そうなんだ。燈輝くん、偉いんだね」
麻浦先輩は、これまでの僕の労をねぎらうかのように、優しい笑みを浮かべて言う。
上手くは表現できない。
敢えて言うなら、どうにもむず痒い。
普段褒められ慣れていないせいか。
もしくは、予想外の人物からその言葉を聞いたせいか。
「べ、別に。兄貴だから当然です」
「兄貴だから、ねぇ」
麻浦先輩はそう呟くと、また目を細め、どこか薄暗い視線を浴びせてくる。
「そう。キミが風霞ちゃんのお兄ちゃんで良かった」
麻浦先輩が小さくそう漏らした時、僕は激しい悪寒を覚える。
「あ、あの、先輩はどうして……」
「ちょっと蓮哉に燈輝くぅ〜ん!? さっきから全然歌ってないじゃん!」
またしても邪魔が入った。
須磨先輩は、僕と麻浦先輩の会話に割り込み、いつまでも宴会に参加しない僕たちを咎めてくる。
「あ? バレた? ごめんごめん。そうだ! 皆、お腹減らない? そろそろお昼にしようよ。ココ、食事のメニューも充実してるみたいだしね!」
「あ! 誤魔化した! 蓮哉、ホントに逃げるのウマいよね〜」
須磨先輩はそう言いながらも、嬉々とした表情で食事メニューを手に取り、眺め始めた。
「さ! 燈輝くん。食べよ! ここの料理、美味しいよ!」
何事もなかったかのようにそう振る舞う麻浦先輩は、僕には酷く歪に見えた。
「ふぅ。割と本格的でウマかったね」
「ホントホント! アタシ、カラオケでこんなガッツリ食べると思わなかったし!」
コースメニューは、ピザやパスタといった主食から、ポテトやローストビーフなどのオードブル・スイーツまで一通り網羅されていて、成長期の中高生にはとって申し分ない内容ではあった。
皆、麻浦先輩や須磨先輩の言葉通り、ガサツに並べられた空き皿の前で舌鼓を打っている。
そんな中、僕には食事を楽しむような余裕はなかった。
有り体な言い方をすれば、何を食べても味がしない。
風霞も僕の様子を見て何かを察したのか、目の前の料理にほとんど手を付けていない。
もちろん、それに気付かない麻浦先輩ではない。
「あれ? 風霞ちゃん。全然食べてないみたいだけど、大丈夫?」
「へ!? は、はい。実は、朝ごはん食べ過ぎちゃって……。はは」
麻浦先輩に不意打ちを食らった風霞は、苦笑しながらも何とか取り繕う。
「そうなんだ。食事は、燈輝くんが作ってるんだって?」
「は、はい。そうなんです。毎食、兄が……」
風霞はそう言うと、何故か顔を俯かせる。
「ん? どうしたの? 風霞ちゃん」
麻浦先輩は、風霞の顔を心配そうに覗き込む。
「い、いえ! そうなんです。ずっと兄に頼りっきりで……」
「そっか。お父さんたち、忙しいんだって?」
「は、はい。共働きで、二人とも帰りが遅くて……」
麻浦先輩は、流れのまま我が家について根掘り葉掘り聞き始める。
僕からも聞いた話を、何故わざわざ風霞にも聞くのだろうか。
第一、そんな他人様の家庭事情に誰も興味はないはずだ。
事実、須磨先輩は二人の会話に対して『へぇー』などと相槌を打ってはいるものの、その視線は手元のスマートフォンに向かっており、全く関心はなさそうだ。
他のメンバーも似たり寄ったり、といった感じか。
ただ一人。
能登だけは、そんな麻浦先輩の姿をどこか苦々しい表情で見ていた。
「大変なんだね。それでさ。ちょっとそのことで、燈輝くんたちに聞きたいことがあるんだよね……」
その瞬間、麻浦先輩の放つ雰囲気は急変する。
それに合わせるように、これまでの和やかな空気は一変した。
露骨に声のトーンも落としていて、どう贔屓目に見ても良い話ではなさそうだ。
あの須磨先輩までもが、手持ちのスマートフォンをテーブルに置いたことも、それを良く物語っている。
「あのさ、燈輝くん。キミについて、ちょっと良くない話っていうかさ……。一応、確認しておきたいことがあるんだ」
いよいよ、か。
「……能登が言っていたこと、ですか?」
「あれ? ひょっとしてもう聞いてるの?」
「は、はい。まぁ」
すると、麻浦先輩は能登に鋭い視線をぶつける。
「能登! ダメだろっ! 無神経にベラベラとっ!」
「す、すんません! どうしても気になって……」
麻浦先輩の叱咤に、能登は身をすくめながら謝る。
そんな能登に何を言うでもなく、麻浦先輩はまた僕に向き直る。
「ごめんね、燈輝くん。能登が勝手なことして」
「い、いえ。別にそれは……。そ、それであの話って一体」
「ちょっとー!? イイ加減にしてくんない!? アタシたちずっと置いてけぼりなんだけど!? ねぇみんな!」
突如、須磨先輩が大声を上げ、僕の問いかけは遮られる。
彼女に触発された他の面々も、互いに目配せしながら、須磨先輩の言葉に頷く。
なんだろうか。
憤慨しているはずなのに、その実どこか楽しそうに見えてしまう。
「そうだったね。ごめんごめん。じゃあ燈輝くん、いいかな?」
麻浦先輩は、僕に許可を求めてくる。
果たして、この場で話すべきことなのか。
事実無根であるにしろ、この様子を見る限り、知っているのは能登とその周辺の一部だけだろう。
風霞にしても、公にしたところでメリットは何もない。
僕は最後の抵抗を試みることにした。
「いや、やっぱりこの場で話さなくても……。皆さんに聞かせるような話でもないですし」
「俺もそう思うんだけどね。たださ。泉純。あぁなったら、話すまで許してくれないだろうし……。それは何となく分かるだろ?」
困ったように笑いながら、麻浦先輩は言う。
これは完全にやられた。
役割分担など、端から完璧に出来ていたのだろう。
「それにさ。もし事実だったらさ……。俺も許せないしね」
麻浦先輩は畳みかけるように、僕にその冷めた視線を突き刺す。
よくもまぁ、白々しくそんな表情を作れたものだ。
感心してしまう。
「……わかりました」
僕の返答に、麻浦先輩は頷くでもなく、ただただ淡々と話し始める。
……余計な心配は無用だ。
僕が無実であることに変わりはない。
幸いにも、この場には風霞という最大の証人がいる。
冷静に一つ一つ、誤解を解いていけばいいだけの話だ。
それにしても、腑に落ちない。
麻浦先輩はどういう意図で、この嘘を流布しようとしているのだろうか。
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