僕の痛み③・回想
「お兄ちゃん、何かごめん……」
特段、何か僕たちに不都合があったわけでもない。
ただ事実関係で言えば、意図せず起こったイレギュラーが、僕たちを不安に陥れた。
いや……。
厳密に言えばそれも不正確で、僕たちが勝手にセンチになっているだけなのだろう。
被害妄想、と言ってしまえばチープな表現だ。
でも、それだけ僕たちには、漠然とした淀みのようなものが蓄積されていたのかもしれない。
まぁだからと言って、このまま家へ引き返すのも何か違う。
僕たちは予定通り、風霞が予約していた喫茶店に向かった。
差し詰め、お通夜といったところか。
お互いどこかよそよそしく、大凡僕の進学を祝うような空気ではない。
そんな雰囲気に拍車を掛けるように、風霞はまたしても筋違いな謝罪をしてくる。
もはや謝ることがクセになっているとしか思えない。
僕自身が不快だとか、そういった次元の話ではなく、社会的に見てもあまりこういうのは良くない気がする。
であれば、ココは兄貴として諌めてやるとしよう。
そう思い、口を開きかけた矢先、風霞に阻まれる。
「あのさ! お兄ちゃんっ! さっきの続き、聞いてもいい?」
「は? 続き?」
「うん。お兄ちゃんの将来やりたいことの話!」
彼女にそう言われた時、僕は率直に言って仰天した。
この子は、僕の話の何を聞いていたのか。
その話は既に終わっているはずだ。
「やりたいことって……。さっきも話しただろ? 特にないって」
「……ホントに?」
風霞は、どこか悲壮感を孕んだ瞳で見つめてくる。
その視線は、どこか僕の腹を探っているかのようだ。
正直、心底鬱陶しい。
しかし、ここで『しつこい』などと跳ね除けてしまえば、きっと何かが決定的になってしまう気がする。
だから、ここは卑怯かもしれないが、話題を変えて誤魔化すしかない。
「……風霞は疑い深いな。こりゃ将来彼氏でも出来た日には苦労するな」
「っ!? 彼氏とかっ!! お兄ちゃん、馬鹿じゃないの!? 私はまだそんな……」
僕の言葉に、風霞は両頬を紅潮させて、まくし立てる。
案の定、というか想定通りの反応で安心した。
実際のところ、彼氏はおろか友達すらも、そう多くないのだろう。
僕と彼女は根本の部分では似ているから、よく分かる。
すると、今風霞は仕返しとばかりに聞いてくる。
「……お兄ちゃんはさ。彼女とかいないの?」
「いるわけないだろ。何だ? 嫌味か?」
「ち、違うよっ! そんなんじゃなくてさ。ほらっ! お兄ちゃんって、ナンか色々我慢してるんじゃないかなって思って……。私はさ。妹だからか分かんないけど、割と好き勝手出来てるじゃん? あんまり期待されてないだけかもしれないけど……」
風霞は、自虐的に微笑みながら話す。
確かにウチの両親は、昔から躾にはかなり厳しい方だったと思う。
いつだったかは詳しく覚えていない。
ただ、母さんの仕事が早く終わった日、僕が文化祭の準備とやらでかなり帰りが遅くなることがあった。
別に好きで遅くなったわけでもなかったが、それでもその時はこっ酷く叱られた記憶がある。ロクに理由も聞かれずに。
まぁ長男が夜遊びとあらば、世間的に見て良ろしくないのだろう、とその時は納得した。
確かにそれに比べれば、風霞は割と自由に育ってきたとは思う。
直近で言えば、『受験前最後の思い出作り』などと称して髪を染めた時も、父さんも母さんも何も言わなかった。
でも、僕はそれを特段羨ましく思ったことなんてないし、何より僕と風霞では立場が違う。
初めから決まっていて、これからも不動の事実であり続けることを、アレコレ言うのは生産的でない。
「……我慢なんてしてない。彼女が出来ないのも、僕が単純にモテないだけだ」
「そ、そっか……」
そうして、僕たちの間にまた沈黙が生まれる。
これでいい。
これが僕と風霞との心地良い距離感だ。
そう思った時、思わぬ伏兵に場を乱される。
「あれ? 今日は良く会うね」
上手く煙に巻けたと安心したのも束の間、今考え得る限りで一番聞きたくない声が聞こえてくる。
今日は厄日かもしれない。
振り向くと、その声の主はどこか薄気味悪い視線で、僕たちを見下ろしていた。
……パッと見る限り、能登は居ないようだ。
「ど、どうも……」
「こ、こんにちは」
僕は萎縮しながらも、何とか麻浦先輩の呼びかけに応える。
風霞も負けじと、引きつった笑みで何とか言葉を絞り出す。
自分でも思う。
どうして僕たちはこれほど意味もなく、怯えているのだろうか。
「ま、まぁそんな怯えないでさ。俺、二人が怖がるようなこと、したかな?」
僕も風霞も、露骨に態度に出してしまったこともあって、麻浦先輩は苦笑いを浮かべながら聞いてくる。
「あれ〜、蓮哉ぁ? どしたん?」
その時、僕たちの後方から彼を呼ぶ声が聞こえた。
掛け声とともに、つかつかと近づいてきたその女子生徒は、恐らく麻浦先輩の同級生か何かだろう。
偏見以外の何物でもないのかもしれないが、大胆なグレー系ハイトーンカラーに染められたロングヘアを自信ありげに揺らしているあたり、僕たちとは住む世界が違う人間だということは一目で確信できる。
「誰なん? その子たち」
彼女は僕たちの存在に気が付くと、すかさず質問をする。
そんな彼女に対して、麻浦先輩は数刻考え込んだ後、応える。
「……俺の後輩の友達だよ。燈輝くんに風霞ちゃん」
「ふーん」
彼女はそう呟くと、僕たち二人を舐め回すかのように見てくる。
どうにも苦手なシチュエーションだ。
というより、目を細めてどこか蔑むかのような視線を浴びせてくるあたり、僕たちは既に彼女の中でおもちゃ扱いになっているのかもしれない。
「そっか! アタシ、
「えっ!? 須磨っ!? 須磨さんですか!?」
「へ? そうだけど。ナニ?」
「い、いえっ! な、なんでもありません……」
「……ふーん。まぁいいや。アタシも蓮哉と同じ長江の2年だからさ。ヨロシクね!」
そう言うと、須磨先輩は僕たちにウィンクをしてくる。
「よ、よろしくお願いします……」
何をよろしくすればいいのかは分からない。
でも、結局のところこの場で僕たちに出来ることなんて、最低限の礼節を守ることくらいしかない。
「うん! じゃあ行こっか。蓮哉」
「……そうだな。あ、そうそう! 燈輝くん」
「え? は、はい……。なんでしょう」
「キミたちのお父さんのお仕事って、マスコミ関係だったりする?」
「そ、そうですけど……、それが何か?」
「そっか。ううん。何でもないんだ。ごめんね。変なこと聞いちゃって。じゃあね、二人とも」
そう言い残し、二人は自分たちのテーブルに向かっていった。
「お兄ちゃん……」
風霞は怯えた顔で、僕に呼び掛ける。
お祝いムードなんて、すっかりどこかに吹き飛んでいってしまった。
続行不能であれば、ここに留まる意味はない。
……と、少しホッとしている自分もいたりする。
正直な話、今日はあまり気乗りがしなかった。
今日も風霞の話の節々で感じていたが、やはり彼女は僕に気を遣っている。
態度もそうだ。
当初はいつもより楽しそうに振る舞っていた。
でも、結局すぐにボロが出て、こうして普段の自信なさげな彼女が表層化してしまっている。
こういうことがある度に痛感する。
兄妹といっても、所詮は他人なのだ。
だが、例えそうであっても彼女の想いを無下にしていい理由にはならない。
だから、体裁だけは保つとしよう。
「風霞、知ってるか? 揚げ物する時に、衣に卵使うだろ?」
「え?」
急にどうした、とばかりに風霞の目は点になる。
無理もない。風霞でなくともこうなるだろう。
「それでな。卵の代わりにマヨネーズを使うと、サクッと揚がるらしいぞ」
「そ、そうなの……?」
「あぁ。何でも、マヨネーズの油が衣の余計な水分を蒸発させてくれるから、らしい」
「へ、へぇ……」
風霞の顔はますます困惑度合いを高める。
「……だからな。お兄ちゃん、ちょっと試してみたいんだよ。付き合ってくれるか?」
風霞は少し沈黙した後、ハッとした表情になる。
僕の意図を何となくは察してくれたようだ。
「うんっ! 分かった! じゃあ早速買い出しに行こっか! 私、オニオンリングがいい!」
風霞はそう言うと、満面の笑みを浮かべる。
そんな彼女を見て、僕は胸を撫で下ろした。
同時に少しばかりの疚しい気分に襲われる。
「? お兄ちゃん、どうしたの?」
「……いや。それより本当にオニオンリングでいいのか?」
「えっ? 駄目? あ! そっか。最近、玉ねぎ高いから……」
「いや、そういうことじゃなくて……。まぁいいや。行くか」
「うん!」
我ながら、不誠実だとは思う。
でも、きっとこれが僕の役割なのだろう。
この先、どんなことが起こったとしても、僕は兄貴として風霞を守らなければならない。
例え、自分自身に不都合が生じたとしても……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます