僕の痛み②・回想
「お兄ちゃん。ナンか、凄かったね……」
映画が終わりスクリーンを出るなり、風霞は抽象的な感想を述べてくる。
「いやまぁ、何ていうか……。激しかったな。色々と」
「そ、そうだよねっ! その、ごめんなさい……」
風霞はおずおずと、そう呟く。
ここへ来た頃と比べると、明らかに意気消沈しており、差し詰めその内容に打ちのめされているのだろう。
まぁ、その気持ちは分かる……。
確かに、風霞の言うように凄かった。
ただ兄妹で観るには、少々甘過ぎたというか、濃厚だったというか……。
直接的な行為こそないものの、いわゆる直前までが描かれていて、僕たち二人の空気は完全に凍りついてしまった。
何故、R指定がされていないのか、不思議なくらいだった。
土曜の朝から胃もたれ必至の展開に、プロデュースした風霞も気まずそうにしている。
それにしても、これはマズい……。
当然、僕は怒っているわけじゃない。
でも風霞は一度こうなると、ずっとこの調子だ。
ココは兄貴として、フォローするべきなのだろう。
「……ストーリーとしては良かったんじゃないか? ほら! 最後の! 主人公がずっとやりたかった夢か、彼女と暮らすか、みたいな二択で結局夢の方選ぶヤツ! なんだ? 切ない感じ? の話って感じで」
取って付けるにしても限度がある。
正直な話、それまでの過程が衝撃的過ぎて、詳細についてはある程度忘れている。
ただ、あまりにもありきたりなストーリーだったので、大筋は何とか把握出来ている。
いずれにしても、風霞の誠意を無下にするわけにはいかない。
「うん……。ありがとね! お兄ちゃん」
僕の出来損ないのフォローに、風霞はまたしても取り繕ったような笑みで応える。
そして、僕はこれ以上追及しない。
ずっとこんなことの繰り返しだ。
こうやって、僕たちは関係を維持してきた。
結局のところ、僕がどう思おうと関係ない。
風霞が負い目を感じているのであれば、どうしようもない。
ぎこちない空気を断ち切るため、僕は話の論点をずらす。
「……でもあの主人公も良くやるよな。働きながら専門学校通うとか、妙に生々しいし」
「だ、だね! そんなシーンもあったね! そう言えばさ……」
風霞は突如、改まった様子になった。
上目遣いで、僕の顔を覗き込む彼女を見て確信する。
こういう時は、決まって聞いて欲しくないことを聞いてくるのだ。
「お兄ちゃんってさ。将来やりたいこと、とかないの?」
これは墓穴を掘った。
そんなことはこれまで考えたことは……、いや。
正確に言えば、一度だけある。
でも、それは子どもならではの戯言だ。
それこそ、何とかマンになりたい、とかそういうのに近い気がする。
だから家族の誰にも打ち明けたことはない。
もちろん、風霞にもだ。
第一、そんなことを言っても意味がない。
言ったところで、それが実現する可能性はゼロに等しいし、何より環境が許してくれないだろう。
「……ないよ。まだ高校生だぞ。これからボチボチ決まっていくんじゃないのか? 知らんけど」
「そ、そっか。だよね……」
風霞はそう言うと、また顔を下に向けてしまった。
イライラする……。
どうして、この子はいつもこうなのだろうか。
「あれ? 天ヶ瀬じゃね?」
突如、真横から僕を呼ぶ声が聞こえる。
振り向くと、隣りのスクリーンの入り口に、見覚えのある人物が物珍しそうな顔で立っていた。
急な展開に少し動転しているせいか、その声の主の名前を思い出せない。
いや……。
それよりも、その横に陣取る男に目が吸い寄せられてしまう。
痩せ型のひょろりと高い背丈で、風貌的には僕たちと同年代か。
清潔感のある黒髪のアップバングヘアや、シンプルでありながら統一感のあるキレイめのコーディネートを見ると、どうやら身なりにはかなり気を遣っているようだ。
……初対面の人間を、あまりジロジロと見るものではない。
とは言え、見事なまでに大衆受けを意識したそのビジュアルは、僕には逆に胡散臭く見えてしまうことに変わりはない。
「えっと……、能登、か?」
僕は疲れた脳みそを奮い立たせ、何とかその声の主の名前を絞り出した。
自分で言い訳するわけでもないが、仕方ないとは思う。
まだ入学式から、一週間と経っていない。
クラスメイトと言っても、別に仲が良いわけでもないし、何ならほとんど他人と言ってもいい。
ただ、このオリエンテーション期間で少しだけ目立っていたから、ギリギリ覚えていただけに過ぎない。
むしろ、良くぞ僕の名前を覚えていたものだと感心する。
「『能登、か?』じゃねぇよ! 一応、同じクラスだろうが」
一応、という枕詞にどれだけの意味が込められているのかは分からない。
しかし、能登の話し振りを見る限り、悪気があるわけではないことは分かる。
と、頭の中で揚げ足取りをしてしまったが、実のところ僕の存在感の薄さなんて織り込み済みだ。
だから、特段ショックを受ける理由など、どこにもない。
「能登」
能登の隣りの男が催促するように、声を発する。
「あっ! すんませんっ! えっと……、同じクラスの天ヶ瀬っす!」
何かを察した能登は、酷く恐縮しながら、僕のことを紹介する。
能登の様子を見るに、やはり先輩のようだ。
「天ヶ瀬……」
そう呟くと、その鋭い視線を僕と風霞に向けてきた。
おかげで風霞は、小動物のように震えてしまっている。
……こうなってしまったからには、このままでいるわけにもいくまい。
「……天ヶ瀬燈輝です。宜しくお願いします」
「い、妹の風霞ですっ!」
僕につられるように風霞も自己紹介した。
当然のことながら宜しくするつもりも、されるつもりもない。
相も変わらず、この手のお約束というか予定調和は苦手だ。
「燈輝くんに、風霞ちゃん、か……。うん。よろしくね。麻浦蓮哉です。君たちと同じ、長江高校の2年生です」
すると、顔を綻ばせ、咄嗟に作ったような笑みを浮かべてきた。
僕はそれを見て、ますます不気味に感じてしまう。
「お前ら、兄妹で映画かよ?」
僕が警戒心を剥き出しにしかけた時、能登が口を挟んでくる。
こればかりは能登に感謝だ。
だが、それにしても何か含みのある言い方だ。
「そうだけど……」
「え、えっと……。き、今日はお兄ちゃんの高校の合格祝いで、その……」
言い淀む僕を尻目に、風霞はフォローするように切り出す。
風霞にとってみれば、もらい事故もいいところだ。
彼女には悪いことをしてしまった。
「そっか。二人、仲良いんだね」
麻浦先輩はそう言うと、また薄ら寒い笑みをつくる。
そんな彼の姿を見て、僕と風霞は自然と怯んでしまう。
「あっ。邪魔してごめんね。じゃあ、また」
僕たちに気を遣ったのか、麻浦先輩たちはスクリーンを後にする。
この時の胸のざわつきは、その後しばらく消えることはなかった。
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