第29話

「あ、落ちた」


「上手いじゃん」


「意外な才能を発見してしまった。何かに活かせないかな」


「クレーンゲームの才能は、クレーンゲームでしか使い道ないよ」


「取って欲しいもの、ある?」


「ない」


 取り出し口から四角いチョコレート菓子の箱を取り出して、「そう」と土屋がつまらなそうに言った。

 彼女の背景に視線を移す。ゆるキャラの人形が並ぶクレーンゲーム。塗装の剥げたエアホッケー台。カラフルなボタンが沢山付いたゲーム機。

 幾色もの蛍光灯で照らされた一角には、どこか寂しさが揺蕩っている。そんな空間で、楽しげに透明なドームを覗き込む土屋は、清楚で大人びた容姿と相まって、どうにも場違いだった。まあこいつは「清楚」ではなくて、「清楚」だけれども。


「デートでゲームってどうなの。それもゲーセンじゃなくて、モールのゲームコーナーって」


「水谷、これどうやるの?」


「聞きなよ、人の話……」


 物珍しげに、エアホッケーの台を撫でる。どうやらルールを知らないらしい。私は経験がある。このなんか丸いマレットで円盤(パック?)を弾いて、そこのスリットに入れて……と、懇切丁寧に説明してやった。

 百円玉を二枚投入して、ゲームを始める。


「一度、入ってみたかったんだ。こういう場所に」


 おっかなびっくり、土屋が円盤を小突いた。ふらふらと円盤が盤上を滑る。コツリと打ち返して、言う。


「別に、好きに入ればいいじゃん」


「一人で入っても、つまらないから」


「あんた、友達いないもんね」


「友達も、かな」


 土屋のマレットが、円盤を押さえた。クレーンゲームの辺りで、若い母親と少女がはしゃいでいた。少女が笑って、お菓子の箱を振り回す。

 眩しいものを見たかのように、土屋が目を細めた。


「まあでも、今は水谷がいるから、いいよ」


 奇襲のような一撃を、受け損ねた。土屋の得点が増える。取り出し口から円盤を回収して、打ち直した。先程よりは、幾分強めに。

 土屋が腕を振る。彼女は真っ直ぐに私を見ていた。盤上を一直線に走る円盤を、あくせくしながら打ち返す。


「私だけいたって、しょうがないでしょ」


「水谷がいればいいよ」


 じん、とマレットを握る手が痺れた。跳ね返った円盤が、よろめくように壁へ流れる。

 重い。こんなに重たいものをぶつけられたのは、生まれて初めてだと思った。


「なに、それ」


「口説き文句」


 さらりと告げられた一言に、心が揺れなかったといえば嘘になる。

 思えば、正面切って誰かに告白されたのなんて生まれて始めてだった。他者から飛んでくる感情というのは、こんなにも重いのか。こんな、心を踏み潰してしまうくらいに。


「……じゃあ、なんで半年も声かけてくれなかったの」


 拗ねたような口調を誤魔化したくて、鋭くマレットを振るう。カンカンカン、と心地よい音を立てて円盤が敵陣に迫る。


「声掛けちゃったら、もう我慢できないだろうなと思って」


「は?」


 円盤が、土屋のゴールに落ちた。


「脈が無いって分かってる相手を好きになるの、辛いから。だから、忘れようとしたわけ。まさか、本気で再会できると思ってなかったし」


「……なにそれ」


「水谷、すごく可愛くなってたし。私は八年間拗らせたせいで頭がおかしくなってるし。これ以上本気になったら、失恋したときのダメージが膨大過ぎて死にかねないと思ったから」


 くそ。あけすけな直向きさに、頬が熱くなる。そんな自分自身に腹が立った。


「でも、クリスマスの辺りから、水谷が草野さんを見る目が変わって。もしかしたら、とは思ってた」


「……私、そんなに露骨だった?」


「どうかな。少なくとも、草野さんは気づいてなかったと思う」


 一定のリズムで、ラリーが続く。そうだろうな、と私は内心頷いた。景気良く好意を振り撒くくせに、自分に向いた矢印には鈍いのが草野よもぎだ。


「草野さんに告白されたとき、これでも相当悩んだんだよ。でも、水谷が他の女と付き合うって考えたら、なんかもう駄目だった」


「それで、よもぎと付き合うことにしたわけ」


「そうだよ。まあ、控えめに言って最低だね」


 その通りだ。でも、私にそれを非難する資格はない。それをしていいのは、この世で只一人、草野よもぎだけだろう。

 私のゴールに円盤が落ちる。


「……ちょっと話は変わるんだけどさ」


「なに?」


「その、土屋の噂って。ウリしてるとか、アプリやってるとか……それ、本当はどうなの」


「あ、それ気になる?」


「気になるよ、そりゃ。言いたく無いなら、いいけど」


 土屋が淡々と腕を振った。マレットが円盤を叩く。


「私ね。十四歳のとき、女の人に飼われてたの」


 ガコン。音を立てて、私のゴールに円盤が飛び込んだ。石になった私は、一切反応出来ない。


「かっ」


「ペットのほうね」


 口をぱくぱくさせる私に対して、土屋はおそろしく平然としていた。かう。ペット。ああ「飼う」ね、そっちか。「買う」じゃなくて。なんだそれならいや全然良くない余計に悪い。


「とにかく当時の養父がロクでもなくてね。身の危険を感じたから、アプリ使って泊めてくれる人を探してたわけ。今振り返ると、我ながらわりと底の方の地獄だね」


「…………それ、私が聞いていい話?」


「じゃなきゃ話さないよ。で、最初にマッチングしたのがその女の人。ギリギリ大学生だって言ってたけど。母さんがその家を出るまで、丸一年くらい泊めて貰った」


 指先が冷えていく。土屋は淡々と話しているけれど、どう考えても簡単に話すような内容じゃない。


「それ、大丈夫だったの」


「手は出されなかったよ。やばい人だったのは間違いないけど。『一度、女子中学生を飼ってみたかった』とか言ってたし」


 それは本当にやばい人だ。想像を絶する世界だった。


「一年くらい後かな。母さんがまた離婚して、すぐに再婚して。私はまた母さんと暮らすようになって……その人とは、ずっと、音信不通」


 うちの母さん、美人だから男引っ掛けるのだけは上手いんだよね。鼓膜がざらつくようなことを、さらりと言ってのける。

 その態度がまた、私の神経を逆撫でした。

 誰が聞いたって悲劇なのだから、そんなふうに平坦に語らないで欲しい。


「アプリを入れてるのも、夜の街を出歩いてるのも、あの人を探すため。いつか会って、お礼を言いたくて」


「……手がかりとか、あんの?」


「名前は知ってる。イチカ、って呼んでた。それ以外は、何も」


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