第12話
「あのさ、蓮花。今日、もしかして体調悪い?」
昼休み。お弁当のプチトマトを摘みながら、よもぎが声を潜めた。ぎくりとして、あやうくアスパラの肉巻きを喉に詰まらせそうになる。
普段は他の友人二人を含めた四人でグループを作っているけれど、今日は二人きりだ。残りの二人は、部活だ委員会だと言って出て行った。私も、演劇部の昼練がある日はそんな感じなので、文句も言えない。
「いや、別に。普通だよ、普通」
「そお? なんかずっと上の空だし、先生に指されて慌ててたし……」
よもぎの言葉は正しい。体育が終わってから、私はずっと上の空だった。
正確には、ずっと土屋琥珀の背中を観察していた。
体育だけじゃない。数々の悪評に反して、授業中の土屋は優等生そのものだった。ピンと背を伸ばして教科書を朗読する姿は、どことなく背の高い花を思わせる。反面、授業の合間はぼうっと窓の外を眺めるか、一人でスマホを弄っていた。
とりあえず、友達が少ないことは間違いない。それだけは、朗報だった。
「ほんと、何でもないから」
「それならいいけどさ」
両手で頬杖をついて、よもぎが上目遣いで見てくる。
今更だけれど、草野よもぎは美少女だ。
土屋のような造り物めいた美形ではないものの、どこもかしこもふわふわしていて可愛らしい。細部に至るまで、手の尽くされた愛らしさだ。かわいい自分でいるための惜しみない努力が、今の彼女を形作っている。
「なーんか、元気なさそうだから。蓮花のためなら、うち、何でもしてあげるよ」
「何でもって。そういうの、迂闊に言わない方がいいよ」
「言わないもん。蓮花にだけだよ?」
よもぎは心のくすぐり方が上手い。
なんでも、と言われて、彼女の唇に目が吸い寄せられた。
ぽってりと柔らかそうで、血色が良くて、今はお弁当に入っていた照り焼きのタレが端についている。
やっぱり土屋とは違うのだろうか。感触とか、その、味とか。
いやいや。
いやいやいやいや。
友達相手に何を考えているんだ、私は。
くそ、これも全部土屋のせいだ。あいつが悪い。あいつが、私にキスなんかさせたりするから。
今思い返しても、胃の底がむかむかしてくる。最悪な体験だった。横暴なキスの要求も、勝手に舌を入れられたことも。その挙句、涙を見られたことも。
百万回死んで欲しい。
じくりと、左胸の奥が軋む。
なんで、あんな取引に乗ってしまったんだろう。あんな奴でも、一応よもぎの恋人だ。そいつと、なんて、よもぎに対する裏切りでしかないのに。
「蓮花?」
「……ごめん、確かにちょっと、メンタル落ちてるかも」
「そっかぁ。なら、うちのデザートを分けてあげよう。はい、あーん」
大粒のシャインマスカットが、私の口元へやってきた。昨日までは自然に受け入れられた行為なのに、今はひどく張り詰めている。今の私に、これを受け取る資格があるんだろうか?
思わず、黄緑色の果実をじっと見つめた。
「……食べないの?」
しゅんとした顔に胸が痛む。そろそろと口を開けて、指に触れないよう、慎重に前歯で受け取った。薄皮に歯を差し込むと、果汁が滴り落ちて、甘酸っぱい味が広がる。
「美味しい?」
「……美味しい。ありがと。ちょっと元気になったかも」
「そっか」
にこにこと朗らかに破顔するよもぎを見て、ぎりぎりと胸が締め付けられた。
甘えたがりの彼女は、その分だけ他人にも尽くそうとする。友人の私に対してこの調子なら、はたして恋人にはどうなってしまうのか。
例えば肩にしなだれかかって、じゃれあったりするんだろうか。制服越しに、柔らかな身体を押し付けるようにして。
容易に想像がつく。そして、それは。
やっぱり、嫌だ。
腹の底で、緑の目をした怪物が唸る。
横目で、窓際の席を見た。あの女はどこかに姿を消していた。思えば、土屋が誰かと昼を食べている姿を見たことがない。
「友達が少ない」どころか、一人もいないのかもしれない。
一人、校舎の片隅で弁当を腿に載せる土屋の姿を想像して、少しだけ溜飲が下がる。ざまぁみろ、だ。ぼっち女め。
「もしもし、蓮花さんや」
「なに?」
「うちにも何かちょーだい」
人差し指で、自らの唇を示す。
本当に、いちいちあざとくて可愛い。
「卵焼きでいい?」
「いいよー」
黄色いだし巻き卵を箸で摘んで、よもぎに差し出す。こういうの、土屋が見たら怒らないのだろうか。怒らないだろうな。あいつ、よもぎの顔と胸目当てだし。
胸。視線が下を向きそうになって、慌てて目を閉じた。私は土屋とは違う。よもぎは大切な友達だ。モノみたいに、その身体へ触れたいなんて思ってない。そんなのじゃない。
あいつとは違う。
「……あのう、蓮花さん?」
「あ、ごめん」
目測を誤った卵焼きが、むぎゅむぎゅとよもぎの頬に押しつけられていた。
我ながら重症だ。でも、根本治療どころか、対処療法さえ分からない。
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