第9話
葉桜を背景にした土屋は、本当にヒロインみたいだった。清楚で秀麗で、模範解答じみた美しさだ。
けれど、どこか嘘くさい。これは私の僻みだろうか?
「で、水谷さん。私に何の用?」
僅かにハスキーな声で、土屋が問う。前置きをするつもりはない。模造刀を振りかぶったときの芝居を思い出して、私は斬り込んだ。
「最近、土屋さん、よもぎと仲が良いみたいだから」
「……まあ、それなりにね」
思わせぶりな間を置いて、土屋が同意した。後頭部がチリチリする。
「それがどうかした?」
「何で急に仲良くなってんの。接点、ないでしょ」
「水谷さん、おかしなこと言うんだね。接点が無きゃ、クラスメイトと仲良くしちゃ駄目なの?」
「別に、そんなことないけど。でも、」
「土屋琥珀には悪い噂があるから?」
切れ長の目が、すうっと細くなる。二重の瞳の奥にあるのは、怒りというより嘲りの気配だ。何も知らないことを嗤う目。
「自分の噂くらい、知ってるよ。それ、信じたんだね」
「……別に、嘘だっていうなら、」
「嘘じゃないけど」
今日の朝食はパンだったよ。それくらいの気軽さで、土屋はあっさりと悪評を肯定した。
「どの噂を聞いたか知らないけど。まあ、大体は本当。ウリ……は、少し違うけど。まあ似たようなことやってたのも、夜の街に顔を出してるのも、アプリやってるのもね」
後ほかに何かあったっけ? 指折り数えて首を傾げる。
その顔を呆然と見つめながら、私は絶句していた。
こんなにあっさり肯定されるとは思ってもみなかった。否定されるか、全力で否定されるか、そのどちらかだと思っていた。
ウリ、って。お前まだ十六歳だろ。普通に犯罪じゃん。あれだ。未成年淫……とか、そういうやつ。淫らな感じのやつ。
一瞬、裸でベッドに横たわる土屋の姿を想像してしまった。自己嫌悪で死にたくなる。
いつの間にか、喉がカラカラに乾いていた。
「……まじで?」
「まじで。それで? 私の噂が本当だったら、何?」
土屋が、ブレザーに包まれた腕を組んだ。その胸元に視線が向きそうになる。いや馬鹿か。
そうではなくて。
拳を握る。心を奮い立たせて、目力の強い瞳を睨みつけた。
「あんた、よもぎにも変なことさせるつもりじゃ、ないでしょうね」
叩きつけた私の言葉に、ああ、と土屋が納得したように頷く。
「っ、やっぱり!」
「違うよ。勘違いしないで。もうそれは終わったし、草野さんにやらせるつもりもない。それは誓って本当」
彼女の冷静な態度が、かえって私の理性を逆撫でした。カッと頭に血が昇る。
「じゃあ、何であんたみたいのがよもぎと一緒にいるのよ! 土曜日、水族館行ってたじゃん‼︎ 今日だってクッキー貰って、」
「告白されたから」
「──────は?」
頭の中が真っ白になった。
土屋が、淡々と言葉を続ける。何でも無いことかのように。そんなわけがないことを。
「二週間前かな。ここで草野さんに告白されて、オーケーしたの。だから一緒に水族館へ行ったし、クッキーも焼いてもらった。それだけ」
「………………こくはく?」
「うん。付き合って欲しい、って」
告白って何。違う。なに、って事はない。意味くらい分かる。分かる、けど。それでも言わずにはいられなかった。私の喉から、かすれたうめき声が溢れる。
「いや、だって、あんた女でしょ……」
「そうね」
「な、なんで」
「それ、何に対する質問? 草野さんが私に告白した理由? それとも、私がオーケーした理由? 悪いけど、前者なら私には分かんない」
首の後ろのチリチリが、灼けるような熱に変わる。本当は、そのどちらでもない。本当の疑問はこうだ。
なんで、私じゃないの?
でも、そんなこと、口に出せる筈がない。私は、喉から声を絞り出すようにして尋ねた。
「じゃあ、なんで、オーケー、したの」
「顔が良くて胸が大きかったから」
「───はあ⁉︎」
砂漠みたいに乾いた喉から、自分でも驚くくらい大きな声が出た。
顔。あとこいつ今、胸って言ったか? 胸って。確かによもぎのは大きいけど。夏場に横に立つと、私でも目で追ってしまうくらいだけど。
触りたい、って。
私も、考えたことくらいはあるけど。
「前から触ってみたかったんだよね。あれだけ大きいと、いろいろ楽しめそうじゃない? 枕にしたら、すごく気持ち良さそうだし」
「な、は、おま、な」
「まあ、それだけではないけどね」
真っ白な頭に、赤い怒りが差し込む。ありったけの殺意を籠めて、目の前の女を睨めつけた。
土屋は、平然としていた。校舎裏に来たときからずっと、こいつは平然としている。
私は言った。
「そんなの、許さないから」
「恋愛に友達の許可が必要って、初耳」
「……それは……」
唇を噛む。それはそうだ。土屋の言い分が正しい。圧倒的に正しい。
もちろん恋愛は自由だ。
そもそも恋愛の大半って、見た目じゃないのか。格好いいから。可愛いから。背が高いから。その、胸が大きいから。そういうものだろう。そうではないこともあるだろうけど。
そもそも経験ないから知らないけど。
とにかく私が怒る理由なんてどこにも無い。無い筈だ。
なのに。
どうして今、私の脳髄はこんなにも猛り狂っているんだろう。
「話は終わり?」
土屋が、片手を腰に当てた。終わりな訳がない。でも、何を言えばいいのかさっぱり分からなかった。というか何を言いたいんだ私は。
でも、とにかく嫌だ。すごく嫌だ。
こいつがよもぎの胸に、太ももに、唇に、肌に触れる姿を想像するだけで、吐き気を覚える。
それでも、土屋琥珀にはその資格がある。
何故ならこいつは草野よもぎの、恋人だからだ。
理屈が向こうにある以上、後はもう、感情に訴える他になかった。
「……やだ」
「何が?」
「私が、やだ。あんたには、指一本だって、よもぎに触って欲しくない」
シミュレーションには無かった、無様で情けない、ぐずる子供のような声。この上なく惨めな私を冷徹に見下ろして、土屋は、確かに嗤った。彫刻品みたいな唇の片方が吊り上がる。
「惨めだね」
知ってる。
「でも、分かった。いいよ」
顔を上げる。
視線が交錯して、土屋は素っ気なく頷いた。
「水谷が代わりをしてくれるなら、いいよ。草野さんには手を出さない。約束する」
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