第4話
私たちが二年生になって数日後、よもぎの予言どおり、彼女の妹が演劇部の部室を訪れた。
「草野雫です。宜しくお願いしまーす」
自然な黒髪をシュシュで結んだ彼女は、雑誌のジュニアモデルみたいだった。秀逸な顔の造形、特に眉の辺りが姉に似ている。
部員の一人一人に挨拶をしながら、雫は私の元へとやってきた。こちらが名前を名乗ると、ぱっと表情を綻ばせる。
「姉から聞いてます。これからご指導ご鞭撻、よろしくお願いしますね。水谷先輩」
その、みずたにせんぱい、という言葉の響きがあまりにもよもぎとそっくりで、小さく吹き出してしまった。雫が怪訝な顔をする。
「ごめん、何でもない。私もよもぎから聞いてる。宜しく、草野」
「あ、雫って呼んでください。お姉とややこしぃんで」
当たり前のように、雫の面倒は私が見ることになった。同じ役者志望ということもある。演劇部といっても、裏方志望で入ってくる子はいて、むしろはっきりと役者を希望しているほうが珍しいくらいだ。
雫は、愛嬌のある後輩だった。甘え上手な点は姉に似ていて、しかし同時に器用で要領が良い。台本を読ませてみると、ちゃんと通る声を出す。そのうえよもぎの妹だ。懐かれて、嫌な気はしない。
彼女の入部から、一週間ほど経った日のことだった。
放課後の部室で一人、台本を読み返していた私の元に、雫が近寄ってきた。手に何か持っている。
「あっ、水谷先輩。これ差し入れです。家庭科の授業で作ったクッキー」
「さんきゅ」
ラッピングされた袋を受け取る。いじらしい後輩は、そのまま私の横で膝を曲げて座り込んだ。
「何読んでるんですか?」
「次の定期公演のホン」
「わあ、わたしにも読ませてくださいっ」
首を伸ばして、手元を覗き込んでくる。同じシャンプーを使っているのか、姉と似た柑橘系の匂いがした。
「これ、どんな話なんですか?」
「気になる?」
「はい。なんか、タイトルは聞いた気がしますけど」
ホチキス止めされた紙の束を撫でる。顧問の趣味で、今回の脚本も古典名作だ。古典といっても、そもそも元の筋書きどおり演じるには尺が足りないし、学生向けにしてはどうしても堅苦しいから、見せ場を継ぎはぎして台詞を変えたアレンジ版だけれど。
私もまだ、読み込めてはいない。
それでも、きらっきらに輝く後輩の目に負けて、私は語り始めた。
「昔々、あるところに小姓───小姓ってわかる? うん。蘭丸的なやつ。小姓がいて、でも普通の小姓じゃなくて、男装してるの。死んだ兄の代わりに。だから本当は女で、その小姓は自分のご主人様が好きなわけ」
「はいはい」
「で、ご主人様が小姓に命じるの。『私はある令嬢に恋をしているから、私の使いとして彼女に告白してくれ』って」
「はー。とりあえず、おっさん告白くらい自分で行けよ! って感じですね」
「まあ、時代が違うから」
正直私も思ったけど。
「で、男装の小姓が令嬢のところに行くんだけど、令嬢はご主人様じゃなくて小姓を好きになっちゃう」
「百合ですね」
百合?
「えーっと、つまり。小姓はご主人様が好きで、ご主人様が令嬢が好きで、令嬢は小姓が好き?」
「そう」
「軽く地獄ですね」
言葉と裏腹に、雫の唇はにんまりと弧線を描く。楽しそうだ。いい性格をしている。水を差すつもりで、言った。
「でもハッピーエンドだよ」
「なんだぁ、つまんない。ネタバレください」
「死んだはずの主人公の双子の兄が実は生きてて、兄が令嬢と、小姓がご主人様とくっつく」
雫が丸っこい膝頭から手を離して、ずっこける真似をした。リアクションの大仰さも姉と似ている。私は彼女の頭をぽんぽんと二度叩いた。
むくれた雫が、つんと口を尖らせる。
「反則じゃないですか。本格ミステリの双子トリックみたいなもんですよ、そんなの」
「シェイクスピアを反則扱いする人、初めて見た」
というか、これはおそらく私の説明が良くないせいだ。伏線だの序破急だのを無視して話しているから、唐突に思える。要ははしょり過ぎているだけで、シェイクスピアに罪はない。あるわけがあるか。
「お兄さんが復活しないほうが面白くないですか? こう、泥沼って感じで」
どろぬまー、と雫が両手をゾンビみたく持ち上げた。丸っこい手をぷらぷらと左右に振る姿は、モンスターというにはちょっと愛らし過ぎる。こいつ可愛いな……という所感は、二年生の威厳を保つため、おくびにも出さない。
「それじゃ、ハッピーエンドにならないでしょ。これ、喜劇だからね」
後輩がむぐむぐと唸る。底なし沼みたいな三角関係に未練があるのか、彼女は声をひそめて私へ尋ねた。
「じゃあ、先輩は、お兄さんがいなかったらどうなったと思います?」
決まっている。
AはBが好きで、BはCが好きで、CはAが好き。
ぐるぐると円環する関係性はどこにも辿り着かず、上昇も止揚もできず、ただひたすらに落ちていくだけだ。舞台の底に仕掛けられた、奈落を目掛けて真っ逆さまに。
だから、私は確信を持って答える。
「どうもこうも───悲劇以外の何でもないでしょ、そんなの」
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