長い夜の始まり
宿泊施設に着いて早々、嫌なことは続く。
大部屋にはトイレが併設されておらず、廊下にある集合トイレまで行かなくてはならないという苦行をその場で知る。
ただでさえ、つい先ほど怖い話を聞いてしまったというのに。
夜は外へ出るなって聞いてしまったというのに…。
「ヤバくない? マジで大部屋じゃん」
「広いけど最悪…」
「とりあえず写真撮っとこ」
戦々恐々とする私を後目に、例の女子3人組は陽キャ雰囲気全開で騒いでいる。
これがもし夜中も続くのかと思うと、頭が痛くなる。
ため息だってこっそりとつきたくなる。
しかし。ここで私にとっては良い出来事も起こった。
3日目まで快晴と言われていた空の雲行きが、午後から怪しくなってきていたのだ。
もしかすると明日の登山は中止になる可能性もある。
そんなことを願いながら私は流れに身を任せ、1日目を何とか乗り越えた。
夕食もようやく終わり、いよいよ就寝の時間が迫ってくる。
月も星も暗雲に隠された、暗い暗い夜が始まろうとしていた。
午後9時、就寝。
消灯された室内は薄暗く、しかし話し声は止まず。
薄っすらとスマホの灯りすらあちらこちらで見えている。
「うっそヤバいってそれ…」
「いやホントだし」
「うけるー」
そんなくだらない会話が嫌でも耳に入ってくる。
こんな状況では眠れるはずもなく。
都市伝説以上の苦痛が、今まさに私を襲っている。
「ねえ…鎌田さん眠れそう…?」
ひっそりと聞こえてきた声。
私は驚き、思わず声を上げそうになる。
だがそれが私の隣で寝ている斎藤さんのものだと気付き、必死にその声を抑えた。
「無理かも…」
「だよね…」
「あの…私もかも…」
更に突如聞こえてきた第三者の声。
それは私の逆隣の布団に入っている伊藤さんのものだった。
私を含めたこの3人は班決めでも誰とも組めず、残った者同士のいわゆる陰キャ同士だった。
これまで特に会話するような間柄でもなかったが、これを機にそれなりには話すようになっていた。
「トイレって言って出て、先生に報告しに行く?」
そう案を出したのは伊藤さんだった。
私は直ぐに賛成できず、何も返せなかった。
「だめ?」
「いや、良いと思うけど…」
「じゃあ3人で一緒に行く?」
脳裏に過るのは午前バス内で聞いたあの都市伝説。
『ルナちゃん』
噂だって都市伝説だって、分かってはいるけれど。
いざとなると、足が一向に動かなくなる。
「…でも、チクったって怪しまれるのも嫌だし…もうちょっと我慢しとくか」
言葉に詰まる私に代わって助け舟を出してくれたのは斎藤さんだった。
「そうだね」
私はそれだけ返して、布団の中に頭を埋めた。
そうだ。
眠れさえすれば問題ないのだ。
朝になれば怖くなんかない。
私はそう信じて。そう願って。
時折耳に入っていくる鬱陶しい会話にむしろ感謝しようと思うようになったところで。
ようやく眠りにつくことが出来た。
―――はずだった。
ふと、私は目を覚ましてしまった。
目覚めてしまった。
正しくは脳が冴えたような感覚で、瞼を開けてまではいないけれど。
瞼の向こうはまだ暗い様子で、人の寝息やいびきがちらほらと聞こえてくる。
斎藤さんと伊藤さんの寝息は物静かな一方で、あの女子グループは寝ていても随分と騒がしい。
が、その騒がしさが逆にありがたい。
今の私には無音の方がむしろ恐ろしかった。
そこから聞こえてくる嫌な物音が恐ろしかった。
(何もいない、誰も来ない。恐ろしくない、怖くない…)
そう思えば思うほど頭の中で膨れ上がる恐怖。
『ルナちゃん』
いっそのことスマホで検索しちゃって作り話だって確信した方がすっきりするだろうか。
いや、この宿泊施設に来てから電波がどうにも不安定で。
夕方にスマホを見たときは圏外になってしまっていた。
(…今何時なんだろう)
それこそスマホで確認すれば一発でわかることだ。
だが、そうしてしまったら最後。
スマホの明かりのせいで、絶対目が冴えてしまう。寝られなくなる。
こういうときほど、そんなものなんだ。
それに、スマホの明かりで他のクラスメイトを起こしたくもないし。
だから私は。
固く瞼を閉じたまま。
布団に潜りながら。
外が―――瞼の向こうが、明るくなるのをずっとずっと待ち続けた。
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