玉手箱③

「は、なんで……」


 思わず口から零れた言葉に自分で驚いた。


 翔太から届いた結婚式の招待状には、加代の名前があったからだ。


 加代は、俺が初めて付き合った子だった。クラスでも人気の彼女に告白された時は、本当に天まで舞い上がってしまいそうだった。初めての告白。初めてのデート。初めて触れた彼女の小さく柔らかな手。


 こんなこと、今まで思い出しもしなかったのに。この招待状の名前を見るまでは。


 考えてみれば上京する時に別れてそれっきり。十年以上会っていない。そりゃそれだけの時間があれば人は変わるか……。


 そう思っても、加代は俺のことを待っててくれてるんじゃないか、なんて。そんな都合よく考えていたから驚いたんだ。変わらない笑顔で、俺を待ってるんじゃないか。あのはにかんだ、やわらかな声で「待ってた」って言ってくれるんじゃないか。……なんて、そんな妄想じみた期待が、まさかこんな形で打ち砕かれるとは。


 挙式は六月。ベッタベタのジューンブライドだ。純白のドレスをまとった加代は、きっと美しいだろう。


「あ、鈴木さん」


「鈴木さん、知ってました? 六甲のおいしい水って、今は別の名前で売られてるんですよ」


「えっ……あ、そうなの?」


 コーヒーを淹れに来たら、また彼女たちに話しかけられた。


「そうなんですよ、この前鈴木さんにオススメされたんで、私たちもちょっと気にして探したんですけど、売り場になくて」


「それで調べてみたら今は『おいしい水 六甲』って名前になってますし、西日本でしか売ってないんですよ」


「そうなんだ……」


「ずっとふつうにそこにある気がしてましたけど、いつの間にか変わっていっちゃうんですよね」


「そうそう、お気に入りのお菓子とか、すぐ市場から消えちゃうんですよね。変わらないものなんて、ひとつもないのかもしれません」


「それはあなたがマイナーなお菓子ばかり好きなだけでしょ?」


 笑い合う彼女たちはいつも通り変わらない様子だった。


 ただの水がいつの間にか変わっているというたったそのことに、何故だか驚いている自分がいた。


 ただの水でさえ、いつの間にか変わっている。ひっそりと、誰に知られることもなく、昔からそうだったかのような顔をして。


 時代と共になのか、経営者が変わったのか、それとも何か別の理由があるのか。だけどそんなことは俺たちには関係がない。いつの間にか変わってしまうということ。俺たちがそう感じてしまうこと。


 それなら人間は。


 同じところに変わらずになんて、そんなことはできないだろう。


 頭ではわかる。


 わかっているのに。

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