本文

○序章


漠々たる砂の連なりを、赤い月が静かに照らしている。

 深い藍色の夜空は一見澄んでいるように見えるが、もしかしたら砂嵐が来るのかもしれない。

月の光が赤みを帯びているということは、空気中の塵の量が増している証左だ。古来より赤い月が不吉とされてきたのは、こと砂漠地帯では砂嵐の前兆であるからであった。

 事実、そろそろと強まる風によって、砂の山がさらさらと崩れだした。

 異変の前兆を捉え、泳ぐように砂の上をくねっていたスナウミヘビが慌てて深く潜り込んだ。この恒温性を獲得した夜行性の爬虫類は祖先が携えていた温度探知能力も健在で、この『砂塵領域』でもっとも環境の変化に敏感な生物のひとつだった。

 少し遅れて、夜空を舞っていたヨナキツバメも慌てて方向転換し、周辺の仲間が次々と合流し、大きな生物のように一塊になって遠くへ飛び去っていった。コウモリの亜種でありながらツバメと呼ばれるほどスマートで洗練されたこの飛翔体は、優れたロケーション能力によってなんの目印もない砂漠でも安全な巣穴へまっしぐらに飛んで行けるのだ。

 さらに、砂のそこかしこで蠢いていた多くの昆虫たちも砂の中に潜ってゆく。

 砂漠の住人たちが慌ただしく店仕舞いをする中で、ぽつりと動き続ける影があった。

 人か、人型の何物か、のようであった。

 なにしろ〝茫漠〟という言葉を体現するように広大無辺な砂塵領域だ。その生態系の全貌は未だ掴めず、かつて人々が『ビッグフット』や『イエティ』と呼んでいたような未確認人型生物が生息していても不思議ではない。

 また、砂塵領域で最も恐るべき『砂獣』の中には、人型に近い姿を取るものもいる。人影らしいから『人』だと判断するのは、この砂塵領域においては早計だ。

 その何物かは、かなりくたびれた防砂マントで身を包んでいた。どうやら文明圏に属しているか、または属していた人物のようである。

 防砂マントの人物は、頭部を風除けの長布で覆っていた。その隙間から、紅月に照らされる中でなお青白く輝く銀髪が溢れていた。その銀髪がゆらゆらと揺れ、やがてすぐに勢いよく翻り出した。

 ラピスラズリの如く煌めいていた夜空は、すでに不吉な黒い砂雲に覆われていた。もはや赤い月の光も遮られ、飛蝗の群れの如き黒黒とした砂嵐が吹き荒れはじめる。

 真っ暗だった。

 時折、ビカリと漆黒の渦の中で光が瞬き、刹那の後に轟音と衝撃が暗黒をざわめかせた。

 強烈な空気稼働で摩擦された大量の砂塵が稲妻を発生させているのだ。

 砂嵐の中は、まるで創世神話のように混沌として、神の怒りの如き暴威が轟々と吹き荒れていた。

 そんなこの世のともとも付かぬ地獄の中を、防砂マントの人物は黙々と歩き続ける。時折、直ぐ側で小柄なその身体を飲み込まんばかりの雷光が閃くが、そんなものは眼中にないかの如く足取りが乱れなかった。

 砂嵐の中で歩き続けるだけでも驚きであるが、余程肝が太いらしい。

 もしくは、自分の身の安全など眼中にないのか。

 圧倒的な猛威に何ら臆することなく歩み続けるその姿は、自殺志願者にしては厳粛に過ぎ、敬虔な殉教者にしては無軌道に過ぎた。

 歩き、歩き、歩き続け――やがて防砂マントの人物は砂嵐を通過した。

 空が白み始めている。砂嵐の中を歩き続ける内に、いつの間にか夜を越していらしい。嵐の余韻でいくらか烟った空に、太陽が半分ほど顔を出している。

 砂漠を余すところなく照らし出そうと輝きはじめる太陽だったが、防砂マントの人物の前方にぱっくりと開かれた亀裂を照らすにはいまだ輝きが足らないようだった。

 大きく、深い、長大な亀裂。

 谷、と言うには、あまりに唐突だった。砂場で遊ぶ子供が気紛れにスコップで掘り返した――そんな脈絡のない大地の亀裂であった。

 防砂マントの人物は、眼前にある亀裂を回り込むでもなく、砂嵐と同様に真っ直ぐ近寄っていった。真っ直ぐ進む事が目的というかのように、何の迷いもなく亀裂の端に辿り着くと、ほとんど直角に落ち込む断崖を手足だけを頼りにして降りてゆく。

底が見えない。地の底の底、地獄にまで続いていそうだ。いや、底など無いのかもしれない。落ちたら、何処にも辿り着けず永遠に落ちてゆくのではないか。そんな恐怖を起こさせる真っ暗な亀裂を、防砂マントの人物は一定の速度で降りてゆく。

恐怖はないらしい。

いや、そもそも感情が、心が、この人物に存在するのだろうか?

この人物はきっと、底に辿り着いても何の感慨もなく、目の前の断崖を降りた時と同じようによじ登り始めるのだろう。登りきったら、また歩き始めるのだろう。そう確信させる、極めて機械的な迷いのなさであった。

太陽が真上で輝き始める頃、防砂マントの人物は亀裂の底へ辿り着いた。辛うじて薄明かりに照らされる亀裂の底は、淡白く輝いていた。とうやら、塩の結晶に覆われているらしい。岩塩の鉱脈でもあって溶け出したか、あるいは大量の海水が存在していたのか。

が、防砂マントの人物は、砂漠の旅人なら喉から手が出るほどの発見をしながら、大量の塩の結晶に興味もなさげに対面の絶壁を登ろうと歩き出し――

――ガシャリ。

足の下から鳴ったその音に、ぴたりと歩みを止めた。

年季の入ったブーツを横にずらすと、そこには粉々になったガラスの破片があった。

天然のものではない。明らかに人工物であった。

彼――または彼女――は、そこで初めて周囲を見回した。

見れば、断崖の一角が崩れ、そこにはビルの面影を残す鉄骨とコンクリートが剥き出しになっていた。大量の土砂で埋まっていたものが、何らかの拍子に顔を出したようであった。

防砂マントの人物はしばし立ち止まった後、そのビルの残骸へと歩み出し、窓枠をまたいで内部へと侵入した。

埋まった建物の内部は当然ながら真っ暗だった。

防砂マントの人物は、マントの下のポシェットからケミカルライトを取り出し、折り割って床に放った。ぼんやりとした蛍光が発生する。

大量の砂に埋もれていたおかげだろうか。外気と繋がったのもつい最近のことなのか、内部は風化も最小限に残されていた。どうやら、オフィスの一室だったらしい。ひっくり返った机と椅子、天井からぶら下がった蛍光灯の残骸がまだ形を残していた。

床に大量の紙が広がっていたが、読むことはできなさそうだ。ブーツに触れると、すぐにボロボロに崩れてしまった。空気に触れていなかったと言っても、さすがに劣化は免れなかったのだろう。

防砂マントの人物はオフィスを出て廊下を進み出した。とくに進むべき方向もないのか、突き当りの階段を下へ下へと降りてゆく。しばらくは入ってきた階層と同じ廊下とオフィスが続いていたが、階段の階層表記が『B1』となった頃から様子が変わってきた。大規模な研究所らしき機械が現れ、やがて地下十階で階段は途切れ、整備廊下らしきものに行き当たる。

大量のパイプやケーブルが絡み合った、巨大な生物の内部のような通路を進むに連れ、空気が震え初めた。

やがて、ハッキリとした機械の稼働音が聞こえてくる。

驚くことに、いまだ動力が生きているらしい。

砂塵領域の奥の奥、砂の底の底に埋もれていた施設が未だ生きているなど奇跡に近い――いや、はっきりと奇跡だった。

防砂マントの人物の歩みが徐々に、やがて目に見えて速まってゆく。砂嵐の中でさえ一定だった速度が変化したのだ。

気が逸るように歩みを進めると、巨大な金属製の扉に突き当たった。どこかで動力は生きているものの、扉を開く端末はすでに死んでいるようだ。

ケミカルライトを掲げると、扉の上のプレートにはこう記されていた。

『COLD SLEEPING ROOM』

彼――または彼女――は、力任せに開けるべく、扉の隙間に両手を引っ掛けた。

ぎぎっ、と音を立てて扉が動くと、ぶわっ、と空気が流れた。扉の向こうは密閉されていたらしい。少し遅れ、冷ややかな空気が漏れ出した。

人一人が潜れる隙間が開くと、防砂マントの人物は身を滑り込ませた。

扉の向こうには――壁の両側に試験官が連なっていた。

巨大な、人一人を収められるほどの試験管だ。

試験管の中には、人間らしきものたちがそれぞれ収められていた。

そう――人間らしきもの、だ。

あるいは――人間の残骸、だろうか。

大多数の割れた試験管には、ミイラ化した遺体が収まっていた。

割れていない試験管には、黒く濁った溶液が満たされたいた。

コールドスリープ――人工冬眠システムで眠りに付いた人間たちの成れの果てだろう。

百年か、二百年か――どれほどの時が経っているかは正確には不明だが、砂に埋れた施設の動力が生きているだけで奇跡なのだ。動力経路の寸断、機器の破損等々、システムが機能不全に陥る理由などいくらでもあったろう。

辛うじて幸いと呼べるのは、此処で眠っていた人間たちは苦しむことなく、悪夢もなく死んで逝けたということだろうか。

「…………」

 防砂マントの人物は試験管の連なりの間を進んでゆく。これまでの歩みと違い、響く足音にはどこか必死さを感じさせた。

 やがて、部屋の突き当りに行き着く。

 ここまで、無事なシステムは一つもなかった。

 だが、最後の最後。

 部屋の奥の奥で。

 静かな駆動音を発する試験管を見つけた時、顔に巻きつけた布の隙間から、

「……あぁ……」

 と、幽かな吐息が漏れ出した。

 ふらふらと、無事な人工冬眠システムへ歩み寄る。

 ケミカルライトの淡い光に照らされ、試験管の向こうでいまも穏やかに眠る少年が浮かび上がった。

「……ああ……あぁ……」

 もう一度、吐息が漏れ出す。

 それは――

――安堵の吐息のようであり、

――感動の喘ぎのようであり、

 ――悔恨の呻きのようであり、

 ――絶望の嘆息のような息遣いであった。




○一章冒頭


ミラード村は、砂塵領域の辺境の小さな村だ。

 非侵食建材で建てられた箱のような建物が軒を連ねるのは辺境でよくある光景だが、井戸があるおかげで幾分か緑が多い。砂漠の只中にあって、身にも心にもオアシスと呼べる得難い村だった。

 酒場で出される肴も、どうやら香草が栽培されているようで中々のものだった。

「スナウミヘビの蒲焼きがこんなに美味くなるとは知らなかったなぁ……」

「兄ちゃん、スナウミヘビを食べたことがあるのか?」

「必要にかられてね。もっとも生臭くて食えたもんじゃなかったが、これは美味い」

「おうよ、このミラード村の数少ない自慢だ」

 辺境の村に酒場などは一件あれば良い方で、だからこそ村人たちで夜な夜なごった返すのは辺境ではお馴染みの光景だ。申し訳程度の香りを付けたバイオエタノールを薄めた安酒をかっ喰らいながら、顔馴染みが「代わり映えのしない顔だなぁ」と笑い合う。時には頭に生えた結晶角を互いに引っ掴んでの殴り合いに発展することもあるが、それも辺境では数少ない娯楽の一つだ。

 が、そんな辺境によくある風景も、今日はいささか様子を異にしていた。

 辺境は、砂獣蠢く危険地帯と隣合わせだ。さもあらん、辺境とは砂塵領域の可住域の突端に他ならず、危険地帯のこそが辺境住人たちの役割なのだから。

 辺境は、未だ続く砂塵領域とヒトの戦いの最前線だ。

 そんな場所にやってくるのは、血気盛んな向こう見ずな若者か、あるいは安定化の遅延を見過ごせぬと『機都』から派遣されてくる軍属くらいなものだ。

 だが、今日ミラード村を訪れた二人は、それら辺境の訪問者とは趣を異にしていた。

 いま、村人たちに囲まれる若い男は、ぱっと見は自分の力を試しにやって来る向こう見ずな連中と変わらないように見える。十七か十八か、そのくらいの外見年齢をしている。

 砂塵領域では珍しくないありふれた防砂ジャケットを着た、黒髪に黒い瞳の平凡な造作の若者だ。一番分かりやすい特徴は、頭に巻いた鉢金と呼ばれる簡易的な防具だろうか。

 村人たちはその頭にしっかり巻かれた装備に首を捻った。彼らも頭部を砂から守る装備は色々と用意するが、普通はフードやゆるく巻いた長布が殆どだ。

 当然だ、ヒトの額周辺には結晶角が生えている。

 頭を締め付けるバンダナの類は結晶角を押さえ付ける羽目になるので好まれない。目や鼻とは言わないが、耳をずっと押さえつけられたような微妙な違和感が煩わしいのだ。

 とはいえ、何らかの事情で結晶角が折れ、再生するまで保護しているのかも知れない。辺境では砂獣との戦闘で結晶角が傷付くのは日常茶飯事で気になどしていられないが、ナイーブな連中は折れた結晶角が恥ずかしいと隠すこともある。村人たちは若者の鉢金に関してはノータッチでいることに決めた。

 では何が村人たちを驚かせたかというと、彼らは東からやってきた。

 辺境の最東端であるミラード村のさらに東――すなわち安定化も行われていない危険地帯から姿を見せたのだ。

 村人たちは彼らを新種の砂獣と疑って臨戦態勢を取った。

 が、若者が人懐っこそうに笑って、朗らかな声で村人たちに語り掛けてきた。

「驚かせてすまない。久しぶりの人里が恋しくてね。二、三日ほど滞在したいんだが泊まれる場所はあるかい?」

 気安く明けっ広げな様子に、村人たちの緊張は続かなかった。

 若者は言葉通り、人里恋しかったように村人たちに話し掛け、そのままこうして村に一つしかない酒場で四方山話に花を咲かせはじめた。

 そう――若者はごく普通の〝旅人〟だった。

 危険な辺境ではむしろ珍しい人種だった。

 いまも、村の自慢である香草を使った鳥の蒸し焼きを摘みながら、旅の苦労話などを身振り身振りで陽気に喋っていた。

「砂漠で一番旨いのはやっぱりスナミミズだな。見た目はグロいけど、クセのない赤み肉で普通に旨い。肉汁もたっぷりで瑞々しいしな。見た目はグロいけど」

 食べた時のことを思い出したのか、若者は微妙そうに笑った。

 ちなみにスナミミズは名前通りのミミズの仲間で、砂中のわずかな有機物を主食とする実に大人しい生き物である。

「スナミミズ、かぁ。この村にも土壌改良用の養殖ミミズはいるが、あれをそのまま大きくしたヤツらだろ? よく食えたな……」

 酒屋の主人がうへぇと口をひん曲げ、額に生えた親指ほどの大きさの赤色の結晶角をぽりぽりと掻いた。この村の胃袋を担う主人からすれば多少の興味はあるが、旨かろうと人を丸呑みできる巨大ミミズを調理するのは遠慮したかった。

「見つけた時は必ず捕まえてたが、何度やっても慣れないんだよなぁ……絞めて捌く頃には食欲が無くなってるし」

「トワさんはゲテモノ食いなのか? オレだったらゴメンだなぁ」

「俺だって別にゲテモノばっかり食ってるワケじゃねぇし」

 旅人――トワと呼ばれた若者は、額に巻いた鉢金の位置を直しながら苦笑した。

「砂漠を彷徨いてればゲテモノでも貴重ってだけだ。特に、スナミミズは貴重なタンパク源と脂肪分だからな。狙って見つける獲物じゃないが、見つけたら捕まるのは簡単だ。スナツバメを落とすよりは簡単だから止むを得ず、だよ」

「いや、スナツバメもゲテモノじゃないか」

「遠目はしゅっとしてるんだが、近目でみるとなぁ……」

 早朝と夕暮れに群れで移動するスナツバメを思い返し、村人たちは「やくやるわ」と感心した眼をトワという名の旅人へ注いだ。

「まぁ、ゲテモノはゲテモノで味があるし……お、そうだ。そういえば話題に上がったスナミミズの干し肉があるんだった。なぁ、シュナ、あれを出してくれよ」

 トワはそう言って、隣りに座るもう一人の旅人へ声を掛けた。

「…………」

 ずっと黙って座っていたその女性が、ゆっくりとトワへと顔を向ける。

 言葉は悪いが、凡庸な外見のトワとは打って変わって、現実離れした美貌の女性だった。





○戦闘シーンサンプル



 ――ギジィィイイイイイイイイッッッ!!

 ナノマテリアルで構成された砂キマイラは、戦士たちが構成した武器を突き立てられ、ガラス片を擦り合わせたような咆哮を撒き散らした。

『デフラグメント!』

 戦士たちの結晶角が発光し、各々が構成した武器を通じて砂獣を無力化する為のデフラグコードを流し込む。暴走した攻性プログラムからブツ切れになった強制終了コードを引き出すことで、砂獣を崩壊させることが出来る――筈だったが。

「なにっ!?」

いつものように砂獣が無害化されたナノマテリアルへ崩壊すると思っていた戦士たちだったが、彼らの予想は半分当たり、半分外れた。

武器を突き立てられて崩壊したかに見えた砂キマイラだが、その崩れた砂の向こうから、一回り小柄になった砂キマイラが飛び出してきた。

一回り小柄といっても、元の全高が二階建て家屋ほどもある巨体だ。いまだ太い四肢や、大蛇そのものの尻尾を振り回し、砂獣狩りに慣れた筈の辺境の戦士たちを吹き飛ばした。ある者は半ば砂に埋まり、ある者は非侵食建材をぶち破って家屋の中へ吹き飛ばされた。

「ぐぐ……何が……っ!?」

 かろうじて直撃を避けた戦士が吹き飛びかけた右腕を押さえて立ち上がるが、彼の見ている先で、砂キマイラの周囲で砂が渦を巻き、先程と同様の巨体を再構築していた。

「抜かった! こいつ、身代わり装甲を……っ!」

 何らかの情報攻撃でナノマテリアルの構成がジャミングされても、その情報攻撃を引き受けてあえて崩壊し、本体プログラムを守るためのシステムだ。

 過去のマテリアル兵器にはよく見られる防御機構であったが、まさかいまだ身代わり防壁の再構築が出来るだけの高度な機能を残す攻性プログラムが生存していたなど、まったく予想外のことだった。

 ――ギジィイイ……

 情報攻撃から身を守る鎧を再構築した砂キマイラは、獅子の頭部をずいっと掲げ、その口を大きく開いた。開かれた喉の奥で、光が集い始める。

「いかんっ!! 逃げ――」

 閃光が迸った。

 膨大な熱量を秘めたレーザーが、オアシスの街に爆炎をもたらした。

 いまだ無事だった戦士たちは吹き飛び、非戦闘員たちが降りかかる火の粉に悲鳴を上げた。

 ――ギジィイイイイイイイイイッッ!!

 砂キマイラが軋るような咆哮を上げる。その咆哮には、愉悦じみた震えが混じっていた。

 気の遠くなるような年月を地中深くで待機し続け、ようやくその性能を発揮できたことに、感情のないはずの兵器も存在意義を遂げられて喜悦を感じているのかもしれない。

 彼を生んだ勢力も、彼が滅ぼすべきだった勢力も、それどころか彼が殺戮すべき人間も消え去ったというのに。

 いずれにせよ、砂キマイラとして顕現した攻性プログラムは、兵器としての使命を全うすべく、目につく人工物全てに破壊を撒き散らしていく。

 植物の緑と水路の青色で溢れていたオアシスの街が、紅蓮の炎で染まっていく。

 ――ギジジィ……

 いまだ破壊を逃れた何かを探して、砂キマイラは獅子と羊、蛇の三つの頭を巡らしながら火の粉舞う大通りを闊歩する。やがて、逃げ遅れた幼い少女を見つけ、砂キマイラは三つの頭部で舌なめずりをする。感情なきプログラムの筈だが、待ちに待った殺戮に高揚しているのかも知れない。

「あ、あ……」

 道の真ん中にぺたんと座り込んだ少女は、迫ってくる巨大な怪物を震えて見詰めることしか出来なかった。少女の緑色の結晶角はいまだ未熟で、ナノマテリアルの再構築も覚束無い。

 ただ無力なまま迫り来る死から、目を逸らすことすら出来ず、訪れる残酷な最後の時を待つばかりであった。

「――大丈夫だよ」

 そんな少女の視界に、一人の少年が飛び込んできた。昨日やってきたばかりの『旅人さん』だ。

 トワは、震える少女を抱き止め、迫ってくる怪物のことなど知らぬげに、優しい声で語りかけた。

「大丈夫。もう何も怖くないからね」

「あ……お兄さん……?」

 旅人のお兄さんの言葉には、なんの根拠もなかった。彼は戦士のようには見えないし、何か強力な武器を持っているようにも見えない。辺境に生きる戦士たちを一蹴した砂キマイラを撃退出来るとは思えない。

 ……けれど。

 なんてことのないその言葉は、周囲の炎や、迫り来る怪物の恐怖など大したことないと言わんばかりに落ち着いていた。その穏やかな声に、いつの間にか少女の身体の震えは止まっていた。

 ――ギジィイイイイイイ……ッッ!!

 自分を無視するような少年の態度に、砂キマイラは威嚇するような叫びを上げた。殺戮兵器である彼にとって、自分に怯えを見せないことは、ひどく腹立たしい行いであった。

 身の程知らずの少年を蒸発させようと、獅子の口の奥で、灼熱の光が集い始める。

 ――ギジジジジジジジッ!!

 熱戦が吐かれた、その刹那。

 膨大な量の砂――大量のナノマテリアルがトワと少女の周囲で砂嵐のように渦を巻いた。

 高出力レーザーが砂を赤熱化させて蒸発させていくが、渦を巻く膨大な砂の密度に少しずつ勢いを削がれ、ついには防ぎ切ることに成功する。

 ――ギギィ……

 砂キマイラが警戒したように一歩下がる。

 舞い飛ぶ砂のヴェールが薄れていくと、少年と少女に加え、新たな人影が立っていた。

「……御身を大事になさってください」

 バサッ、と防砂マントが風に煽られて飛んでいく。

 マントの下から姿を見せたのは、美しい女性型のマテリアノイドだった。

砂混じりの風で翻る銀髪に、砂漠の太陽も焼くのを遠慮したかのような眩い白皙の美貌。フィットした簡素な耐砂スーツからも、そのしなやかな肉体が伺える。

だが何より美しく煌めくのは、彼女の額に生えた二本の角――マテリアノイドの象徴であり力の源でもある結晶角だ。

 日没間際のもっとも濃く鮮やかな夕光を凝縮したような、真紅の煌めきを持つ柘榴石の角だった。

「あなた様は、このような危険に自ら飛び込むようなお方ではありません」

 素顔を見せたシュナは、静謐さを感じさせる美女だった。冷厳で厳粛な印象のある瞳を、トワが砂キマイラから守るように抱え込んだ少女に向ける。

「たとえ、この街の住人すべてが死に絶えようと、御身の命はそれより遥かに重要なのです。どうか安全に――」

「けど、こうなったらもう、見捨てて逃げろなんて言わないでしょ?」

「…………」

 トワの言葉に、シュナは苦言を呑み込んだ。

「……畏まりました。驚異を速やかに排除いたします」

 トワを背に庇うようにして、シュナは砂キマイラに向き直る。

 砂キマイラも、柘榴石の角を持つ美女に、何かを感じ取ったかのように注視する。

「――サーキット、起動」

 ひっそりとした声が漏れるとともに、シュナの結晶角が光を放つ。同時に、彼女の周囲で、風もないのに砂塵ナノマテリアルが舞い始める。

 ――ギジィイイイイイイイッ!!

 手を出される前にと、砂キマイラが再度高出力レーザーを照射する。

 シュナは、すっと差し出した右手で浴びせかけられた膨大な熱量を受け止めた。

 ――ギジィイイイッ!?

 高出力レーザーの熱量を吸収しているかのように、彼女の右手に集ったナノマテリアルが急速に再構築されていく。

 やがて、吐きかけられたレーザが消失すると、シュナの右手には、彼女の体躯を超える巨大な大剣が姿を現していた。

「――マテリアルサーキット《紅炎領域》……起動権限レベル4、開放!」

 シュナの手にした大剣が、ぐにゃりとその姿を揺らめかせた。

 陽炎のごとく揺らめく大剣を手に、シュナはドンッ、と強烈な踏み込みで突撃した。

 速い。

辺境の戦士たちを凌駕するスピードに、砂キマイラはまったく反応できずに右前足を断ち切られた。

――ギジィイイイイイイ!!

砂の幻獣が耳障りな悲鳴を上げる。

大木のような脚を強烈な踏み込みの一刀で切り飛ばしたシュナは、着地と同時に地面に左手を翳すと、砂塵を集めて無数の礫を形成する。横殴りの雨のごとく、即席の礫を砂獣へ打ち出した。

砂キマイラの巨体にとっては文字通り雨のようなものだったが、ダメージはなくとも瞬間的な弾雨が彼のセンサーを覆い隠した。

そしてその一瞬の情報的空白に、今度は彼の胴体が深々と切り裂かれた。

――ギジジジジッ

攻性プログラムは、あの女性型の敵対存在の脅威度を最上位に識別し直した。

彼の自慢の表皮、情報攻撃も物理攻撃も極めて高い防御性能を持つ装甲が、バターで出来ているかのように容易く切断されたのだ。

否――と攻性プログラムは情報を修正した。

切断ではない。溶断だ。

油断なくこちらを伺う銀髪の美女が携える大剣。あの大剣が陽炎のように歪んで見えるのは、あの大剣自体が凄まじい熱量を持っているからだ。

 おそらく、自分が撃ち出した高出力レーザーを上回る熱量を、あの武器は発生させている。



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③マテリアル・サーキット 翅田大介 @daihane

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