大切な人と思い出の部屋の真ん中で……。

れいちんのお母さんの部屋だよ……」


 亡くなった俺の母の部屋!?


 ……麻衣の言葉に驚きを隠せなかった、母は俺を出産した後、

 間もなく亡くなったと親父には聞かされていた。

 それから長い月日が流れているのにこの部屋の雰囲気は何なんだろう。

 不思議な感覚に包まれてしまう。


「……零ちん、驚いたでしょ、当時のままなんだ、この部屋の中」


 外れたふすまを直しながら麻衣がぽつりとつぶやいた。


「零ちんのお母さんが野獣院やじゅういん家にとついた後、この家は大きな改装工事があったそうなんだけど、この部屋だけはおじいちゃんの強い意向でそのままにしてあるんだって……」


 ……具無理のマスターがこの部屋を残してくれたのか!!


 俺はもう一度ゆっくりと部屋を見回してみた。六畳半ほどの畳敷きで先程まで居た麻衣の部屋と同じ位の広さだ。部屋にベッドは置かれていなく学習机と小さめの箪笥、その部屋のあるじが子供のころから愛用していた証拠がそれぞれの引き出しに今も残っていた。

 可愛らしい動物や古そうな少女漫画のキャラクターのシールが幾重いくえにもかさなり所狭しと貼られていたんだ。


「お、俺の母さん……」


 俺は母に会ったことがない、いや、正確には生前の母の記憶がないんだ。

 写真でしか顔を知らない母、その人の生きていたあかしが色濃く残っている部屋。

 初めてこの部屋に足を踏み入れた瞬間、不思議な感覚にとらわれたのは、

 この部屋がかもし出す圧倒的な懐かしさだったんだ……。


 自分の胸が押しつぶされそうになる、亡くなった母に何度逢えたらとこれまで夢想むそうしただろうか。


 そんな願いは俺が死んであの世に行かなければ絶対に無理だと思っていた。

 こんな形で母の面影に触れることが出来るなんて!!


「亡くなった冴子さんがこの部屋に帰ってくるなんてありえないってことは、おじいちゃんも分かっていると思うよ……」


 母の思い出に触れて部屋の真ん中にへたり込んだままの俺に向かって優しい口調で麻衣が語りかけてくれた。


「……そんなことは分かっているけど、だけど悲しみを手放せないって私にも理解出来る気がする。大切な人と永遠に会えなくなって身を引き裂かれる想いになってもそこで悲しみを手放したらその人の記憶まで消えてなくなるようでとっても怖いから……」


「麻衣、悲しい記憶ってもしかして!?」


 麻衣の言葉が俺の胸に突き刺さった。


 彼女も両親を交通事故で失っているんだ、大切な人を同時に二人も……。

 麻衣が俺の前から姿を消しておじいちゃんに引き取られたのはその後だ。


「……麻衣、間違っていたらゴメンな、さっきお前の部屋で急に口調が変わって怖いおっさんみたいになったのは壁に貼ってあったポスターと何か関係があるんじゃないのか?」


「ふふっ、二人の幼馴染みの想いには鈍感なくせに、なんで麻衣の気持ちは何でも、

 お見通しで分かるのかなぁ、零ちん、力をそそぐ場所が完全に間違ってるよ……」


 麻衣が力なく苦笑いで反応した、彼女が粗暴な態度を取って俺を手籠てごめにしようとしたのは演技だと思っていた。

 だけどそれは半分不正解だ、麻衣の両親が亡くなったことと何か関連がありそうだ。


「そうだね零ちんの言うとおりかな、ひどい言葉を浴びせかけちゃって麻衣のこと嫌いになっちゃったでしょ。両親を亡くしたショックで幼かった私は現実逃避しないと頭がどうにかなりそうだった……。偶然おじいちゃんの好きだった昭和の任侠にんきょう映画を観て夢中になったの。いま思えばやくざの主人公みたいに強くなりたかったのかな?」


 麻衣が狂犬みたいに粗暴な口調に変わったのは演技だけじゃなく、

 両親を事故で失ったトラウマが生み出した別人格だったんだ……。

 押しつぶされそうになる弱い女の子の自分じゃなくて、やくざ映画の主人公に成りきることで壊れそうな自我を保っていたなんてあまりにも悲しすぎる。


 俺も幼いころ母が残してくれた本に救われた体験があることを思い返した。

 母親の居ない寂しさを物語の主人公に投影して紛らわせていたんだ。

 だけど麻衣の場合は精神的に極限まで追い詰められていた。

 俺みたいにそんな生ぬるいものじゃなかったはずだ……。


「麻衣っ!! そんなのはお前のせいじゃないだろ、ご両親が亡くなったのは事故だ、それは本当に残念なことだけど自分を責めちゃ駄目だ……」


「違う、零ちんは何も分かっていないよ、両親の事故は私のせいなの、私の!!」


「ま、麻衣、お前泣いているのか!?」


 いつしか麻衣は幼子のように泣きじゃくっていた。その白い頬を流れる涙のしずくがあごの先から落ちて畳の床を濡らした。


「お父さんとお母さんが事故で亡くなったのは私のせいなの!!」



 次回に続く。







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