可愛い女の子とひとつ屋根の下で恋の進路指導。

「……本当にどこも痛まないかい? れいくん」


 茶髪のロン毛に整えられた口髭をたくわえアロハシャツを着た一見サーファー風の男性。年齢は俺の親父より上に見える。よく日に焼けた腕で俺のひたいに置かれた熱冷ましシートを取り替えてくれた。

 長身で細みな体軀たいくに似合わない大きな手のひらから暖かさが伝わってくる。


「本当にごめんなさいっ!!」


 男性の傍らで身をすくめ心配そうに俺の顔を覗き込む女の子は……。


 すみれセプテンバーラブじゃなくほんのりピンク色の乳首ちゃん!?

 たわわなおっぱいの先っちょを俺はツンツンと呼び鈴がわりにしたんだ。

 その情景を思い浮かべると急速に自分の頬が紅潮してくるのが感じられた。


「変態ストーカーと勘違いして、突き飛ばしてしまって本当にごめんなさい……」


 大きな瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。長いまつげを今にも濡らしそうだ。うれいをたたえた表情、つややかで健康的な肌に俺は思わず見惚れてしまった。

 下手なモデル顔負けの、すらりとした長い手足を窮屈そうに折りたたんで小上がりの畳敷きに正座している姿は今にも土下座して俺に謝りそうな勢いだ。

 女の子のあまりの狼狽ろうばいぶりに逆に強い罪悪感を感じてしまう……。


「俺は大丈夫だよ、だから心配しないで麻衣まいちゃん……」


「麻衣、ほ、本当に零ちんが死んじゃったかと心配したんだよぉ、階段下の大きなつぼが割れるくらい頭をぶつけてピクピクと痙攣していたから……」


「昔から俺が石頭なのは麻衣がいちばん知ってるだろ。お前に良く突き飛ばされて公園の遊具から激しく落下しても零ちんは馬鹿だから死なないってケラケラ笑ってたことを忘れたのか!?」


「親戚の零ちんといっしょに遊んでいたのは私が七歳のころだよ。それに萌衣が鴨川かもがわに引っ越してからは全然会えてなかったし……」


 ……彼女の顔が一瞬、曇るを俺は見逃さなかった。


 古野谷麻衣ふるのやまい、俺の亡くなった母方で一つ年下の従兄弟いとこだ。

 小さいころは男勝りのクソガキでどっちが男か女か分からないほどだったが、見違えるくらい綺麗な女子高生に成長した姿を見て、本当に女の子って変わるんだなと驚くのも束の間、俺は麻衣と急に会えなくなった理由わけ、彼女が八歳のころ両親を交通事故で亡くしてしまった悲しい事実を思い出した。


 葬儀の後、悲しみに打ちひしがれる小さな肩に何も声を掛けられなかった。

 その後、一人残された麻衣が遠く離れた祖父の家に引き取られたと聞いた。


「うわああ~~ん、やっぱり強く頭をぶつけたから死んじゃうんだ!!

 どうしようおじいちゃん、零ちんの顔が耳まで真っ赤になってきているぅ」


「零くんは大丈夫だ、美人になったに見惚れているだけだよ……」


「もうっ、まいちょんって呼ぶの恥ずかしいから禁止っていつも言ってるでしょ、

 おじいちゃん!! 麻衣は今年から君更津南女子校きみさらずみなみじょしこうに通う年齢だよ……」


 君更津南女子校、俺の通う共学校と違い、小中高一貫の名門お嬢様校だ。

 そう言えば乙歌と同じ女子校じゃないか!? 意外と世間は狭いな……。


「おじいちゃんにとって麻衣はいくつになっても可愛い孫娘だから。そう呼びたいんだよ、まいちょんって。なあ、野獣院零やじゅういんれいくん」


 柔和な微笑みを浮かべ、具無理ぐむりのマスターは俺にだけにウインクをした。


 我楽多具無理がらくたぐむりはその筋では有名な骨董品店だ。

 以前は別の場所で店を構えていたが半年前この街に住居兼店舗として、

 新規開店したと具無理のマスターは俺に教えてくれた。その呼び名は店主でなく喫茶店よろしく、マスターと呼ぶのはこの店のお客さんにいつからか定着したらしい。

 確かに具無理のマスターの風貌は、そのほうがしっくりくる呼び方だ。


 具無理のマスターと同居していた古野谷麻衣も一緒にこの街に戻ってきたそうだ。

 古野谷は俺の亡くなった母の旧姓だ。懐かしい従兄弟との再会を喜びたいが、

 なぜ俺の親父は麻衣たちが戻ってきたことを先に教えてくれなかったんだろう?

 それに亡くなった母親の話からこの場所を訪ねろと言った意味はいったい……。


「……零くんがこの場所を訪れたのは亡くなった私の娘、冴子さえこ、君の母親について知りたいんだろう。私のことを覚えていないのも無理はないな、冴子が亡くなったとき零くんはまだ幼かったから……」


 具無理のマスターと俺は会っていたのか!?

 全然覚えていない、親戚の麻衣は年中行事の折々に会っていたが、

 母の父である具無理のマスターについてはほとんど記憶がない……。


達也たつやくんは元気か? 冴子の葬儀以来、彼とは会っていないな。通夜の席でひどい言葉を君のお父さんを投げかけてしまった……。大事な娘を亡くして私はどうかしていたんだ。達也くんが悪いわけではないのに悲しみをぶつける場所を私は履き違えていたのかもしれない」


 俺の親父と具無理のマスターの間にそんな確執があったのか!?

 肉親を亡くした悲しみはどれほどの物か俺には計り知れない。

 親父がこれまで亡くなった母のことを語りたがらない理由の一端が紐解けてきた気分だった。茫然ぼうぜんと聞き入る俺に具無理のマスターは話を続けた。


「いまさら詫びて水に流して貰うつもりは毛頭ないが、達也くんが君をここに寄越した意味を神に感謝したい、少しでも私の贖罪しょくざいになるのなら……」


「……おじいちゃん」


 隣で俺たちの話を黙って聞いていた麻衣ちゃんが具無理のマスターの

 側にそっと寄り添った。


「この建物はもともと冴子の実家でもある、野獣院やじゅういん家に嫁ぐまでこの家に住んでいた。そこかしこにきみのお母さんの思い出が残っている。零くんが求めている物がここにはあるかもしれない、きみの答えが見つかるまで孫娘の麻衣と一緒に探して欲しい……」


 ……胸の奥が締めつけられる想いだった。


 俺の中に断片的に残る母の記憶は少ない、紛失したパズルピースのように

 いつまでも完成しない母の全体像、親父がなぜこの場所に俺を向かわせたのか?

 敢えて自分の口で語らず俺自身に答えを見つけ出させたいんだ。

 自分の中で不思議と全てが腑に落ちる、母のことだけじゃない。

 茜と乙歌、二人の幼馴染みのあいだでふらふらと煮え切らない駄目な自分、

 そこからの脱却、階段から落ちて壺が割れるくらい頭をぶつけて、

 俺は何かが自分の中ではじけて変われるのかもしれない……。


 頭で考えるんじゃない、お◯んちんで考えるんだ。

 そう、いかにするかだ!!


「じゃあ話がまとまったから今晩から麻衣の部屋で寝てね♡ いつもはぬいぐるみを抱っこしないと眠れないんだけどベッドはシングルサイズだしスペースがないから零ちんが抱き枕がわりに丁度良いかな。あっ、子供の頃みたいにいびきがうるさかったらベッドの上から容赦なく突き落とすから覚悟してね!!」


 えっ、麻衣ちゃん、俺は耳が突如、難聴になってよく聞き取れなかった。

 一緒のベットで寝る!? ぬいぐるみの代わりに俺が抱き枕!!

 ラブコメのラッキースケベ耳になってしまったのか!?

 麻衣のおじいちゃんである具無理のマスター、本当にいいんですかぁ!!


「まいちょん、零くんを困らせないようお手柔らかにな……」


 んっ、具無理のマスターが言っている意味が分からない!?

 俺が困るって反対じゃない。狼の檻に可憐な羊を放り込んで、

 麻衣ちゃんの貞操の危機を心配しないのか?

 いろんな意味で理解不能になり零ちんパニック状態だ……。

 微笑ましく会話を交わすおじいちゃんと孫娘を俺は交互に見つめる



「じゃあ麻衣の部屋に行こっ♡」



「あっ、ちょっ、ちょっと待って、そんなに手を強く引っ張らないでぇ!!」


 麻衣ちゃんの部屋へと続く先ほど突き落とされた中階段へと向かう。

 戸惑いなく繋いだ手と手、柔らかい麻衣ちゃんの手のひらの暖かさを感じる。


『零ちん、早くブランコ乗りに行こ!!』


 俺の胸中に幼いころ麻衣と遊んだ淡い思い出が蘇ってきた……。



 次回に続く。


 ☆★☆ 執筆の励みになりますので面白かったら


 【星の評価・作品フォロー】応援していただけるとうれしいですm(__)m ☆★☆ 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る