幼馴染との大切なおもいで……。
――俺たちを乗せた電車は都心へと向かっていた。
乙歌は隣で眠ってしまったようだ。肩に感じる彼女の重みが心地よい。
このまま目的の駅まで起こさないでやろう。
片手で足元に置いた旅行鞄からひざ掛けの毛布を取り出して、乙歌の身体に掛けてやった。軽い寝息を立てる少女の横顔がとても愛おしい。
一泊二日のモニターツアーは俺の胸にほろ苦い思い出を残してくれた。
二人の幼馴染と過ごせた貴重な時間、
しかし彼女はその夜、ホテルの部屋から姿を消してしまったんだ。
一枚のメモだけを残して……。
茜とはいまだに連絡が取れない。無情に増えていく携帯電話の発信履歴。
何か事件に巻き込まれているのではないか?
嫌な想像が広がってしまう。けれども今の俺には何も出来ない。
今は考えるのをやめよう。隣の乙歌から伝わるぬくもりに俺はいつしか深い眠りに引き込まれていく……。
「茜、お前はいったいどこにいるんだ……」
薄れゆく意識の中で俺は夢の中だけでも大切な幼馴染に会いたいと強く願った。
*******
「零ちん、可愛いって言うの禁止だから!!」
……すぐ隣に住む幼馴染みの
「可愛い、可愛いって何回言ったら気が済むの、
繰り返しすぎると、いくら良い言葉でも嘘っぽくなるんだから……」
「だって可愛いんだから仕方がないよ、ホント可愛いねぇ!!」
妙な節回しの語尾が、茜をイラッとさせてしまうんだろう。
そんなことは百も承知だ、別に可愛いが口癖になっている訳じゃない。
幼い頃、母親を亡くして父子家庭の俺、
「ありがたく思いなさい、零ちんが家事なんて何も出来ないって困っていたのを見るに見かねて私が来てあげたんだから……」
それは嘘だ、茜は生粋のお節介焼きで用がなくても勝手知ったる隣の家、
特に俺の部屋にはフリーパスで出入りしてくるから油断が出来ない。
中学生とは言え、俺も思春期まっただ中、二次成長も始まって、
髭だけじゃなく、あれもこれも成長してきて大変なお年頃なんだ……。
美馬茜 俺の幼馴染みで同級生、まあ可愛くないと言えば嘘になる。
子どもの頃はあんまり意識しなかったが中学に入学した頃から茜は見違えるように綺麗になった。肩まである艶やかな黒髪、髪色と対照的な程、白い陶器のような肌は幼い頃そのままにその身体は女の子特有の柔らかさも兼ね備え始めていた。
シャツから伸びる二の腕にドキマキしつつ、不自然に視線を外して俺は何とかごまかそうとして、また禁句を口に出してしまう……。
「……ちゃん、可愛いねぇ!!」
「ああっ、また可愛いって言った!! 昨日だけでも何十回言ったか分からないよ
可愛いは禁止って茜と昨日約束したばかりなのに……。もう零ちんなんか知らないから!!」
そっぽを向きながら俺の顔を見ようとしない、茜はふくれっ面まで可愛い、
だけど俺は本人の前で、そのことを素直に口に出すことが出来ない……。
「零ちん、愛犬のスキップが可愛いのは私も認めるけど、何度も言うと嘘くさく聞こえるし、何だか茶化しているみたい」
茜はつぶやきながら傍らにじゃれついてくる愛犬の背中をそっと撫でた。
嬉しそうにスキップがもふもふした毛並みの耳を左右に揺らしながら、犬専用の車椅子を器用にその場で方向転換させる。スキップはもっと構って欲しいのか、つぶらな瞳で茜を見上げた。
ビションフリーゼのスキップ♂は我が家のアイドル犬だ。
生まれつき後ろ足に障害がある状態で一年前に家にお迎えしたんだ。
最初の頃は大変苦労した、歩行困難な状態でも動き盛りなスキップは散歩をしたくなるとキュンキュンと悲しい鳴き声を上げて俺と親父を困らせた。
人間の赤ちゃんみたいに前掛けの抱っこ紐や犬用のカートを使ってみたが、こちらの思惑通り大人しくしている犬じゃない。散歩に連れ出すと切なそうな声を上げて、降ろせ離せ、僕を自由にしろと大騒ぎだ。周りの通行人が無遠慮な視線を投げかけてくる。
可哀想とか、自由に歩かせてあげればいいのにとか、他人は事情を知らないから、口々に勝手なことを言ってくるんだ……。
とある日の休日、俺と茜に印象的な出来事が起こった。
惰眠を貪り、午前九時を過ぎてもベッドから出ようとしない俺はいきなり部屋に乱入してきた茜に叩き起こされる。
「零ちん、こんなに良い天気なのにカーテンを閉め切って……。人間も犬もお日様に当たらないと病気になっちゃうんだよ!!」
シャッ、シャッっと勢いよくカーテンを開ける音が部屋に響く。
南向きに面した広い窓から一気に陽光が差し込んでくる。俺は光から少しでも逃げようと往生際悪く布団にくるまった。
「あっ!? またスキップと一緒にベッドで寝てる。もうっ、スキップは抱き枕じゃないんだよ。万が一身体の下敷きにしたらどうする気なの?」
「大丈夫、大丈夫、俺、寝相は茜みたいに悪くないから、万が一でもスキップを潰しちゃうことなんかないよ」
「零ちん!! 誰が寝相悪いって? それは子どもの頃、一緒に寝た時の話で、最近は見たことないでしょ、いつまでも子ども扱いしないで!!」
「茜、何なら今晩でも一緒に寝てみるか? スキップの代わりに、お前を抱き枕にしてやるから……」
「……だ、抱き枕って!?」
叩き起こされた仕返しで軽い冗談を言うつもりだった。
寝相の悪い茜と一緒に寝たら、俺が布団からはじき出されるって……。
陶器のような白い頬がみるみる真っ赤に染まるのを見て、またやり過ぎたなと反省しつつ話題を無理矢理変えようと動いた。
俺はベッドで添い寝していたスキップから掛け布団を剥がした。
マットの上にタオルケット、紙製のペットシーツを敷いた上で、後ろ足を抱えてお腹を隠すように丸くなってスキップは寝ていた。
「おっ、今朝もミジンコ寝してスキップは可愛いね!!」
「何そのネーミングセンス、零ちんったら気持ち悪いこと言わないでくれる」
「茜、俺が付けたんじゃないよ、犬や猫が丸まって寝る姿がミジンコに似ているからそう言うんだって。ネットで検索してみな、画像がいっぱい投稿されてるから」
確かに理科の授業で顕微鏡で見たミジンコはそんな形だった。
身体に対して短い手足を丸めたポーズだ。
犬がこの寝相をする理由は諸説あるが、急所のお腹を外敵から寝ているときに守る意味合いがあるそうだ。
「スキップの寝相は可愛いけど、ミジンコ寝って可愛くないな……。そのネーミング、何だか蟲っぽくてキモいし、そうだ!! パンのクロワッサン寝のほうが絶対可愛いよ。そっちのほうが良くない、零ちん?」
「ブッ、ブー、却下!! クロワッサン寝だとスキップは黒いから焼きすぎて黒焦げなパンになっちまうから駄目……」
「零ちん、ここ最近パン屋さんに行ってないでしょ。進化を分かってないよ。表面にチョコがコーティングされたクロワッサンがあるんだよ!! ううっ、思い出したら食べたくなってきた……。この責任、零ちんに取って貰うから今すぐ出掛ける準備して!!」
何でそうなるの!?
茜、お前の胃袋事情なんて知らないんだが……。
寝起きでうとうとしているスキップも災難だ、クロワッサン寝? のまま、
茜の小脇にひょいっと抱えられ、状況も掴めずなすがままにされている。
「おはようスキップ、一緒に出掛けようね。散歩の途中で美味しいおやつを買ってあげる!!」
……現金な物だ、美味しいパンを食べられるだけですっかりご機嫌になって。
大切な幼馴染、美馬茜。
こぼれそうな笑顔を見つめているだけで俺は幸せな気分になれるんだ。
茜が居る、何気ない日常が俺にとって最高のご馳走だってこと、そんな柄にもないセリフ、俺には似合わないか。
だから俺は心の中だけでそっと呟くことにする。
『茜ちゃん、可愛いね……』
【零ちん、可愛いって言うの禁止だから!!】
可愛いは禁止って大事な幼馴染に怒られないように……。
次回に続く。
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