大切なことはすべて彼女が教えてくれた そのに

「――もう帰らなければならないんですよね」


 一泊二日のモニターツアー、あとわずかで終わりを告げようとしていた。


 こちらに背をむけ部屋の窓辺に一人佇む乙歌おとかの表情は俺からはうかがい知れない。

 カーテンを閉めようとする彼女の手が止まったまま、躊躇ちゅうちょしている後ろ姿を見て俺は何も言えなくなってしまった……。


「一緒にお泊まりが出来て本当に夢みたいでした。大好きな零お兄ちゃんと同じ部屋に泊まり、同じベットで眠れるなんて……」


「……乙歌、俺はお前に」


「昨夜のことは謝らないでください。私は嬉しかったんです、本当にお兄ちゃんで良かった。ああ、この人は子供の頃と全然変わっていないんだなって……。病院で約束してくれたあの日のままだってことが涙が出るほど嬉しかった。やっぱり私のおとぎ話の主役は野獣院零やじゅういんれいさんなんだなって確信しました……」


 カーテンをつかむ乙歌の腕から肩につながるラインがぶるぶると小刻みに震えるのが見て取れた。


「駄目ですね、大好きな人の前では涙はやめようって決めたのに。これで何回目かな、いい加減呆れちゃいますよね……。お兄ちゃんが嫌だって言ってたから私、我慢したかったのに何で泣いちゃうんだろう」


 こらえきれずに涙を流す乙歌、その姿に過去の記憶が蘇ってきた。

 俺が幼い彼女に投げかけた心無い言葉……。


 何で子供ガキは残酷な言葉を平気で吐けるんだろうか?




 *******



『いい加減ピーピー泣くのはやめろよ、仕方が無いだろ!! 服が汚れたくらいで死ぬわけじゃあるまいし、女はすぐ泣くから嫌なんだよ!!』


 昔、乙歌が同じ病院に入院していたころ待望の外出許可が出て、俺たちは一緒に動物園に出掛けたんだ。白いエプロンドレスでおめかしした彼女は本当に可愛いお人形さんみたいで、そして着飾った姿を真っ先に見て欲しいという彼女の言葉に俺は天にも昇る気分だった……。


 だけど俺達の幸せな時間はすぐに終わり迎えてしまった。お目当てのパンダが見物客の大混雑で見られず、別の檻の前に移動したときに悲劇は起こった。


 いたずら好きのゾウが長い鼻でこちらに水を掛けてきたんだ。乙歌の白いエプロンドレスはびしょ濡れになってしまい、水と言っても泥混じりで服は無惨にも汚れてしまった、泣きじゃくる彼女を前に俺はただオロオロするだけだった。今ならば気の利いた対応も出来たと思うが子供だった俺はどうすればいいか分からなかったんだ……。


『ゾウのウンチやおしっこじゃなく、水なだけまだマシだろ!!』


 檻の周りではゾウに水を掛けられて喜ぶ幼い子供も多かったので、服を汚されて泣きじゃくる乙歌に俺は慰めのつもりで、さらにデリカシーの欠片かけらもない言葉で傷つけてしまった。乙歌がこの日をどんなに心待ちにしていたか、頑張っておめかしして来た意味を俺は何も理解してやることが出来ていなかった……。


 俺が彼女にした仕打ちはそれだけではない、過去の記憶のおりに沈められた自分にとって不都合な記憶のふたが、鈍い不協和音ふきょうわおんを伴って次々に開く気がした。


 何故、もう一人の大事な幼馴染みである乙歌のことを忘れていたのだろう!?

 いや、偶然に忘れていたんじゃない、俺は幼い頃の淡い思い出を無理やり心の奥底に封印していたんだ!! 自分の犯した罪に気が付いて、その贖罪しょくざいの意味を持って確信犯的に……。


『もう知らねえぞ、俺、先に帰るからな!!』


 泣き止まない乙歌を見かねてか周りの大人や動物園のスタッフが集まってくる。

 俺は注目を浴びるのがたまらなく恥ずかしかった。自分がやった訳ではないのに

 無言で責められている気分になってしまい、大人にタオルで服を拭われる哀れな少女をその場に置き去りにして逃げるように立ち去ってしまった……。



 *******



 その前後の記憶は良く覚えていない、当時小学生だった俺は強烈な罪悪感にさいなまれていたに違いない。高校生になって乙歌と再会した後も彼女にずっと負い目を感じていた。爪の先に刺さった細かいとげみたいに鈍い中にも鋭い痛みが全然拭い去れなかったんだ。


 俺は全てを思い出した、途切れていた線と点が繋がり突然、もぬけのからになった病院のベットが脳裏に浮かんできた。


 乙歌が入院していた病室だ、一緒に良く集まって勉強し、真っ黒になるまで国語の漢字ドリルを書いていた彼女のひたむきな横顔。なぞなぞを出しあって笑い転げる愛らしい笑顔。


 フラッシュバックみたいに浮かんでは消えていく思い出の残滓ざんし


 病室を訪れたのはあの動物園の日から一週間も経ってしまった。

 彼女を置き去りにしたバツの悪さで、すぐ謝りに行けなかった卑怯者な俺、

 謝ろうと思ったいくつもの言葉は届かぬままで俺の前から彼女は完全に姿を消した……。


 その後の俺は死ぬほど後悔した。何より自分自身に腹が立った。


 何故、俺はゾウの檻の前から逃げ出したのか!?


 何故、俺は次の日にすぐ謝りに行かなかったのか!?


 何故、俺は素直にと言えなかったのか!?


 血相を変えて病室を飛び出す俺は世界で一番惨めな顔をしていたに違いない。

 顔見知りのリハビリの先生や看護師さん、他の患者さんにまで乙歌のことを、

 必死に聞いてまわった、少しでも彼女の情報が掴めないかと……。

 だけど手掛かりはまったくつかめなかった、俺は彼女の住所すら知らなかったんだ。

 知っているのは彼女の名前だけ、そしてわずかな情報として乙歌の母親が再婚したために急遽、転院したと外来の待合所に集うお年寄りの噂話から聞いたのみだった。


 極度の落胆状態だった俺は壊れそうな精神のバランスを保つため、彼女の記憶を全て封印した……。


 人間の身体にはもともと自然の治癒能力が備わっているそうだ。   

 神経や臓器が傷を負っても天然の接着剤みたいな物が分泌されて傷が癒える、

 手術の内容にも寄るが、可能であれば早くから動いてリハビリしたほうが良い。

 あまり大事を取り過ぎてベットに寝たきりだと患部が癒着するからと聞いた。


 あのころの俺の頭にも同じことが起きていたのかもしれない……。


 自らが招いた問題とはいえ小学生には抱えきれない後悔と懺悔の念に潰されないために、自己防衛本能として彼女に関する記憶を忘却のパンドラの箱に封印したんだ。


 俺はその場に立っていられなくなって傍らの硬いベットに座り込んでしまった。

 ガタガタと手が震え脇腹に冷や汗が流れるのが分かる。


『女はすぐ泣くから嫌なんだよ!!』


 俺の残酷な言葉に乙歌はずっと縛られていたと言うのか……。


「お、乙姫、俺は何てひどい仕打ちをしてしまったんだ。謝って済む問題じゃないよな、いったい俺はどうしたらいい!?」


 ……俺はベットに腰掛けたままで顔を上げることすら出来なかった。

 とても彼女の顔を直視する勇気がない。どのつら下げて俺はこの場に居るんだ!!


「……ゼロから始めましょう」


「えっ……!?」


れいお兄ちゃんだけに!! なんちゃって♡」


「……」


「お笑いの基本は繰り返しギャグですよ、さあ笑ってください!!」


「あ、あ、あはははははは」


「何ですか、その引きつった笑いは? もう一度やり直し!!」


「あははははっ!!」


「やれば出来るじゃないですか、凄くいい笑顔でしたよ!! 大きな口を開けて馬鹿笑い、昨晩の私みたいでしょ。お祭りのパレードで女装した零お兄ちゃんを見ていたときとおんなじ。これで私だけじゃなくておあいこだからスッキリしました!!」


「でもあの日、動物園で俺は乙歌に取り返しのつかないことを……」


「動物園のことはもう気にしないでください、零お兄ちゃんがすべて悪いわけじゃないです。私もお子ちゃまでした、それと泣かないって言ったのにはある決意からなんです。私、もっと強くならなきゃいけないんです。正々堂々とに勝ちたいから……」


 ふうっ、と大きな深呼吸をしてから彼女は毅然きぜんとした表情を俺に向けた。


「今回は茜さんが急遽不在になったので、私が不戦勝で勝つのはフェアじゃないです。零お兄ちゃん争奪杯はスポーツマンシップに乗っ取り、正々堂々と戦うことを

 ここに誓います!!」


 選手宣誓!? だって、いったい何で茜と戦うんだ、でもツッコミが出来るほど、今の俺の立場は女性陣二人に比べたら強くないから、そんなことはとても言えない。


「昨晩、ベットで私と一緒に寝ても指一本触れなかった。そんな零お兄ちゃんの気持ちが嬉しかったんです。私のことを本当に大事に思ってくれているんだって……」


 乙歌よ、それは俺を買いかぶりすぎだ。俺は慣れない女装にやけくそになって激しい踊りで疲労困憊ひろうこんぱいになって爆睡ばくすいしてしまっただけなんだ。朝、目を覚ましたら隣に浴衣がはだけて下着だけのお前を見て、血の涙を流して爆睡を後悔したとはとても言えない……。

 

「あのね、私が何より嬉しかったのは、過去を全部思い出してくれただけじゃなく、約束を忘れないでまた乙姫おとひめってあだ名で呼んでくれたことなんです。浦島太郎の物語おはなしがハッピーエンドだって教えて貰ってから、それまでネガティブだった私がポジティブに考えられるようになったのは全部、零お兄ちゃんが教えてくれたんです!!」


 ……乙歌よ、それは逆だ。本当に感謝しなければならないのは俺のほうだ。

 俺は過去を封印して危うく戦後改変された浦島太郎の結末みたいに、ネガティブな煙がたっぷりと詰まった玉手箱を開けてしまう所だった……。


 乙姫おとひめ、お前がいたから俺は道をあやまらなかったんだ。



 大切なことはすべて彼女おとひめが教えてくれた……。



 今度こそ急転直下の次回に続く!!



 ☆☆☆お礼・お願い☆☆☆


 ここまで読んで頂き誠にありがとうございました!!


 少しでも面白いと思っていただけましたら、


 レビューの星★★★でご評価頂けたら嬉しいです。


 つまらならければ星★一つでも結構です。


 今後の励みやご意見を参考にしたいので、


 何卒お願いしますm(__)m


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