可憐な美少女との過ぎ去りし日の思い出……。

「はあっ、はあっ……!!」


 ……俺は自転車を無我夢中で漕ぎ続けていた。安っぽい作りのクランクギアが足元できしみ音を上げる。こんな耳障りな雑音がいまの自分にはお似合いだ!! こみ上げてくるどす黒い自己嫌悪が身体全体を覆い尽くす。叫び出したくなる衝動を必死に噛み殺した。


 目の前におあつらえ向きの坂道が現れた。俺の乗る自転車では軽いギヤに入れておかないと登れないほどの急坂だ。


 自分を痛めつけたくてえて重いギヤを選択した……。


「このクソッタレがぁ!!」


 ズシリとしたペダルの重みが足先からふくらはぎへと駆け上がってくる。俺は足も折れよとペダルを踏み込み続けた。情けない心臓がドクドクと悲鳴を上げる。これは罰だ、俺に課せられた重い罰だから……。


 本当に何をやっているんだ!! いちばんなのは俺なのに……。


 俺は自分の気持ちが定まらないのに、あれほど純粋な女の子の気持ちをもてあそんでいなかったか!?


 自問自答する頭の中には先ほど部屋で聞いた彼女の言葉が何度も繰り返された。


『お兄ちゃんは子供の頃とまったく変わっていない……』


 

 *******



 「ハンモックってどこか蓑虫みのむしのおうちに似てますね。いつまでもゆらゆらと揺れてしっかりと包み込んでくれます。このハンモックが私と零お兄ちゃんの秘密基地シェルターだったらいいのにな……」


 床に降り立った乙歌ちゃんが俺にむかってぽつりとつぶやいた。


「お、乙歌ちゃん、君はいったい……!?」


「零お兄ちゃん、ちょっと待っていてくれませんか」


 彼女は腕に抱いていたテディベアのジョン君を傍らのソファに寝かせてから隣室へと姿を消した。


 「零お兄ちゃん、お待たせしました……」


 百年前のアンティーク、あの白いエプロンドレス姿で現れた彼女に俺は思わず息を呑んだ。


 驚いたのはドレスが乙歌ちゃんによく似合っているだけではなかった。

 俺はこれと同じ光景をとこかで見た覚えがあるんだ。白いエプロンドレスによく似た服を着た可憐な少女の姿を……。


「零お兄ちゃんに好きな人がいることは病院で話してくれましたよね……。私はその人にハンドボールでも、そして女性としての魅力もかなわないことはよく分かってます。神様は本当に不公平ですね、私が零お兄ちゃんの幼馴染みだったらどんなによかったか。そう幼馴染みとして出会う順番が乙歌のほうが少し遅かっただけなのに……」


 出会う順番が少し遅い!? 俺は彼女の言葉に強い違和感を覚えた。

 最近、知り合ったばかりのはずなのに……。


「……お、乙歌ちゃん、ごめん、きみの言っている言葉の意味がまったく分からない。君は香坂こうさかの妹で俺と出会ったのは例の痴漢騒動が初めてのはずだよね!?」


 俺の問いかけに彼女の大きな瞳がよりいっそう見開かれた。


「ご、ごめんなさい、こんなことを言うつもりじゃなかった……。零お兄ちゃんは私のことなんて何も覚えてないのに!!」


 狼狽ろうばいしながらかぶりを振る彼女、その整った顔に苦悶の表情が浮かぶ。


「……!?」


 激しく動悸がしたのは俺の胸だ。自分がよく分からなくなってしまう。絡まった糸がほどけるように記憶のおりに閉じ込めたパンドラの箱がゆっくりと開き始める。

 これまでまったく疑問に思わなかった俺は何て愚かだ。乙歌ちゃんがなぜ急接近してきたのか!?

 香坂俊こうさかしゅんと喧嘩をしたあの日、家に謝りに来た俺を見て興味を持ったと彼女は言っていた。その場は何の疑問もなく単純に信じてしまったが自惚れもいい加減にしろ!! 陰キャな俺がこんな清楚系美少女に突然、見染められるなんてそんなことありえないだろう。


 痴漢被害の自作自演をしてまで、なぜ彼女は君更津中央病院を面談場所にしたのか。

 子供のころ俺が腕の治療で通っていた病院を指定した理由わけとは!?


 ……きっと彼女は思い出して欲しかったんだ、


 困ったときに眉が下がる癖、笑うと片方だけえくぼが浮かぶ口元、変わらぬその肌の白さ……。


 俺が病室を訪れるといつも見せてくれるはにかんだ笑顔。待ちに待った外出許可の日、お兄ちゃんのためにおめかしをしてきたんだ!! その言葉とともに彼女が選んだエプロンドレスの白さを鮮烈に思い出す……。


 まるで古い映画のフィルムを巻き戻すように、モノクロの記憶に色が鮮やかに吹き込まれる。


「……もしかして乙姫おとひめなのか!?」


「えへっ、やっと思い出してくれたね、零お兄ちゃんがつけてくれた乙歌のあだ名……」


 ――乙姫。


 懐かしいその名前を口にした途端、彼女は泣き笑いの表情に変わった。

 どんな気持ちで自分のことを思い出さない俺と会っていたのだろうか……。

 ひとりぼっちの孤独を想うと胸が張り裂けそうになる。


 彼女は幼い日、あの病室で出会ったころと同じ笑顔でこの場所に存在していた。あの少し困ったような微笑みを俺にむけて……。


「乙姫、待たせてごめん……」


「おかえりなさい、私の大好きだった零お兄ちゃん!!」


 

 幼馴染みと俺は再会した……。



 次回に続く。


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