魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 4
訓練で掻いた汗を流すため、私は浴場へと足を運んだ。身に付けていた服を乱暴に脱ぎ捨て、頭から魔導具によって放たれる冷水のシャワーを浴びる。
そうでもしなければ、胸のドキドキが収まってくれそうになかったから。
「あ、危なかったよぅ……」
いくらアルトさんを私に惚れさせるためとはいえ、目をつぶったのはやり過ぎだった。あのままエリスが来なければ、いまごろどうなっていたか分からない。
というか……意識して瞑ったんじゃないんだよね。
それまでの行動は意識的だった。
――と言っても、転んだ後の話だけど。そのハプニングを利用して、アルトさんを私に惚れさせようと思って、あざといセリフを口にしたのだ。でも、それでドキドキしたのは私の方だった。その場の雰囲気に流されて、無意識に目をつぶってしまうほどに。
誤算なのは、アルトさんをドキドキさせようとしたら、自分がドキドキしてしまうことだ。
誤算も誤算、大誤算。でも考えてみれば当然だ。
だって――
「仕方ないじゃない。見た目や声が完璧に私の好みなんだよ? なのに、とっさに私を庇って気遣ってくれる優しさまで持ってるなんて……反則だよ」
アルトさんの腕の中で感じた温もりはシャワーの冷水に流されてしまったけれど、彼に抱きしめられた感覚は明確に残っている。
目を瞑れば、いまも抱きしめられているような錯覚に陥る。
「~~~っ」
その場にペタンとへたり込んだ。
悔しいけど、恋愛的な意味でも相手の方が強い。このままじゃアルトさんに惚れた弱みを作るどころか、私が惚れた弱味を抱えることになる。
なんとか対策を立てないと……と、冷水を浴びていた私は、自分は極力ドキドキせず、アルトさんをドキドキさせる名案を思い付いた。
「エリス、エリス!」
「はい、どうなさいました――って、お嬢様!?」
びしょ濡れ、しかも裸で浴室から飛び出した私を見たエリスが目を丸くする。
「あのね、お願いがあるの」
「それはかまいませんがまずは服を着てください!」
「シャワーの途中だから。それより、お願いを聞いて」
「……はあ。いいですけど、そんなに慌てて、なにをすればいいんですか?」
「うん。あのね――」
計画に必要な下準備をエリスにお願いして、私は自分の唇にそっと指を這わした。
翌日、私は比較的シンプルなワンピースに着替えてエントランスホールへと足を運んだ。そこには、私の護衛として同行することが決まっているアルトさんが待っている。
「アルトさん、急に護衛を頼んでごめんね」
「いや、かまわないけど……他の護衛は?」
「もちろん、他の護衛をも同行してくれるよ。ただ、堅苦しくならないように、他の人達は少し離れたところで護衛をしてくれてるの。だから、近くで護衛をするのはアルトさんだけ」
「そういうことか。なら俺は側でリディアを護らせてもらうよ」
「う、うん。ありがとう、アルトさん」
側で護るなんて言われて思わずドキッとしてしまった。
精一杯の笑顔で応じるけれど、ここで反撃するのは自重する。だって、ここで真正面からぶつかったら、また前回の二の舞になってしまう。
覚悟しておいてよね――と、そんな想いを胸に秘めて馬車に乗り込んだ。
「それで、どこへ向かっているんだ?」
「服飾店だよ。春服を買おうと思って」
そんなふうに答えながら、向かいの席に座るアルトさんを盗み見る。
アルトさんの外見は完璧に私の好みを反映している。
私が微細に渡って作った容姿だから当然だ。でも、そんな容姿にも、私の手が加わっていない部分がある。それは、アルトさんが身に付けている服のデザインだ。
アルトさんの着る服は基本的に、旅人が身に着けることを前提にしているようだ。
もちろん、それが必要なことだったのは分かる。でも結果的に、彼の身に着ける服は、彼自身の容姿の持ち味を生かしきれていない。
もしも彼が私好みの服を身に着けていたら話は変わっていた。でも、そうじゃない。だから、アルトさんの唯一のウィークポイントともいえる服装で勝負する。
客観的に見て、私の容姿は悪くない。
アルトさんも私の容姿は嫌いじゃない、と思う。
だから、私はその武器を磨くことにした。具体的には、アルトさんに服選んでもらって、アルトさん好みの女の子になるのが目的だ。そうすれば、私はドキドキすることなく、アルトさんをドキドキさせられるはず。
それこそが、私の立てた今回の作戦である。
――という訳で、私は馴染みの服飾店のまえにたどり着いた。
アルトさんは護衛だけど、表向きは友人という体をとっている。彼はエリスから心得を聞いたのだろう。私が馬車のタラップに足を掛けると、さっと手を差し出してくれた。
外見ばかりか、エスコートまで出来るなんて、ますます格好よくなってしまう。私は胸が高鳴るのを自覚しながらも、平然を装って降り立った。
正直、この戦いは私に不利だ。
でも、惚れた弱みを作るしか、私が生き残る道はない。だったら、惚れるまえに惚れさせる。そのために――と、私は気合いを入れ直して服飾店に足を踏み入れた。
店内では、整列した従業員達が出迎えてくれる。
「お待ちしておりました。リディアお嬢様。今日はホーリーローズ伯爵家の貸し切りとなっております。どうか、当店自慢の服をごゆっくりご覧ください」
マダムが頭を下げると、従業員達もそれに続く。
「ありがとう、マダム。今日は色々な方向性の服を見せていただくわ」
「はい。ジャンルごとに分け、それぞれ自慢のデザインを用意させていただきました。どちらからご覧になりますか?」
「そうね……。アルトさん、私にはどんな服が似合うと思う?」
伯爵令嬢として振る舞う場でありながら、普通の女の子のような振る舞いでアルトさんに問い掛けた。アルトさんの意見が重要であると、周囲に示すためだ。
マダムはすぐに気付いたようで、アルトさんに意見を聞くために話しかけた。
「ご挨拶が遅れました。わたくし、店長のイザベラと申します。アルト様とお呼びしても?」
「あぁ……はい、かまいません」
「かしこまりました。では、アルト様はどのような服がお嬢様に似合うとお思いですか?」
「えっと……それは……」
アルトさんは私を見て少し困った顔をする。
好みの服を選ぶだけなのに、どうして困っているのかな? ……あぁ、もしかして、私の好みに合わせなきゃいけないとか、そういうことを考えているのかな?
「アルトさん。今日はいつもと違うファッションを試してみようと思っているの。だから、私の趣味は考慮せず、アルト様の好みを聞かせてね」
「それは、えっと……うぅん」
やっぱり歯切れが悪い。嫌がっているようには見えない。けど、凄く困っているようには見える。なんだろう、この複雑そうな反応は。
「アルトさん、私の服を選ぶのは嫌かな?」
「嫌ではないんだけど、困るというか、なんというか……」
「……困る?」
「いや、その。……ええっと、ほら。リディアは既に十分可愛いんだから、これ以上可愛くなろうとしなくてもいいんじゃないか、と」
「~~~っ」
特大カウンターが私にクリティカルヒットした。
頬が一瞬で赤らむのを自覚する。
周囲からも「あらあら、まあまあ」なんて声が聞こえてきそうな雰囲気だ。
まさか、こんなところで攻撃されるなんて思わなかった。反撃するのが正解? それとも、あくまで服を選んで欲しいことを前面に出すのが正解だろうか?
混乱する私を見かねたのか、マダムが口を開く。
「アルト様、女性はいつだって、より可愛く、綺麗になりたいものなのです。ですからどうか、リディア様の望みを叶え、アルト様のご意見を差し上げてください」
「……分かり、ました」
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