魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 3

 ホーリーローズ伯爵家の訓練所。屋根付きの野外に敷かれた土の稽古場で、俺とリディアが体術のみで手合わせをしていた。


 俺の体術スキルや、身体能力が上がるパッシブスキルはすべて6。

 対して、リディアのパッシブスキルはすべて10だ。体術スキルがいくつか分からないけれど、体術のみに限ればそこそこ勝負をすると予想していた。


 だけど、結果は俺が圧倒している。

 体術が未熟なのは想定通りとしても、思ったよりリディアの反応速度が遅い。いや、同世代の令嬢と比べれば天才と言えるレベルだし、俺と比べても遜色はない。

 だけど、俺がキャラメイクした彼女は伝説の英雄レベルの能力を持っている。本来であれば、反応速度が俺と同程度であるはずがないのだ。


 ……もしかして、実力を隠してるのか?

 あり得るな。そういえば、周囲の者達は、俺がリディアの恩人だと口にしていた。本当ならあの程度の敵、リディア一人で瞬殺できるはずなのに、である。


 聖女であることも隠しているようだし……なにか訳ありか?

 あるいは……俺が見落としただけで、なにか制約があった? ……うぅん、分からない。もしかしたら、説明に色々と書いてあったのかなぁ。

 やっぱり、説明をちゃんと読まなかったことが悔やまれる。

 過去の俺に言ってやりたい。

 ゲームを始めるならちゃんと、説明書は読んでプレイしろ! って。


 でも、悔やんでも仕方ない。それに、二兎を追う者は一兎をも得ずだ。戦闘力で上回る件は諦め、リディアに惚れた弱みを作って殺されないようにすると決めている。


 だから――と考えながら戦っていたのがいけなかったのだろう。俺の攻撃を前に、リディアが無反応なことに気付くのが遅れた。


「リディア!?」

「――っ」


 リディアが慌てて仰け反り、俺も拳の軌道をずらす。だが、互いに無理な体勢を取ったことで、俺の踏み込んだ足が下がろうとしたリディアの足に引っかかった。


「うおっ!?」

「ひゃっ!?」


 互いの足がもつれ、リディアを押し倒すように倒れる。

 やば――と思った瞬間、俺はとっさにリディアを引き寄せて身体を捻った。リディアと俺の身体の位置が入れ替わり、次の瞬間には背中から地面に叩き付けられる。


「あいたた……え?」

「あれ、思ったより痛く……え?」


 気が付けば、リディアの整った顔が目の前にあった。彼女のアメシストのような神秘的な瞳の中に、俺の瞳が映り込んでいる。それくらいの至近距離。


「あ、その、悪い」

「いえ、こちらこそ、ごめんなさい」


 リディアの息が掛かってくすぐったい。そしてそれはリディアも同じだったのだろう。彼女は恥ずかしそうに身を起こそうとして、だけどすぐに断念する。

 体制を入れ替えるとき、彼女を抱きしめて、いまもそのままだったから。それに気付いた俺はとっさに放そうとして、だけど寸前で思いとどまった。

 いまこそ攻め時だと思ったからだ。

 だから、俺は気付かないフリをして、リディアの瞳を覗き込んだ。


「リディア、怪我はなかったか?」

「え、あ、その……はい。アルトさんが庇ってくれたから大丈夫だよ」


 恥ずかしそうに大丈夫と微笑むリディアがむちゃくちゃ可愛らしい。というか、距離が近すぎてドキドキしてきた。それに、リディアのドキドキも伝わってくる。


「あの……アルトさん、腕を、その……」


 消え入りそうな声でリディアが訴えた。

 ヤバイ、リディアが可愛い。なんかいい匂いがするし、温もりも伝わってきて、頭がクラクラしてきた。このままじゃ俺の方がどうにかなってしまいそうだ。


「あ、その、気付かなくてごめん」


 今回はここが引き時だろうと、腕を放そうとする。

 だけど――


「いえ、その、もう少しこのままでも……いいですよ」

「……え?」


 そ、それってどういう意味だ? そう意識した瞬間、顔が真っ赤になるのを自覚する。同時に、リディアの顔も真っ赤に染まっていた。


 押し付けられた胸からリディアの鼓動が伝わってくる。

 互いの胸がうるさいくらいに高鳴っていて、もはやどっちの鼓動か分からない。無言で見つめ合っていると、おもむろにリディアが瞳を閉じた。

 彼女の長いまつげがわずかに震えている。

 その姿が愛おしいと思った瞬間、俺もまた目を閉じていた。

 そして――


「――こほん」


 エリスの咳払いが聞こえた。訓練所の端っこにエリスが控えていたことを思い出す。

 次の瞬間、俺がリディアの背中に回していた腕を放すのと同時、リディアは横に転がって身体を縮め、すくっと立ち上がった。それと同時、俺も後転して跳ね起きる。

 その間わずか一秒足らず。

 リディアは何食わぬ顔でエリスへと視線を向けた。


「……エリス、いま何時かしら」

「二時を回っています。そろそろ上がらないと、次のお稽古に間に合いませんね」

「あぁ、もうそんな時間だったのね。ごめんなさい、すぐ行くわ」


 まだ火照った顔で、だけど貴族令嬢然として応じる。


「それじゃ、アルトさん。今日はありがとう。また今度よろしくね」

「あ、ああ。また今度」


 かろうじてそう答えると、踵を返したリディアは毅然とした態度で去っていった。その歩みが早足でなければ、彼女はまったく気にしていないと誤解していただろう。


「アルト様、お嬢様が失礼いたしました」

「あ、いや、俺の方こそ悪かった」

「いえ、時と場所を選んでいただければ、気にする必要はありません」

「は? それって……」

「では、失礼いたします」


 エリスは俺の質問を遮って、リディアの後を追い掛けていった。そうして二人が居なくなるのを確認した俺は、思わずその場にへたり込んだ。


「あ、あぶねぇ……思わず、こっちが惚れるところだった」


 口元を抑えて気持ちを落ち着かせようとするけど出来ない。まだ、胸はドキドキしているし、腕の中にはリディアの温もりが残っている。

 それに……なんだよ、あのいい匂い。声や容姿は設定したけど、匂いなんて設定していない。なのに、あんな匂いを纏ってるなんて反則だ。


 さっきまでの俺は心の何処かで、リディアは俺が創り出したただのキャラクターだと思っていた。でも、直に触れて、そうじゃないんだって思い知った。


「っていうか、リディアに反撃されるなんて誤算過ぎる」


 あんな風に可愛い反応が返ってくると思ってなかった。このままじゃ、リディアを俺に惚れさせるまえに、俺がリディアに惚れてしまう。

 なんとか、対策を考えないと……

 

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