湯舟に浮かぶカツラ編

ふわふわパンケーキ

「僕はチーズムースパンケーキのベリーソースがけ」

「パンケーキとふわとろオムレツを」


 俺と砂橋は、口の中にいれた瞬間、雲をいれたかのようにとろけてしまうという口コミのパンケーキ屋に来ていた。


「焼き上がりには三十分、時間をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

「大丈夫です」


 店員が俺達のオーダーをメモして、キッチンへと去っていく。焼くのに時間がかかるというのはすでに店の前に置いてある看板で知っている。

 その上で、俺も砂橋も並んでいたのだ。


「昨日の今日だから予約とかとれなかったんだよねぇ。まさか、一時間も並ぶことになるとは思わなかったよ」

「俺を店の前に残して、どこかに行っていた奴のセリフとは思えないな」


 列が伸びていたわけではなく、店の前に置いてあった紙に予約の人数と代表者の名前を書いて待つだけだったため、代表者がいれば問題はなかったが、だからといって、俺のことを一人置いて行くと思わなかった。いや、こいつは元からこういう人間だ。


「で? なにか面白いものでもあったのか?」

「なにも。弾正の方こそ、面白そうなものはなかったの?」


 パンケーキ屋の前の椅子に座っていただけで面白いことなど起こるはずもないが、今は事情が違う。


 実は、昨夜、裸コートの死体の犯人が分かり、仕事を終え、帰宅した熊岸刑事の元に二枚目の小説のページが届いていた。


 中身はやはり、俺が書いた『雪村探偵推理集 弐』の一ページだった。



『五人を部屋に残し、雪村と城崎は叫び声が上がったプールへと向かった。


 潮風邸の外にある楕円形のプールのサイドには、女性は一人座りこんでいた。腰を抜かして座り込んでいた女性に城崎が「大丈夫ですか」と声をかけると彼女はプールの水面を指さした。


 その指先に導かれ、雪村と城崎がプールへと視線を向けるとそこには人間のものらしき髪の毛があった。

 数本浮いているというものでも、切られた一束が浮いているというわけでもない。

 そこには、人間の髪の毛がごっそりとそのまま浮かべられたかのように存在していた。


 これが恐怖映画の撮影でなければ、誰かの持ち物であるカツラが風によってとプールまで運ばれたのだ。


「城崎。あのカツラを取ってきたまえよ」

「え」


 城崎が声を上げる前に雪村がとんと城崎の背を持っていた杖の先で押し、軽々と城崎の身体はプールの上へと躍り出た。


 自分がカツラ如きに驚いたのだと気づいた女性は顔を赤らめながらも雪村に謝罪をした。


「すみません…驚いてしまって…」

「いいんですよ。貴方を驚かせた犯人は城崎が取り除いてきますから」


 雪村が手を差し出すと、女性はその手を取って、立ち上がり、赤らめた顔のまま、潮風邸へと小走りで戻っていった。


 じたばたとプールの中を服を着たまま泳いでいた城崎はすぐに足がプールの底につくことに気づくとプールの中央に浮いていたカツラへと足を進めた。


 カツラを水の中から掬うように掴んだ城崎の手に、ぬるりという感触がする。ただのカツラであるのならば、髪の毛がささっているものは布だろう。しかし、それは濡れた布の感触ではなかった。


 城崎の顔が青ざめる。


「どうした、城崎」

「雪村」


 城崎は、プールの中央で立ち尽くしたまま、雪村を振り返った。


「頭皮がついてる」


 城崎の言葉とほぼ同時に、潮風邸から女性の絹を裂くような叫び声が響いた。』



 その一枚のページに載っていた内容はよく知っているものだった。しかし、最初のページと違ったことといえば、小説のページと一緒にこのパンケーキ屋のポイントカードが入っていたことだった。


 開いて使うポイントカードらしいが、ご丁寧にも名前とポイントの集計などをする箇所は鋏のようなもので切られていて、分かる情報といえば、この店のポイントカードだという程度だった。


 そして、そのポイントカードには油性ペンで「一月十三日」と書かれていた。

 そのポイントカードに誘われるようにして、俺と砂橋は一月十三日のこの日にこのパンケーキ屋にやってきた。


 砂橋もただただ暇だから、パンケーキ屋の周りを散策していたわけではなく、自分達を見張っているような人間がいないかどうかを確認していたのだろう。

 俺も先ほどからパンケーキ屋に来る客などを見ているが、怪しい人間はいない。


 店内を軽く見回せば、女性数人でわいわいとしながらパンケーキを一口ずつ分け合っているテーブルもあれば、男一人と女一人で来ているテーブルがいくつかある。

 その中でも俺の目を引いたのは成人男性二人が座っているテーブルだった。俺も甘いものは嫌いではないため、男がこのような店に来たところでまったく気にしないが、その男二人は表情が暗かった。


 男二人の前にはパンケーキが置かれていたが、それを口にする二人の顔に笑顔はない。

 好きで甘いものを食べに来ているのであれば、片方が付き合いだとしても、必ず一人は嬉しそうな表情をするものだろう。


「SNSで知り合った相手が女性だと思ったら、男性だったみたいな感じじゃない?」


 俺の視線の先に気づいた砂橋が肩を竦めた。大いにあり得る。


「せっかくなんだから、味わって食べればいいのに」


 俺も砂橋も熊岸刑事に届いた怪しげなポイントカードに誘われてここにいるが、先日起こった小説の内容と似た事件が起こるとは限らないため、純粋にパンケーキは楽しもうと思っている。


 先日起こったのは、裸にコート一枚の死体で、小説の内容と符合していた。二枚目も新たな事件と符合する可能性がある。


 今回出てきた小説の内容には、プールにカツラのようなものが浮かんでいたというものだ。実際、小説の中でプールに浮かんでいたのは、人間の頭皮つきの髪の毛だった。


 とにかく、ここにはプールもカツラもない。

 安心して、パンケーキを食べることができる。

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