焼き上がりまで30分

 焼き上がりまでの三十分。

 俺と砂橋は昨日放送されていたミステリードラマの感想を言い合っていた。


 昨夜、熊岸刑事の家に届いた小説の一ページとこの店のポイントカードの話を店内でするのもいかがなものかと思ったからだ。

 待っている三十分の間に、先に頼んでおいた砂橋のアイスミルクティーと、俺のアイスコーヒーが届く。


「それにしても、プールにカツラね。確か、元の話はプールに浮かんだ人形じゃなかったっけ? それがどうして人間の頭皮になるわけ?」

「インパクトのある場面を書こうと思ったんだ」


 冷静に聞かれると恥ずかしくなってしまう。


 元になった出来事はなんてことはない、知り合いの別荘に遊びに行った時に誰のものでもない人形がプールの中央に浮かんでいたのだ。


 別荘に来た人間は全員が大人であり、到着した人間全員で別荘のホールに集まり、リビングに行き、そのまま、外に出て、プールを見た時に水面に浮かんでいる人形を発見したのだ。

 当然、誰の持ち物かと疑問が浮かんだ。

 結果、近くの別荘に来ていた家族に十歳の女の子がいて、その子が忍び込んだはいいもののプールで泳ごうとして、人形を落としてしまい、泣きながら別荘に戻っていったという真相だった。

 ちょうど俺達が到着する三十分前の出来事で、慌ててやってきた少女の両親が平謝りしていた。


「小説の方だと、頭皮を剥いだのは、その髪の長さの人物が一人しかいなかったから、その人に化けるため、だっけ?」

「人影だけで、その人物が生きていると判断させて、いつ死んだのか分からないようにするのと、誰が殺したかをかく乱するのが目的だったな」

「思ってたんだけど、それでどうして頭皮ごと髪の毛を被害者からとって、その頭皮をプールに浮かべたのかって話だけど」


 思わず、口を引き結んだ。ダメだしが来る。


「プールの底に被害者の死体を隠しておいて、浮力のせいで頭皮だけがプールの表面に浮いてきたっていうのは無理があるでしょ。どうして、隠し場所をわざわざ手間がかかるプールにしたのかも気になるし、頭皮を被害者の頭に戻したとしても接着剤でくっつけてるわけもないんだから、浮くのは当然分かるでしょ。そもそも、プールの隅に死体を置いていても、見れば分かるって」


「……」


「まぁ、小説の話としては面白かったよ。誰も現実でやろうとは思わないけどね」

「ミステリー小説は娯楽としてのトリックと殺人だ。現実でやろうとする人間はただの馬鹿だ」


 俺が砂橋により、ミステリーのダメだしを受けているうちに、沈んだ顔をしてパンケーキを食べていた男性二人組も店を出て行く。パンケーキの焼き上がりには時間がかかるが、客の出入りが極端に少ないというわけではないらしい。

 こうやって、落ち着いて甘いものを食べるのも久しぶりだと思いながら、冷たいアイスコーヒーを喉に流し込んだ。


「どうする? 今回は頭皮ごと髪の毛が用意されてたら」

「とりあえず、犯人には感服だ」

「僕は馬鹿なことしたねって大爆笑するけど」

「だろうな」


 俺と砂橋は、昨夜、熊岸刑事から小説のページとポイントカードの画像をメールで送られて、二人して頭を悩ませた。


 昨日、警察署へ連行された裸コートの事件の犯人である森川静江は、俺の小説のページなんて知らないと主張した。それどころか、彼女はミステリー小説なんて読んだことがないと主張したのだ。当然、弾正影虎という俺のペンネームを熊岸刑事が言っても、そんな人間は知らないと答えた。


 彼女が捕まった後にも熊岸刑事の自宅に俺の小説のページが届いたことから、事件を起こした森川静江と、熊岸刑事に小説のページを送り付けた人間は別人だと分かる。

 そして、熊岸刑事に小説のページを送り付けた人間は、俺の元にページが切り取られた本を送り付けた人間と一致しているだろう。


 いったい、犯人がなにを考えているのかは分からないが、森川静江の事件と関わっているということだけは分かる。

 そして、これから起こるかもしれない事件にも関わっているのだろう。なにも起きないのが一番なのだが。


「あ、来た来た」


 砂橋の前にチーズのムースがたっぷりとのり、その上に色鮮やかなベリーソースがかかったパンケーキが置かれる。パンケーキだけで満足できると言わんばかりに、それだけしか皿の上にはなかった。


 俺の目の前にはなにもかけられていないパンケーキとその横にオムレツとサラダが並んでいた。スモークサーモンとアボカドのセットと悩んだが、無難にオムレツを選んで正解だと、俺はフォークとナイフを持ちながら頷いた。


 一口、なにもつけていないパンケーキをナイフで切って、口に運ぶ。口に入れた瞬間に、綿あめよりも口の中に存在を残しながらも消えるパンケーキの食感を目を瞑って味わう。

 主張は激しくないものの甘さは定着しているパンケーキはオムレツにかかっているケチャップと合わせても問題ない味だった。昼飯としてこれを食べても充分満足できる代物だ。


 砂橋は砂橋で、最初は俺のようになにもつけていない状態のパンケーキを一口だけ口に運んだ。それからはチーズのムースだけをつけたり、ベリーソースだけをつけたり、あるいは両方つけたりと、様々な味わい方をしていた。


 黙って食うということは気に入ったのだろう。


 この店のポイントカードを見た時に「ここ、気になってたんだよね。ちょうどいいし、行こうよ」と前のめりに言ってきたくらいだ。事件なんて起こらなくても、美味しいパンケーキを食べることができただけで機嫌よく帰宅してくれそうな雰囲気に俺は胸を撫でおろした。


 食欲は衰えることなく、時折「美味しい」と言葉を漏らしながら、パンケーキを食べ終えると、テーブルの隅に建てられたメニュー表をじっと砂橋が見る。


「……弾正」

「なんだ」

「バナナチョコか、キャラメルかどっちがいいと思う」

「……好きにしろ」


 小さい丸型の厚みがあるパンケーキは皿の上に三枚あった。わりとそれで腹は半分満たされたから俺は満足だ。しかし、砂橋はまだ食べ足りないらしい。

 砂橋がメニュー表を手に取ったと同時に、俺はポケットの中で震えたスマホを手に取った。

 熊岸刑事からの着信だ。すぐに出ると熊岸刑事は俺の返事を聞かずにすぐに要件を告げた。


『死体が出た。場所を言うから来てくれ。現場を見てもらった方がいい』


 熊岸刑事が告げた住所をポケットから取り出したメモ帳に書き留めると、メニュー表を睨んでいる砂橋に視線を送る。どうやら、どれを食べるか決めかねているようで、俺の様子にも熊岸刑事からの連絡にも気づいていないらしい。


「分かりました。すぐ行きます」


 俺は通話を終わらせると、砂橋の手からメニュー表を取り上げ、元の位置に戻した。


「事件だ。行くぞ」


 珍しく、砂橋は事件だというのに嫌そうな顔をした。

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