小説の隠れファン
死体が見つかったのは俺と砂橋が熊岸刑事に呼び出されたこの公園だった。ベンチから転がり落ちたような状態で倒れている被害者を見つけた通行人が救急車を呼んだ。その後、男性の状態を確認するために近づいた通行人がうつ伏せだった被害者を仰向けにしたことでその被害者の男がコートしか着ていないことが分かったらしい。
「この寒空の下、コートだけねぇ。とんだ変態だ」
砂橋が茶化すように言って、肩を竦めた。
実際、よほどの馬鹿でもなければ、この寒空の下でコートだけを着て、出かけようとはしないだろう。
「その男の身元は今調べている」
「コート以外に身に着けていたものは?」
「まったくなかった。コートのポケットからジッポライターと煙草が見つかったが……」
財布や鞄など、身元が特定できそうなものはなかったということか。
「こんなところで倒れてるのに煙草もライターも盗まれてないなんてね」
「いくら盗人でもこんな気温の中、盗もうとしないだろう」
「盗む暇がなかったのかもよ。ホームレスからすれば、ジッポライターは売り物になるし、煙草だって、嗜好品だから喉から手が出るほどほしいんじゃない?」
砂橋の言うことももっともかもしれないが、盗人が平然といると思いたくない。
にしても、と俺は手元の紙一枚に視線を落とす。
俺の小説の一部分が熊岸刑事に送られて、そして、それに似た死体が出た。偶然だとも思えるが、どうにも嫌な符合だ。
「熊岸刑事、どうして、この紙が弾正の小説だって分かったの?」
「ああ、それは……」
熊岸刑事はちらりと俺を見ると、気まずそうに視線を逸らした。先ほど、熊岸刑事は一度もこの小説を読んだことはないと言っていたから、中身は知らないだろう。
紙一枚には俺の小説だと分かるような情報は載っていない。ネットで、登場人物の「雪村」と「城崎」が出てくるミステリー小説を探せば、俺の小説だと分かるかもしれないが……。
「妻が……ファンなんだ」
「……」
「わー、熊岸刑事の奥さんが? 弾正の? よかったね、弾正。サインでも書いてあげなよ」
「書くわけないだろ」
自分の小説を手に取ってもらえるのは嬉しい限りだが、その相手が知り合いの妻となると途端に気まずくなってしまう。
「俺も弾正先生と知り合いだと知られると妻に色々と問い詰められることになるからサインは要らない」
「先生って言わないでくれ……」
熊岸刑事は真面目に俺のサインを断ったが、砂橋の冗談を真面目にとらえられるとどうにもこの複雑な気持ちの落としどころを見つけられない。
「話を戻そう。家に帰ったら、妻がポストに入っていたとこの紙を見せてきたんだ。これは小説の一ページで、弾正先生の小説で、この話では裸にコート一枚の死体が出てくると言われた」
「紙の存在を知ったのは今夜?」
「ああ、裸コートの被害者を見た後、家に帰ったら妻に話されたんだ」
「なんていいタイミング」
皮肉な砂橋の言葉にもはや俺も熊岸刑事もなにも言わない。砂橋の言葉が的を射ているからだ。
そう。タイミングが良すぎる。
熊岸刑事が裸にコートの死体を見た後に、それと似たような死体が出てくる小説の一ページが熊岸刑事のところに届いた。偶然という言葉一つで片づけられるものではない。
「今のところ、事故か事件かは分からない。詳しい死因も司法解剖の結果待ちだ。明日には出るだろう。うちに届いたこの紙も今のところ、事件と確かな関連があるわけじゃない。だから、一応、だ」
「そうか……」
自分の小説が実際の事件に関係しているかもしれないなんて、鳥肌ものだ。いくら小説が想像上の出来事を書いていることだとしても、それを現実に持ち出してくる人間はいるだろう。
小説で書かれていたから、同じように殺人を犯したと言われ、なおかつその時に俺の小説の名が挙げられたらたまったものではない。
砂橋に探偵小説を書いていることがバレた時以上の冷や汗が背中を伝う。
「弾正も大変だねぇ」
明日も朝早くから仕事であろう熊岸刑事の背を見送りながら、砂橋がようやく缶コーヒーの蓋を開けて、一口飲んだ。
「前から思ってたけど、弾正って事件を呼び寄せる体質だよね」
「は?」
それはお前だろうと俺は声を大にして言いたかったが、俺が叫んだところで、砂橋はのらりくらりと俺の言葉を躱すだけだろう。俺は飲み終えた缶コーヒーの缶を自動販売機の横のゴミ箱へと入れた。
「帰るぞ。こんなに寒い中、外にいてもしょうがない」
砂橋は缶コーヒーに口をつけたまま、じっと俺のことを見た。だいたい砂橋がじっとなにかを見る時はろくでもないことを考えている時だ。その視線が俺に向けられているという時点で、嫌な予感しかしない。
「なんだ」
「ねぇ、弾正。脱いでみてよ」
「はぁ?」
「この気温の中、脱げる?」
「脱げるわけないだろ」
「だよねぇ」
突拍子もない言葉を当たり前のように拒否すると、砂橋は寒空の下、俺が言う事を聞いて服を脱ぎ始めることはないだろうと早々に見切りをつけて、俺から視線を外した。
「この寒空の中、ねぇ」
砂橋が缶コーヒーの残りを飲み終わるまで、空を見上げた。俺はそれに倣うように空を見上げた。
冬の空は、夏の空よりも鮮明に星空を映していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます