真夜中裸コート編

裸コートの男

 砂橋は首に巻いた黒いマフラーに鼻先まで埋めていた。正月も終わり、冬真っ盛りの今、砂橋は細い体格に似合わらないコートを羽織り、手袋をつけた両手をコートのポケットに突っ込んで寒さに耐えていた。


 ただでさえ、外出時には防寒対策を余儀なくされるというのにも関わらず、現在は午前零時過ぎ。空を見上げれば、流れる雲が遠くに少しだけ見える快晴の空だ。息を吐く度に顔の前に白い靄が出来、砂橋は隣で縦に小さく震えている。


 待ち合わせだから動けないが、突っ立っているだけも寒かったのだろう。


「ほら」


 仕方なく、コートの内ポケットに入れていたカイロを差し出すと、砂橋は俺の手からひったくるようにカイロを奪って、自分のコートのポケットの中にそれをいれた。


「それにしても、この時間に呼び出しなんて、人使いが荒いね、熊岸くまぎし刑事も」

「そうだな」


 お前が言えたことではない、という言葉は呑み込んだ。話していなければ、寒さのことばかり考えてしまう。砂橋が話題を振ってくれて助かった。


 砂橋の要望通り、パイシチューを作って、夕飯を終えた後、しばらく砂橋はゲームをして、俺は仕事の最終確認をしていた。風呂にも入り、まだゲームをしている砂橋に「もしかして、オールか?」と尋ねた。そんな時に砂橋に熊岸刑事から電話がかかってきたのだ。


 知り合いの刑事から夜の呼び出し。

 嫌な予感しかない。


 そもそも、砂橋が警察と関わる時はほとんど殺人事件絡みだ。むしろ、それ以外ないと言っていいだろう。いつもは砂橋が首を突っ込んでしまったり、いつの間にか事件に巻き込まれていたりと多々あるが、こうやって砂橋と俺、二人そろって呼び出しを食らったのは初めてかもしれない。


 しかも、こんな場所に呼び出して。


「夜の公園なんて久しぶりに来たよ。夜の公園って酔っ払いとか変な人とかいると思ってたけど、誰もいないね」

「こんな冬の夜に公園に居座ろうという輩もいないだろ。下手すりゃ凍死だ」


 例え、約束があったとしても、ここに長くいたいとは思わない。


 呼び出されたのは遊具がある公園ではなく、散歩やイベントなどを目的にされた場所だった。敷地が広い公園の真ん中あたりには、人が誰もいない。公園の出入り口あたりには人もいるかもしれないが、わざわざ夜中に足を延ばして公園の中へと来るような人間はいないだろう。


「……そういえばさ、君のミステリー小説さ」


 近くに温かい飲み物を売っている自動販売機はないかと周りを見渡している時にいきなり小説の話題を振られた。これから一ヶ月の間は、書いている小説について色々と言われるのだろう。


「なんだ」

「実際に起こったことはないけど、話題に出したミステリーもネタにしてたよね。ほら、凍死のやつ」


 ミステリーの短編集に載せているネタは砂橋との関わりで得ることが多いが、実際、砂橋もそこまで殺人事件や知恵を必要とする状況に陥ることはない。そのため、砂橋との会話で話題にあがったものを取り上げてミステリーに仕上げることもあるのだ。


「サウナで死んだ男の死体を雪の中に放って、外で凍死したと見せかける殺人か?」

「僕は検死とかしたことがないけど、実際、どうなの?」

「サウナでの死亡例は脱水症状による失神や臓器の損傷だ。それに対して凍死は低体温症による死亡だ。死斑も違う。解剖したら、どちらにしろすぐに凍死していないということが分かってしまうだろう」

「じゃあ、死因がバレない状況なら誤魔化せるってことだ」


 実際、俺の短編小説の中で、探偵がその死体に出会ったのは雪山のロッジの周囲だった。死体は雪に埋もれ、誰もが彼は凍死したと思った。

 しかし、探偵が死体を掘り起こし、コートを脱がせたところ、その死体はコート以外のものを着用していなかったことが分かる。これは犯人が時間を惜しんで、死体を外に捨てる際、サウナに入って裸の状態だった被害者に服を全て着せることができなかったために起きた現象だった。

 結局、被害者はサウナで死に、被害者がサウナに入っていた時のアリバイがない者が犯人ということで事件は解決した。自分で書いていたもののずいぶんと奇妙な事件だ。長い間、生きていたとしても、死体がコートしか着用していないなんて現象に出会うことは絶対にないだろう。


 コート以外を着用しないまま、外を出歩けば、それはただの変質者だ。


「あ、熊岸刑事」


 俺が自分の短編ミステリーを思い出しながら、近くの自動販売機に駆け寄ると砂橋が公園内の曲がった道の先へと顔を向けた。黒のチェスターコートに身を包んだ体格のいい熊のような男が近づいてくる。黒とピンクのチェック柄のマフラーはその強張った顔面には似合うとは言えない。


「二人とも、すまない。待たせたな」

「奥さんと喧嘩でもしたの?」

「違う。俺のマフラーを洗濯してしまったから私のを使ってと、断ったのに首に巻いてきたんだ」


 俺はあたたかい缶コーヒーを三つ買った。砂橋と熊岸刑事に渡すと熊岸刑事だけが「ありがとう」と感謝をしてきた。砂橋は缶コーヒーを開けずに両手で掴んでいた。


「どうして、こんな人気のない場所に呼び出したの? 誰かに聞かれたくない話でもあった?」

「ああ、実は……こんなものが届いてな」


 熊岸刑事は持っていた黒革の鞄を開き、中からキッチン用具としてよく使っている真空パックに入った紙を見せてきた。街灯の光だけでは心もとないため、砂橋がポケットの中からペン型のライトを取り出して、熊岸刑事から紙を受け取った。


 それは小説の一ページを切り取ったような一枚の紙だった。



『十の数字を時計の短針が通り過ぎた頃、探偵雪村は、ロッジに集まる面々を見回した。誰一人として、被害者である魚沼と共にロッジの外に出た人間はいない。魚沼の身体のほとんどが雪に埋もれていたのだ。倒れた成人男性の鼻先まで雪が降り積もる間、外に出た人間がいれば、誰かに目撃されているはずである。殺された魚沼が雪の中、抵抗しなかったわけでもあるまい。魚沼をロッジから連れ出し、雪の中での殺害をする時間は短いわけがない。しかし、ロッジに残った人間の中には十分以上も他の人間の視界から消えた人間はいない。


「外に殺人鬼がいるんじゃないかしら?」


 夫人の言葉は、他の面々にも恐怖を伝播させた。殺人鬼。次の犠牲者。死ぬのは御免。そんな言葉が飛び交う中、雪村は両手の指の腹を全て合わせ、暖炉の前の椅子に優雅にその長い脚を組んで腰を落ち着けた。


「雪村。これは大変だ。殺人鬼が本当にいるとしたら……」


 旧友の城崎きのさきが雪村に話しかけると雪村はすっと人差し指をたてて、城崎の鼻先に突きつけた。


「落ち着き給え、城崎。みっともない。君のように文机にしがみついている人間は想像力がたくましいが、他の皆さんも君に負けず劣らず素晴らしい想像力を持っているようだ」


 雪村が突きつけた人差し指を掴み、自らの顔の前からのけた城崎はどかりと雪村の隣の椅子に座った。


「殺人鬼はいないと?」

「そんなもの、いるわけがない」

「どうして?」

「このロッジの周りに潜伏できるところがあるとでも?」


 雪村は椅子の隣にあった丸テーブルの上の地図を取ると城崎に寄越した。その地図にはここから一番近くの集落までの道のりが示されており、それ以外にも他人が所有する別荘も記載されていたが、どれもこれも、山を一つ越えた先にあり、吹雪の中、人が歩いて殺人を犯し、次に被害者を見定めるために潜伏できそうな場所などどこにもなかった。』



 その文には、嫌というほど見覚えがあった。


「弾正の本じゃん。破られてるね。熊岸刑事、ちり紙の代わりにでもするつもりだったの?」

「そんなわけがないだろう。うちに届いたんだ。ご丁寧に差出人の記載はない封筒に入れられて」


 これは俺が書いた小説だ。砂橋をネタに書いたミステリーの短編小説『雪村探偵推理集 弐』に載せられた物語の一つ。

 先ほど、砂橋と話していたサウナと雪山の話の物語だ。


「どうして、これが熊岸刑事の家に?」

「差出人は分からない。その小説のページしか封筒には入っていなかった。経由した郵便局は分かるが、分かるのはそれぐらいだ」


 差出人は、熊岸刑事が俺と知り合いだということを分かっていて、これを送り付けたのだろうか。

 だとしても、狙いが分からない。熊岸刑事は大きくため息をついた。


「俺は一度もその小説を読んだことはないが……聞きたいことがある」


 寒いにも関わらず、背中には冷や汗が伝う。


「その小説に、コートだけ着た全裸の男の死体は出てくるか?」

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