間章 壱
駅から商店街を抜け、住宅街を横目に田んぼに囲まれた道路を進む。そうすれば、美味しい安いと評判の「すみのパン屋」へと辿り着く。土日は朝から大忙しのパン屋の前には人がうなぎのように並んでいるが、その日は違った。
「むごいわねぇ」
「まいちゃんもだなんて……」
「いったい誰か……」
いつもは綺麗に並んでるおばさんたちも店からちょっと距離を置いて、バラバラに立っていた。そのせいで店の入り口も見ることができない。
「ねぇ、おばちゃん、列の一番後ろは……」
名前もどこに住んでるかも知らないけれど、目が合うと話しかけてくるおばちゃんを見かけ、袖を引っ張る。おばちゃんはぎょっとした顔をしたと思うと僕の肩に手を置いた。
「子どもがこんなところに来ちゃダメよ」
「え、でも今日のパン……」
「パンは他のところで買いなさい」
おばちゃんと同じように周りにいた他のおじさんおばさんまで、僕をパン屋に近づけないようにしていた。今日に限ってなんでこんな意地悪をされるんだろう。
やっぱり、僕に優しくしてくれるのは「かにのおじさん」しかいない。
住宅街の端っこにある草が伸び放題の家。
それが「かにのおじさん」の家だ。
いつも僕が家に行くと笑顔で招き入れてくれて、家の本も自由に読んでいいと言ってくれる。甘い飲み物もお菓子も出してくれる。とっても優しいおじさんだ。
僕以外に人なんかいないと思ってたおじさんの家につくと、不思議なことにパン屋の前みたいに人がいた。手にはカメラを持っていたり、鉛筆とメモ帳を持っていたり、目がぎらぎらした人達がいて、僕は思わず塀の後ろに隠れた。
「この家に住んでる男が犯人だってよ」
「まぁ、早々に捕まってよかったけど、むごいことするよな」
「パン屋の三人家族惨殺だって」
大人たちが話していることがよく分からなかった。
でも、かにのおじさんが読んでもいいよと言ってくれた本の中に「殺人」という言葉はあった。
人を殺すということ。
この人達はかにのおじさんが人を殺したと言ってるんだ。しかも、死んだのはパン屋の家族。
かにのおじさんが人を殺すわけがない。
警察が調べれば、すぐにおじさんは悪くないって分かって、元通りの日常になるはずだ。元通りの日常にあのお店のパンはないけど。きっとかにのおじさんは戻ってきてくれる。
それまでは、優しくない大人に囲まれてても我慢できる。
一年、二年、三年。
僕は待った。
かにのおじさんは、パン屋一家惨殺事件の犯人として、無期懲役の判決を受けた。
それから時が経ち、十五年。
ついに舞台は整った。
罪は償わなければならない。
配送伝票のところに「黄色猫」と書いて、小説を梱包した段ボールに貼り付ける。
人には誰でも罪を償う機会が与えられる。
しかし、それは本人が自分の罪に気づいていたらの話だ。気づいていないとしたら、気づかせるしかない。報いと償いは、あってしかるべきだ。
受取人の欄には「弾正影虎」と書く。
この荷物が届けば、彼は驚くかもしれない。しかし、今更罪悪感はなかった。
僕がこのことで疑われようとも、僕自身、罪は犯していない。犯していない罪に罪悪感はない。あいつらが今の今までのうのうと生きてきたことと同じように。
この段ボールを送らずとも、もう罪は坂の上から転がり始めた。止めることはできない。
できることならば、最後までこの罪が転がり落ち、償いが果たされることを願おう。
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