探偵の友人の推理を小説にしているがバレてる件について~五つの贖罪~
砂藪
序章
机に向かって、キーボードを使い、文字を打ち込む仕事もひと段落つき、俺は天井に向けて両腕をあげ、背骨を伸ばした。エコノミー症候群など、椅子に座り続けることで起こる弊害を気にした結果、ジムに通い始めて、一ヶ月になる。
仕事中はずっとパソコンの横に置いてある腕時計に視線を寄せると、短針は五の数字を通り過ぎていた。夕食前にジムで運動でもするかと席を立ったのを見計らったように、インターホンが聞こえる。
一瞬、気のせいかと思ったが、再度インターホンが鳴らされて、大きくため息を吐いた。
夕食前に鳴るインターホン。
いつも通り、訪問者は腐れ縁の
砂橋というのは大学時代から付き合いのある探偵だ。現在、探偵事務所セレストに所属しており、時折、飯をたかってきたり、自分の仕事に俺のことを連れ出したりと自由奔放な人間だ。
砂橋自身、金を持っていないから飯をたかりに来るわけではない。料理をするのが面倒だから、俺のところにやってくるのだ。
インターホンの画面を確認することなく、俺はいつも通り、玄関の扉を開けた。
「お届けものです」
「……」
目の前には小さな箱を持つ配達員が立っていた。
何かを頼んだ覚えはない。箱がポストに入りそうになかったため、持ってきたのだと言われ、俺は予想が外れたことによる驚きで遅れ気味の感謝を述べて、箱を受け取った。ラーメンどんぶりがすっぽり入る程の大きさの箱を受け取ったが、とても軽い。小さな文房具しか入っていないのではないのだろうかとさえ思える。
配達員が軽く会釈をして帰っていく後ろ姿を見てから、箱に貼られた配達伝票に視線を落とすと同時に開いたままの扉の裏側からくすくすと笑う声が聞こえた。
その人を馬鹿にしたような笑い声は普段から聞いている。
「……砂橋」
名前を呼ぶと、開ききった扉の陰から相変わらずの癖っ毛の頭を砂橋が出してきた。背が低く、一目見ただけでは人懐こそうな瞳と低い身長の砂橋に信じられないほど俺が馬鹿にされているとは誰も思わないだろう。
「僕かと思って扉を開けたの? その様子だと絶対に扉を開ける前にモニターの確認もしなかったよね? 不用心過ぎない?」
どうせ、砂橋は俺が「訪問者は砂橋に違いない」と思って扉を開けることを想像していたのだろう。そのため、たまたま遭遇した配達員に先を譲り、俺の反応を見ていたのだ。
俺がモニターを確認していて、配達員に驚かなくとも、砂橋のことだから、いきなり目の前にひょいと飛び出してきて、俺のことを驚かせてケラケラと笑っていたのかもしれない。
「で? なにか頼んだの?」
当たり前のように俺の横を通り過ぎて、玄関で砂橋が履き慣れたスニーカーを脱ぎ始める。今更、勝手に入るなと注意しても無駄なことだろう。
「なにも頼んでない」
扉を閉め、鍵とチェーンをかけると再度箱の配達伝票に目を落とした。
この箱の送り主の名前が記入される場所には「黄色猫」と書かれている。ペンネームか何かだろうか。
届け先の欄には「
「うわ、熱心なファンじゃん。よかったね、弾正」
砂橋が俺の手元の箱の伝票を覗き込むとそう言ってさっさとリビングへと向かった。
もしこれが熱心なファンからの贈り物だとしたら、まったく嬉しくない。
住所が分かったとしても他のファンと同じようにプレゼントは出版社に送るのが礼儀だろう。そもそも、俺はプレゼントを送ってくるような層の読者を持っていない。
考えてもしょうがない。
俺はため息をついて、箱を靴箱の上に置くとリビングへと向かった。
「なにが食べたい?」
「あれ食べたいんだよね。グラタンとかの上をパイシートか何かで蓋をしたやつ」
「パイシチューか? 人に作ってもらう前提で頼むような料理じゃないと思うんだが?」
「いいじゃん、食べたいんだから」
砂橋が一度食べたいと言い出したら、俺は従う他ない。料理など、作らなければいいのだが、それだと後が面倒なのだ。
結局、材料はあっただろうかと冷蔵庫を開けて思案し始め、その隙に砂橋はテレビをつけて、俺の家に置いているゲーム機を起動させた。
何故、砂橋が買ったゲームが当たり前のように俺の部屋に置いてあるのか全く分からないが、注意してもやめないのは分かり切っている。
「ゲームだと料理をするのにな」
「現実だと頑張りたくないんだよ、料理如きに」
「人にやらせておいて……」
俺は続きを言うのをやめた。
砂橋にはなにを言っても無駄だ。ゲームの中では食材を選んで調理することを面倒だと思わないのに、どうして現実では作らないのかと疑問が浮かぶばかりだ。実際、作ろうと思えば、砂橋はそれなりに料理ができる。しかし、俺は砂橋が作った料理を食べたことが一度もない。
「そういえば、この前発売されてた新作さ。僕がこの前、推理した件の奴だよね?」
「……なんのことだ」
「弾正先生のミステリー短編集! 第三弾なんだって? 主人公の探偵もどんどん活躍していって、ずいぶん、鼻高々なんじゃない?」
ゲーム画面を見ていた砂橋がキッチンに立つ俺を振り返る。
「ねぇ、弾正先生?」
冷や汗が伝う。
つい去年の十二月に砂橋に俺がミステリー小説を書いていることがバレてしまった。しかも、登場する探偵は砂橋を見て思いついたのだ。
「この前、解決した仕事だと日にちを明記せずに時間だけの証言を言って、実は二日間の証言がごちゃごちゃになっていたっていう話だったけど、そのまんま使ったよね? 仕事の目的がそれじゃなかったし、事件とか関係なかったからいいけどさぁ」
砂橋はにやにやとしながら、ソファーの背もたれに肘をのせるとこちらをじっと見てきた。怒ってはいない。自分の日常を小説にネタとして昇華されることになにかを思っているわけではなく、その行為を問い詰めることで罪悪感を抱く俺の様子を見て、楽しんでるんだろう。
最初は、砂橋の仕事に無理やり付き合わされた仕返しとして、短編ミステリーを書いていた。
しかし、そのデータを提出する予定の原稿と間違えて担当編集に送ったところ「短編集として出しましょうよ」と言われてしまったのだ。
砂橋へのちょっとした意趣返しのつもりで書いていたが、腐っても小説家として暮らしているため、書いていた短編でも手が抜けなくて、さらに単行本にしても問題ないほどの文字数の短編集として成立してしまっていただけ、興奮気味に「出しましょう!」と言う担当編集に押し切られてしまった。
しかし、砂橋はわざわざ俺の小説を読まないから絶対にバレないだろうと高を括っていたところ、砂橋が俺の小説を読んだ。
そんなことが起こっているとは露知らず、いつも通り砂橋に接していたら「弾正のミステリー小説読んだよ」と言われ、俺は地面に膝をついた。
その様子がよほど面白かったのだろう。
砂橋は俺の小説が発売されるとチェックするようになってしまった。どう考えても俺が悪いが、砂橋にも責任はあってほしいと願っている。
「さっきの箱、開けていい?」
砂橋はすぐに俺に対する興味を失ったようで、俺の返事を聞く前に箱を置いた靴箱へと歩いていった。その手に箱を持って戻ってくるとテレビ横の棚に置いてあるペン入れからカッターナイフを取り出し、箱の中身を守っているテープにカッターの刃を入れ始めた。
箱を開いた砂橋は、なんの反応も示さずに箱を開けたままテーブルの上に放置した。キッチンにいる俺からは箱の中身は見えず、逆に気になる。
ゲームに意識を戻した砂橋が箱の中身を教えてくれるはずもないので、俺は仕方なく、調理の手を止めて、テーブルへと向かった。
箱の中には見知った文庫本が一冊あった。
『雪村探偵推理集 弐』
本の装丁にも、題名にも見覚えがあった。それは先ほど、砂橋が話題にあげていた、砂橋をネタに書いたミステリー短編集だった。
「ファンに赤ペンでもいれられてんじゃない?」
「もしそうだったら俺は頭を抱えるぞ」
どうして、自分の本を送られるのかも分からないが、何故、一巻ではなく、二巻を送られるのかも分からず、気味が悪い。箱を閉じて、テレビ横の棚の上に置いて、俺は調理に戻った。
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