鍋パーティー
夜空を見上げて、缶コーヒーを飲んだその日。もう少し詳しく説明するのなら、裸にコート一枚の男の死体が見つかった翌日。
熊岸刑事は、俺の家を訪ねてきた。
表向きは友人の家に鍋を食べに来たという形だ。
刑事が個人的に事件のことを話しに一般人の住居を訪れるなんて状況を俺が作りたくなくて、鍋パーティーという口実を作ったのだ。
「妻が作ったつみれを持たされた」
「鍋はともかくパーティーなんて、熊岸刑事がやる~? 弾正、もうちょっとうまい言い訳を熊岸刑事に言わせなよ」
「妻に一緒に鍋パーティーをする人との写真を撮ってくるようにも言われた」
「ほら、奥さんに浮気疑われてるじゃん。弾正が変なこと言わせるから」
「疑われていない。妻は俺にできた友人に興味があるらしい」
「友達いなかったの、熊岸刑事」
非常に失礼なことを俺と熊岸刑事に向かって言い放つ砂橋はすでにテーブルの上に置かれたカセットコンロを前にして座っている。一応、熊岸刑事は今回、招待されたという形なので座ってもらうことにした。
ということで俺が鍋の準備をした。
鶏肉をふんだんに使った水炊きだ。熊岸刑事の奥さん特製のつみれが入っていてもこれなら大丈夫だろう。
「熊岸刑事はポン酢とごまだれどっちがいい?」
「ポン酢がいい」
あちらは夕飯の話に夢中らしい。
誰だって、夕飯を食べる前に死体の話などしないだろう。俺だって、砂橋のせいで物騒な話には慣れているが、自分の小説に似た死体の話を食事の準備中にされるのはよろしくない。
熊岸刑事が家に到着する前にある程度の準備は済ませておいた。
手羽元と手羽先と鶏もも肉を茹でている間に準備しておいた白菜と木綿豆腐をそれなりの大きさに切っておき、鶏のだしが出たスープを作り、それを元に鍋を作っていく。野菜と肉をいれ、少し土鍋を火にかけ、水を加えて、味と水の量を整える。
その時に熊岸刑事の奥さん特製のつみれを忘れずに入れる。
あとはリビングのテーブルの上のガスコンロに移せばいいだろう。
「早く、弾正、待ちくたびれたよ」
砂橋が来たのは熊岸刑事が到着する三十分程前だ。確かに砂橋は一切手伝っていないのだから待ちくたびれるのも当然だろう。三十分程度しか待たせていないのだから、大人しく黙って待っていることはできないのか。
「もうできたぞ」
カセットコンロの上に土鍋を置くと待ってましたとばかりに砂橋は箸を構えた。「いただきます」と両手を合わせてから箸をとる熊岸刑事とは大違いだ。
白菜と木綿豆腐を、ポン酢をいれた器によそった砂橋は、熊岸刑事を見た。
「それでなにか進展でもあったの?」
「進展は今のところ、亡くなった人間の身元が判明したぐらいだ。亡くなったのは妻も両親もいないが、兄夫婦とその娘の家に居候をしている四十代の男性だ」
俺は早速、ポン酢に浸した鶏もも肉を口に含んで、げんなりとした。食事を作っている時はそんな話は一切していなかったのに、どうして、人が肉を食べ始めた時に死体の話をし始めるのか。
熊岸刑事は、一応警察官であり、殺人事件なども請け負っているから仕方がないだろう。殺人事件があっても事故があっても、食事をしなくてはいけない。
それに対して、砂橋も俺も一般人だ。死体に耐性があるわけがない。いや、もしかしたら、葬式以外では死体を見ることなく人生が終わるような人間と比べたら、死体に対して耐性があるのではないか。だからといって、食事中に死体の話はよしてほしい。
「ふーん。結局凍死だったの?」
「ああ、凍死だ。薬物反応も出なかった」
こんな冬に裸にコート一枚でいる時点で頭がおかしいのかと思ったが、薬物はやっていなかったらしい。素面のまま、裸にコートという時点でだいぶおかしいとは思うが。
「薬物反応は出なかったが、アルコールは摂取していたらしい。しかも、しこたまな……」
そりゃあ、しこたま飲んでなければ、寒空の下、コート一枚になったりしないだろう。
熊岸刑事の話を聞きながらだとどうにも箸が進まない。とりあえず、俺は箸を置いた。
「日本酒でも飲むか? にごり酒ならある」
「僕はパス」
「いただこう」
「熊岸刑事、帰りの運転は?」
「今日は妻が送り迎えをしてくれることになってるんだ」
「惚気るね~」
本当に熊岸刑事は浮気をしていると彼の妻に疑われてるんじゃないかと不安になってくる。
俺は日本酒を飲む時に愛用している江戸切子のグラスを二つと、開けていない酒の瓶を持ってきた。こんな話、飲まないとやってられない。
「酔っ払いが、調子に乗って、裸になって、コートを着て……それで凍死? 馬鹿じゃないの?」
砂橋が言うことももっともだ。
「そうだな……。やはり、俺の元に来た小説の一ページはなにも関係ないか」
煮え切らないように言葉を発しながらも、熊岸刑事が奥さん特製のつみれを口の中に頬張った。よくこの話の途中で食事の速度が衰えないものだ。
「事故なら、深く考えなくていいじゃないのか?」
「いや……事故ではないと俺は考えている。泥臭いことを言うかもしれないが、これが刑事の勘なのかもしれないな」
ぐいっとグラスに注いだ酒を飲み干しながらそう言った熊岸を砂橋はケラケラと笑った。
「勘なんてあるわけないじゃん」
熊岸刑事の奥さん特製のつみれに嚙みついて、咀嚼した砂橋は目を細めた。
「勘なんて思考放棄した結果だよ。なにか引っかかる部分があったから事故じゃないかもしれないって思ったんでしょ。考えていないうちから勘って言って、思考放棄してるだけじゃん」
酒も入っていないのに、どこでスイッチが入ったのか、砂橋の機嫌がよくなった。
「熊岸刑事が事故じゃないって言うなら、事故じゃないんだよ。一緒に事故か事件じゃないか考えてあげるよ」
酒を一口飲んだだけでは、熊岸刑事も酔わない。砂橋がこんなに素直に手を貸そうと言い出すなんて、驚きを通り越して、不気味だ。俺と熊岸刑事は訝し気に砂橋を見つめる。
「何かしてほしいことでもあるのか?」
「まっさか~。いつもお世話になってる熊岸刑事に手を貸すだけじゃん」
砂橋はにこにこと笑う。その笑顔でさえも不気味だ。
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