第43話 湖畔での夜①


「よし。じゃあ今日はここで休もうか」


 リドたちはラストア村からソロモンの絨毯に乗り、夕方には王都グランデル近郊の湖畔へと到着していた。


 陽も沈んできたため、これ以上の飛行移動は危険だろうということ。

 そして、王都内で宿を取るのは教会の人間に見つかる可能性があるという理由から、リドたちはこの湖畔で一晩を明かすことに決めた。


「えっと……。エレナさん、大丈夫ですか? シルちゃんも」

「だ、大丈夫ますことですわ……」

「ふふふ……。魚がたくさんだぁ……」

「うん。二人とも全然大丈夫じゃないですね。言葉遣いがヘンです」


 再び高所高速移動を経験したエレナとシルキーはヘトヘトに疲れきっているようだ。

 ミリィの指摘した通り、話す言葉もいつもとは異なる上、シルキーに至っては寝言のような言葉を繰り返している。


「ごめんね二人とも。少し急ぎすぎたかもしれない」

「いえ、大丈夫ですわ師匠。どちらにせよ苦しむならその時間が少ない方が良いですし……」


 ミリィが持ってきていた上級薬草を受け取り、エレナとシルキーは即座に飲み干す。

 その効果もあってか二人の体調はすぐに体調は回復したようだ。


「それじゃ、休む場所を作ろうか。ミリィ、お願いできる?」

「はい。お任せ下さいリドさん」


 ちょうど湖畔の近くに大樹があるのを見つけ、ミリィはその樹に手をかざした。


 ミリィのスキル――【植物王の加護】によって、大樹の一部がまるで童話に出てくるエルフの隠れ家のように変形する。


「うむ、ご苦労。やるではないか、むっつりシスター」

「シルちゃん、すっかり元通りですね……」


 薬草の効果で回復したシルキーが、いつものように偉そうな態度で呟いていた。


   ***


 夜になって――。


 リドが見張りを買って出て、大樹の家の中ではミリィとエレナが横になっていたところ。

 ミリィが体を起こし、辺りをキョロキョロと見回す。


「眠れませんの? ミリィさん」

「……あ、ごめんなさいエレナさん。起こしちゃいましたか?」

「いえいえ。寝付けないのは分かりますわ。私も同じですもの」

「明日、ですね。ドライド枢機卿がいる王都教会に潜入するのは」

「ラクシャーナ王が仰っていたように、ヴァレンス王国全体に関わる問題ですからね。緊張するのも無理はありませんわ」


 エレナの言葉にミリィは少しだけ安堵する。

 一人ではないと、そう言われた気がした。


 ちなみに今の二人は同じ寝具で体を包んでいる。

 ラストア村にいる時も同じであり、一人で寝ることができないエレナにミリィが付き添ってやることが日課となっているのだ。


 だからと言うべきか、次にミリィが発した言葉はエレナにとって絶望的なものだった。


「うぅ……。やっぱりすぐには寝れなさそうです。ちょっと私、外の風に当たってきますね」

「え……」

「そんな顔しなくても。すぐ戻ってきますから」

「や、約束ですわよミリィさん。今は師匠もシルキーさんも見張りでいないんですから」


 ミリィは寝床から抜け出すと、エレナに寝具をかけ直してやる。


「約束ですわよぉ……」


 力なく呟かれた言葉を受けて、ミリィは苦笑しながら外へと向かった。


   ***


「あれ、ミリィ?」


 ミリィが外に出ると、そこにはリドがいた。


 焚き火の前にある丸太に腰掛けており、隣にはリドの愛用武器である大錫杖が立てかけてある。

 寝ているはずの二人に代わって周囲の警戒をしていたようで、いかにも真面目なリドらしい。赤い首輪を付けた愛猫の方は隣で眠りこけているというのに。


「すいませんリドさん。中々寝付けなくて。少しお邪魔してもよろしいですか?」

「ああ、もちろん。どうぞ」


 リドは立てかけていたアロンの杖の位置を変え、ミリィが隣に座れるよう少しずれる。座り直す前に眠っているシルキーの尻尾を踏みつけないよう注意することも忘れない。


 ミリィは明日の教会潜入とは別の意味で緊張しながら、リドの隣にそっと腰を下ろした。


 ――もう少し離れた方が良いだろうか、逆に近づくチャンスか、でもそうすると肩と肩が触れてしまいそうだし、いやそもそも自分はただ寝れないから外に出てきただけで、よこしまなことを考えているわけでは決してなくて、しかし自分の心に素直になることも大事なのでは――と。

 ミリィの頭の中では思考が駆け巡っていた。


 そんな状況を知る由もなく、リドは焚き火にかけていた鍋へと手を伸ばす。そして、中身のスープを容器に移し替えると、それをミリィの前に差し出した。


 リドも同じものを飲んでいるらしく、手にはまた別の器が握られている。


「はい、ミリィ。温まって寝やすくなると思うよ。熱いから気を付けて」

「あ……、ありがとうございます」


 暴走していた思考が急に消え去ってしまったからだろう。

 リドから差し出された器を取ろうとした時、ミリィの注意はひどく散漫だった。


 ――パシャッ、と。


 ミリィの手から器がこぼれ落ち、地面に転がる。

 当然スープは地面に吸い込まれていった。


「あ、わわっ! すいませんリドさん! せっかく入れてくれたのに!」

「ああいや、大丈夫。気にしないで。それより火傷とかしてない?」

「は、はい……。それは大丈夫ですが」

「なら良かった」


 リドはにこりと微笑んで、自分が飲んでいた方の器をミリィに差し出す。


「もし良かったらミリィはこっちを飲んでて。まだ温かいからさ。僕は落ちた器を洗ってくるよ」

「え……。そんな、悪いですよ」

「平気平気。湖も近くだからね」


 リドは落ちた器を地面から拾うと、湖の方へと駆けて行ってしまった。


「……」


 焚き火がパチパチと音を立てていた。

 ミリィの手の中には、リドが先程まで口を付けていたスープの器がある。


「……」


 ミリィはシルキーの方をちらりと見やったが、まだ目を閉じて眠っているようだった。

 手の中には、リドが先程まで口を付けていたスープの器がある。


「……」


 ミリィはふと視線を落とした。

 手の中には、リドが先程まで口を付けていたスープの器が、ある――。


「す、素直になることも大事、ですよね……」


 ミリィは誰にとも無く呟く。

 いや、自分自身に向けてだったのだろう。


 決意を固め、リドから受け取った器に自分の顔を寄せていく。


 そして、ミリィは器のふちに唇を付けた。


 そのまま、まだ熱い中身を口の中へと流し込む。


 正直言って、美味しくはなかった。


 そういえばリドは料理が苦手と言っていたなと、ミリィはいつぞやのシルキーの言葉を思い返す。


 しかし、そんなことはどうでも良かった。

 ミリィにとって真に大事だったのは、器の縁に口を付けるという行為そのものだったのだから。


 唇を離し、ミリィは自分の顔が赤く染まっていることを自覚する。

 それは決して焚き火のせいなどではないということも、分かっていた。


「も、もう一度くらい……」


 ミリィが再び器に口を付けようとした。

 その時だった。


「起きてるからな」

「はひゃぁ!?」


 変な叫び声を上げて、ミリィはまたもスープが入った器を落としそうになる。

 しかしそれも無理はない。


 横で寝ていたはずのシルキーのぱっちりと開いた瞳に、ミリィは射抜かれていたのだから。


「あ、あ……。シルちゃん、いつから……」

「お前がリドの隣で、近づこうかどうしようか狼狽えていたあたりからだな」

「ほぼ最初からじゃないですかぁ!」


 ミリィは銀の髪を振り乱す。


 今度はどんな風にからかわれることになるのだろうと、そんな思考がミリィの頭の中を埋め尽くしていた。



 一方その頃、大樹の隠れ家にて――。


「ミリィさん、遅いですわね……」


 エレナが呟いていたが、当の本人はそれどころではなかった。


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