第44話 湖畔での夜②


「ミリィ、さっき何か声が聞こえたけど大丈夫だった?」

「はいぃ……」

「……?」


 ミリィが力なく答えて、リドは怪訝な顔を浮かべる。


 どことなく見慣れたものではあったが、シルキーにとっては飽きのこない光景だ。

 焚き火の近くでぬくぬくと暖を取りながら、自分の毛並みを丁寧に整えている。


「もしかして、またシルキーがちょっかい出したの?」

「おいおい、それは冤罪だぞ相棒。一回目が終わるまで声をかけなかったんだから、むしろ空気を読んだと感謝してほしいくらいだというのに」

「一回目?」

「まあいい。とにかく、勝手にそのむっつりシスターが自滅しただけだ」

「うーん? やっぱりよく分からないけど……」


 リドの純朴な発言がミリィをグサグサと突き刺す。

 ミリィの今の心情としては「穴があったら入りたい」ではなく「穴を掘ってでも入りたい」だった。


「ま、自分の気持ちに素直なのは良いことだと思うぞ、ミリィよ」

「うぅ、慰めになってないですよぉシルちゃん」


 足元へ寄ってきたシルキーにポフポフと叩かれるが、ミリィは涙目を浮かべたままで抱え上げる。

 それからミリィが普通の会話ができる状態になるまでには少し時間がかかった。


 そしてしばらくして――。


「ううむ。しかしどこかのむっつりシスターのおかげで目が覚めてしまったな。二人共、吾輩が防御結界を張っておくから、眠くなったら寝ていいぞ」


 シルキーがミリィの腕の中でぐにーっと大きく伸びをしながら声を上げる。

 その様子を見ながら、ミリィは前々から疑問に思っていたことを聞こうと思った。


「あの、以前から気になっていたんですけど、というか今更かもしれないですけど、シルちゃんって絶対に普通の猫さんじゃないですよね?」

「む?」

「だって人の言葉を喋りますし、防御結界を張ったりとか、魔力を探知したりとかも。そもそもリドさんとシルちゃんってどうやって出会ったんです?」

「ああ、それな……」


 シルキーは一体何者なのか、そしてリドとシルキーがどんな経緯で出会ったのかというミリィの問いかけに、赤い首輪を着けた黒猫は少しだけ遠い目をした。

 ミリィはシルキーがそんな表情になるのは珍しいなという印象を抱く。


「話して良いのか? 相棒」

「うん。別に隠すようなことじゃないしね」


 リドの言葉を受け、シルキーはミリィの腕の中からぴょんと地面に飛び降りる。

 そしてミリィの方へと振り返り、口を開いた。


「まず何から話せば良いか……。そうだな。まずミリィよ。お前、リドが何故神官なんてやってると思う?」

「え……?」


 予想外の質問を投げかけられ、ミリィは答えに窮する。


 神官とはある意味、天授の儀を行うことができる者の総称だ。

 だから、リドもまたある時に天授の儀を使えることに気付き、神官の道を歩むことになったのだろうと、ミリィはそう思っていた。


「確かに天授の儀が行えるからっていうのもあるけどね。僕が神官としてやっていきたいと思ったのは『ある人』との出会いがきっかけだったんだ」

「ある人?」


 ミリィが言ってリドは笑う。

 それはどこか昔を懐かしむような柔らかい笑みだった。


 そしてミリィの疑問に答えるべく、シルキーが言葉を継いだ。


「そもそも、神官は自分自身に対して天授の儀を行えないことは知っているよな?」

「はい。それは聞いたことがあります。でも確か他の神官に天授の儀を行ってもらうことでスキルを授かることは可能なんですよね?」

「そう。じゃあリドのスキル【神器召喚】ってあるよな? あれ、誰が授けたと思う?」

「あ……。それがその『ある人』?」


 ミリィの合点がいったような言葉にリドとシルキーが揃って頷く。


「グリアムさんって言ってね。ちょっと横暴な感じもあったけど、とても優しい人だった」

「へぇ。何だかシルちゃんみたいですね」

「おいおい。吾輩があんなジジイに似ているとは酷いな」

「あー、でも確かに似ている所あったかもね。人をからかってくるところなんか特に。まあ、猫は飼い主に似るって言うし?」

「え? そのグリアムって方がシルちゃんの飼い主さんだったんですか?」


 ふんふんと鼻を鳴らしているシルキーの傍ら、リドが苦笑しながら頷く。


「じゃあ、その方は……」

「うん。何年か前に亡くなったんだ」

「そう、ですか……」

「ううん。ミリィが気にすることじゃないよ。本人も『百歳以上は生きたし大往生じゃ! ワッハッハ!』とか言ってたし」

「へ、へぇ……」


 どうやらミリィのことを気遣って嘘をついているわけでもないらしい。

 リドの話を聞くに、それは悲しい別れではなく、むしろ満足のいった終わりを迎えたのだろうということは想像ができた。


「僕が親に捨てられて行き場をなくしてた時に拾ってくれた人でね。あの人がいなければ僕はきっとどこかで飢え死にしていたと思う」

「え……。リドさんも……?」

「ごめんね。ミリィにとって嫌なことを思い出させちゃったかもしれないけど」

「い、いえ。私は物心つく前のことで、正直あんまり覚えていないんです」

「うん。僕も同じ感じ」


 微笑んだリドを見て、ミリィは何となく察する。


 捨て子だった自分を受け入れてくれたラナやラストア村の住人たちを大切に感じているように、リドもまたグリアムという人物を大切に想っていたのだ。

 いや、それは今でも変わらないものなのだろう。


 ミリィには何となく、その気持ちが分かるような気がした。


「でね、グリアムさんは天授の儀を行える、神官だった。僕に対して行ってくれた天授の儀は『会心の出来じゃ!』なんて言ってたけど、本当にそうだったと思う。授けてもらったスキルについても凄く感謝しているし」

「……」

「だからその時、思ったんだ。僕もこんな風に誰かに喜んでもらえるような神官になりたい、って」

「あ……。だからリドさんは色んな人に天授の儀を行いたいって、いつも言っていたんですね」


 リドの言葉を聞いたミリィは様々なことが腑に落ちた。

 リドが度を越したお人好しだとは思っていたが、それはグリアムとの出会いがきっかけだったのだろう。


「あれ? でも、シルちゃんが普通の猫っぽくないって話とは何か関係してくるんです? グリアムさんがシルちゃんの元飼い主で、リドさんが引き取ったってことは何となく分かるんですが」

「それはあのジジイが、今際いまわの際に言った言葉が原因だな」

「と言うと……?」

「ジジイがな、リドに向けて言ったんだよ。『最期に、君のスキルを見せて欲しい』ってな」


 シルキーが見たことのないような目をしていた。

 それはどこか哀しそうで、でも大切なものを思い起こすかのような姿だった。


「リドさんのスキルってことは、何か神器を召喚したんですか?」

「うん。今もそこにあるんだけどね」

「え……?」


 リドが指差した方向を見てミリィは思わず声を漏らす。

 その先にはシルキーが、もっと正確に言えばシルキーの着けた赤い首輪があった。

 赤い首輪の先に付けられた半月型の宝石が、焚き火の灯りを受けて輝いている。


「じゃあ、シルちゃんがいつも着けている、この宝石付きの首輪って……」

「おう。リドの召喚した神器だ。この影響で吾輩は人間と話すこともできるし、ちょっとした特殊能力も使えるってわけだ」

「あぁ、そういう……」


 なるほどとミリィは手を合わせる。

 改めてリドの使用するスキルは規格外だなと、そんな考えも浮かべながら。


「とにかく、吾輩が普通じゃないのはそういうわけだ」

「そうだったんですね」

「吾輩も人間と話せるのは楽しいからな。リドが色んな奴に天授の儀をしたいとか、困っている人がいたら助けになりたいとかお人好しなことを言うもんだから、恩返しに付き合い始めたんだ。今では好きで一緒にいるけどな」


 そう言って、シルキーはニヤリと笑う。

 リドとシルキーの間にある謎の信頼関係みたいなものも分かった気がすると、ミリィは頷いた。


 そして、ミリィはすくっと立ち上がり、リドに向き直る。


「リドさん。私、リドさんに会えて本当に良かったですよ」

「ど、どうしたのミリィ? そんな改まって」

「リドさんがグリアムさんに救われたと言うように、リドさんに救われたと思っている人もたくさんいるはずです。だから、それを知ってほしいなって」

「……」


 毅然と言ったミリィの姿は、焚き火の炎に銀髪が揺らめいて幻想的だと、そう思わせるものだった。

 思えばミリィの真っ直ぐな姿勢にはいつも助けられてきた気がするなと、リドはそんな感慨を抱く。


「ミリィ、ありがとうね」

「ふふ。これからもよろしくお願いしますね、リドさん」


 二人が言い合って笑みを浮かべる。

 その傍らに控えたシルキーもまた、満足そうな笑みを浮かべていた。


 そして――。


「あれ? そういえば何か忘れているような……」


 ミリィが顎に手を当てて独り言を漏らす。



 その頃、大樹の隠れ家では――。


「すぐに戻ってくるって、約束しましたのにぃ……」


 完全に忘れ去られていたエレナが涙目になって独り呟いていた。


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