第26話 リドの選択
「はぁ……。生き返りますわ~」
ファルスの町の領主館、その一角にある大浴場にて。
エレナが湯に浸かりながら
「うぅ……。恥ずかしい……」
一方でミリィは先程のことが尾を引いているのか、しおれながら体を洗っている。
「いい湯ですわねぇ。ミリィさんは師匠と入れなくて残念だったでしょうけど」
「うぐぅ……。掘り返さないでくださいよぅ、エレナさん……」
「ふふ、すいません。気落ちしたミリィさんが可愛らしくてつい」
ちゃぷん、と。
ミリィは体を洗い終えた後で湯に
口元まで湯につけて、恥ずかしさを隠すかのようにぶくぶくと泡を吐く。
そんな様子がまたエレナの
なるほど、時折ぬいぐるみを抱きしめたくなる衝動に駆られることがあるが、それと同じような感情なのかもしれないと、エレナは一人で納得した。
「それにしても、師匠はさすがですわね。あんなでっかいモンスターを倒してしまうんですから」
「はは……。ほんと、あれだけの人が左遷されるなんて未だに信じられませんね。リドさんほどの人なら、
「それなんですけど心配いらないかもしれませんわよ、ミリィさん」
「え……?」
エレナは肩にぱしゃりと湯をかけつつ、言葉を続ける。
「先程、お父様が師匠に対して話があると言っていたでしょう? あれはきっと、師匠が王都神官に返り咲けるよう対処するというお話ですわ」
「あ……」
「元々、お父様は師匠のことを高く評価していましたからね。左遷についてあの節穴大司教の仕業だと分かったんですから、きっと師匠にとって相応しい場所に戻れるように手を回し――」
そこまで言って、エレナは「しまった」と思った。
王都神官の職というのは神官であれば誰もが憧れるものだ。
だからエレナの言葉は、リドにとって王都神官に舞い戻れるという話は喜ばしいことだと思っての発言だった。
――しかし、ミリィにとってはどうか。
ミリィがリドに少なからず好意を抱いていることはエレナも気付いている。
リドが王都神官に復帰するとなれば、ラストア村で見習いシスターをやっているミリィとはもう関わりが無くなってしまうことを意味するのだ。
「すいません、ミリィさん。配慮のない言葉を……」
「……いえ、いいんですエレナさん」
ミリィはふるふると首を振って力なく笑う。
「リドさんにとってはその方が良いですからね。うん、そうですよ。元々リドさんほどの人が、私たちみたいな小さな村に来てくれたことが奇跡みたいなものだったわけですし」
「……」
「あ、そういえばこの前、リドさんに村の案内をした時にお弁当を作れなかったんですよ。今度機会があったら披露したいと思ってたのに、できなかったのは残念だなぁ。でも、リドさんが王都に戻れることに比べたら、小さなことですよね」
「ミリィさん……」
ミリィの言葉は自分自身に言い聞かせているようでもあった。
健気な少女を見て、むしろエレナの方が悲痛な表情を浮かべる。
無理矢理に笑っているという感じのミリィに対してかける言葉が見つからず、エレナはただ黙することしかできなかった。
***
「なるほどな。王家の下部機関が勝手に出した廃村命令を覆したい、と」
「はい。ラストアは小さな村ですが、そこに住んでいる人たちにとってはたった一つの故郷です。だから、何とかしたくて……」
「そうさなぁ。河川の浄化をするためって言ったって、わざわざ村一つ潰す程のことかと思うしな。恐らく、下部組織の連中からすれば立地的に費用が掛からねえからとか抜かすんだろうが」
湯浴みを終えてすぐ。
エレナやミリィと並んで長椅子に腰掛けたリドが、ラストア村が抱えている廃村問題についてバルガスに切り出していた。
リドの言葉を
「おっし! その件はオレに任せてくれ」
「ほ、本当ですか、バルガス公爵」
「ああ。リド君には娘の天授の儀に引き続き、今回の大恩もあるしなぁ。王家にはちょっとしたツテもあるから、安心してくれて構わねえぜ! ガッハッハ!」
自信たっぷりに胸を叩いたバルガスを見て、リドは顔をほころばせた。
膝の上に乗ったシルキーもまた、鼻を鳴らす。
「やったな、リド。これでラストア村の連中も喜ぶだろう。バルガスのおっちゃんも自信満々みたいだし、泥舟に乗ったつもりでいようぜ」
「シルキー。もうそれ、わざと言ってない?」
「ん?」
リドが半ば呆れたようにシルキーを撫でて、溜息をつく。
そうして
「ところでよ、リド君。次はオレからなんだが」
「はい、先程仰っていましたね。僕に話があると」
「リド君は王都神官に復帰したくはねえか?」
「え……?」
リドにとっては予想外だったバルガスの言葉。
その時ミリィがきゅっと拳を握ったことに、エレナだけが気付いた。
「リド君の左遷の件、ありゃあどう考えてもおかしいからな。公爵家として王都教会に抗議すれば奴らも無視はできねえだろう。リド君にはまた
「僕が、また王都神官に……」
「ああ。リド君さえ望めば、そのように取り計らうのは簡単だ。さっき言った通り、今回の件の礼も兼ねて、だ」
元々、リドほどの神官が王都神官の任を解かれたのは、ゴルベールに全ての原因がある。
有能な神官ですらも稀であると言われる赤文字のスキルの更にその上、金文字のスキルを発現させ、それどころか、複数のスキルから選択して授与可能であるという規格外の儀式を行う。
更には自身も様々な神器を操り、一騎当千とも言うべき強さを誇る。
それがリド・ヘイワースという神官が持つ能力だ。
にも関わらずリドを王都から退け、辺境の小さな村に左遷するなどという人事は、愚かの極みと言う他ない。
だから、諸々の事情を知っているバルガスはリドに提案した。
王都神官に復帰する意思はないか、と。
王都神官に返り咲き、バルガスの後ろ盾を得たということになれば、将来の安泰は約束されたようなものだ。
金や地位を手に入れられるというだけではない。
リドがこれまでやってきたように自身の能力を発揮していけば、誰もから羨望の眼差しを向けられ、伝説の神官として歴史に名を刻む事になるだろう。
リドの隣にいたミリィには、それが痛いほどよく分かっていた。
「どうする? リド君」
「……」
バルガスの発言の意図を汲み取り、リドは心の中で選択を固める。
そして、バルガスを真っ直ぐに見て、はっきりと答えた。
「申し訳ありません、バルガス公爵。せっかくのお話ですが、お断りさせてください」
「え……」
リドの言葉を聞いたミリィが、伏せていた顔を上げる。
瞳に写ったリドの顔には迷いがないように見えた。
「ふぅむ。良ければ理由を聞かせてもらえるか? ああいや、リド君の選択をどうこう難癖付けるわけじゃねえ。単にオレの興味本位なんだがよ」
「……僕にとって、ラストアは
「特別……?」
「はい。王都から左遷された時、実は僕、少しだけ落ち込んでいたんです。でも、ラストア村の人たちが温かく受け入れてくれたことで、救われた気持ちになりました。僕にも居場所はあるんだなって」
「……」
「ラストア村の人たちは感謝してくれましたが、本当に感謝したいのは僕の方なんです。それに、自分の特別を守るために行動することの大切さを、ある人に教えてもらいましたから」
ミリィの青い瞳から、一筋の涙がこぼれていた。
それだけでは留まらず、色んな感情がないまぜになったことでミリィの顔はくしゃくしゃに
ミリィはそんな顔を見られたくないという思いからか、それとも別の何かか、隣に座っていたリドの肩口へと自分の顔をうずめた。
「リドさぁあああん……」
「うわっ。ミリィ、何で泣いてるの?」
「だって……。だってぇ……」
何故こんな状況になっているのか分からず困惑するリドに対し、ミリィの背中を優しくさすっていたエレナが声をかける。
「乙女心は複雑ですのよ、師匠」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんですの」
そんな様子を見たバルガスはボリボリと頭を掻いて呟く。
「分かった分かった。リド君が決めたならオレがとやかく言うことじゃねえしな」
「すいません、せっかくお気遣いいただいたのに……」
「良いってことよ。自分が大切だって思うものに報いようとするのは、立派だと思うぜ」
そう言ってバルガスはリドに向けてにかっと歯を見せる。
何とも、バルガスらしい反応だった。
と、エレナが突然立ち上がり、宣言するかのように声を発する。
「よしっ。そうとなれば、私決めましたわ! 私も師匠と一緒にラストアへ付いて行きますわ!」
「はぁ……。やっぱりそうきたか……」
娘の言葉を聞いてバルガスは嘆息した。
元々エレナがリドに入れ込んでいたことから、そのようなことを言い出すのは想定していたのかもしれない。
「エレナ、いいの?」
「ええ、もちろんですわ師匠。私はもっともっと強くなる必要がありますし、そのためには師匠のお側にいて指南を仰いだ方が良いですもの。ご恩を少しでもお返ししたいですしね」
「リド君よ。エレナちゃんは一度言い出したら聞かないからな。すまんが娘のことをよろしく頼んだぞ」
「は、はい。僕にできることであれば、精一杯お力になります」
バルガスに頭を下げられ、リドは姿勢を正して頷く。
「やれやれ、上手くまとまったな。ま、終わり良ければなんとやらだ」
言葉こそ素っ気なかったが、リドの膝上で呟いたシルキーの尻尾は、楽しげにパタパタと揺れていたのだった。
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