第15話 ミリィと二人、寝室にて


「ほら、ミリィ。ベッドに着いたよ」

「は~い。ありがとうございます、リドさん~」


 ぽすんとベッドに埋まったミリィを見て、リドはやれやれと溜息をつく。


「わ~い。ふかふか~」


 始めこそ騒いでいたミリィだったが、やがてすぅすぅと穏やかな息づかいが聞こえてくる。

 いつもの修道服から寝巻きに着替えさせてやった方が楽かとも思ったが、さすがにそれはマズい気がしたので、リドはそっと布団をかけるに留めた。


「それにしても……」


 リドは寝息を立てているミリィを見て、独り呟く。


 ミリィの横顔には窓から漏れた月明かりが降り注いでいた。

 はらりと落ちた銀の髪が頬にかかる様がどこかなまめかしく。先程までの変貌ぶりはどこへやら、幻想的ですらある。

 

 青く綺麗な瞳が今は閉ざされていて、リドにはそれが少し勿体なく感じられた。


「普段は元気一杯って感じなのにね」


 先程のラナの話では、ミリィは捨て子としてこの村にやって来たのだという。

 親の顔すら知らず、それどころか自分が親にとって必要のない存在だったと知った時の痛みはどれ程か。


 リドにはそれが、何となく分かる気がした――。


「僕とミリィは似ているのかもね……」


 リドは微かに笑って、ミリィの頬に落ちた銀髪を何となしに掻き上げてやった。


 きっと多くの苦労や無茶をしてきたのだろう。

 それはリドがミリィと初めて会った時、ラストア村の人たちを救うために奔走ほんそうしていた様子からも感じられたことだ。


 だからリドは、自分もこの村のためにできることをしていこうと改めて胸に誓う。


「さて、僕も寝ようかな」


 リドはミリィの頬に触れていた手をそっと離そうとして――その手をきゅっと握られる。

 リドがぎょっとして見ると、ミリィの青い瞳が見開かれていた。


「あ~、リドさんだ~。ふへへ」

「ミリィ、まだ起きてたの?」

「今起きました~」

「そ、そっか……」


 先程の独り言は聞かれていないとリドが安堵したのも束の間。

 ミリィは蕩けた顔でリドの手を引き寄せ、自分の頬をぐにぐにと擦り付け始めた。


「ふふ。リドさんの手、あったかい~」

「ち、ちょっとミリィ?」


 突然のことにリドは困惑し、自身の体温が上がっていくのを感じる。

 どことなく恥ずかしくて手を引き抜こうとしたが、それよりもミリィの行動の方が先だった。


「うわっ、と」

「リドさん捕獲です~」


 手を強く引っ張られたリドは体勢を崩し、ミリィと同じベッドへと引き寄せられる。

 ミリィはそこで止まらず、リドの首へとしがみ付くような格好になった。

 どうやら酒はまだ全然抜けていないらしい。


「リドさん、リドさん~」

「ミリィ、お願いだから離して。これはちょっと――」

「んふ~。駄目です」


 ミリィはリドの言葉を聞き入れず、足を絡ませながら更に密着した。

 そして、リドの耳元へと口を寄せて――。


「かぷり」

「っ――」


 ミリィが耳を軽く甘噛みすると、リドはますます狼狽ろうばいした。

 そのままミリィはリドの鎖骨の辺りに顔を滑らせ、口を付けていく。


「はむはむ。お肉美味しいれす~」

「……ミリィ。僕はお肉じゃないよ」


 ミリィの話には全くもって脈絡が無く、リドは酒の力とは怖いものだと思い知らされる。


 それからもミリィはリドの首筋などに口付け、時には甘噛みし続けた。


 もしシルキーがその場にいたら「むっつりシスター」に加えて「キス魔」の称号も付けられていただろうが、そうならなかったのはミリィにとって幸いという他ない。


 そうしてなすがままになっていると、不意にミリィが落ち着いた声で囁きかけてきた。


「リドさん。私はですね~、この村が特別だって、そう思ってるんです。とっても優しくしてくれて、こんな私でも受け入れてくれて……」

「……うん」

「あ、でもでも。最近はもう一つ特別・・が増えたんですよ?」

「増えた……?」

「んふ……。それは……です、ねぇ…………」


 リドは緊張しながらミリィの言葉を待ったが、続きが聞こえてこない。

 ふと見ると、ミリィはリドの胸に顔をうずめて寝息を立てていた。


「ミリィ?」

「…………」

「今度こそ、寝たのかな?」


 リドは胸の内に溜まった感情が何なのかよく分からず、それを息と一緒に大きく吐き出す。

 そしてこっそりとベッドを抜け出し、ミリィの肩まで布団をかけてやった。



 ――パタン。


「ふぅ……」


 ミリィの寝室を出て一つ大きく息をつくリド。

 そこへ、階下から上がってきたシルキーがやって来る。


「おうリド。うっぷ……。あの女、バケモンだ……。酒を水のように呑みやがって。まさか吾輩が負けるとはな」


 どうやらラナの酒盛りに付き合っていたシルキーは撃沈させられたらしい。

 いつものふてぶてしい態度は鳴りを潜め、黒い毛に覆われた尻尾と耳が力なく垂れている。


「あれ? そういえばお前、何でミリィの部屋から出てきたんだ? 送っていってから随分と経つが」

「い、いや……」


 シルキーは歯切れの悪いリドと、そのリドの首筋が少し赤くなっているのを目ざとく見つけると、何を勘違いしたのかうんうんと頷く。


「そうか、なるほどな。いや、皆まで言わなくていい」

「え?」

「相棒が大人の階段を登ったようで何よりだ。何ならまだミリィと一緒にいていいぞ。吾輩はお前の部屋で寝てるから。あの酒豪女にも邪魔しないように言っとく」

「ち、ちょっとシルキー! 何か誤解してない!?」


 とことこと自分の横を通り抜けたシルキーを追って、リドが走り出す。


 そうして、リドはシルキーの誤解を解くまで眠りにつくことはできなかった。



 ――翌日。


「わぁああああああああああっ!!!」


 リドたちが食卓の席に着いていると、二階からこの世の終わりのような叫び声が聞こえてきた。

 そしてすぐに、ドタバタと階段を降りる音が聞こえてくる。


「あ、おはよう。ミリィ」

「リドさぁああああん!! 違うんですっっっ!!」


 ミリィはリドを見つけると、ひどく赤面しながら駆け寄った。

 いつもは透き通った銀髪も今はボサボサで、ミリィはその髪を更に振り乱しながら頭を下げ続ける。


 どうやらミリィは昨日のことを覚えているようだった。


「違うんです! 違うんですっ! あれはその……、きっとお酒のせいで――」

「とか何とか言いながら、実はけっこう意図的だったんじゃないか? むっつりシスターのことだし」

「ソ、ソンナコトハ……ナイデスヨ?」

「何でちょっと自信無くなってんだよ。そこは頑張ってちゃんと否定しろよ」


 シルキーのからかいに狼狽えていたミリィに対し、リドは引きつった笑いと共に声をかける。


「まあまあ。ミリィ、僕は気にしてないから」

「あ、ありがとうございます。でも、それはそれでちょっと寂しいというか……」

「え?」

「ああいえ……。何でもないですぅ……」


 自分の顔を両手で覆ったミリィの言葉は、尻すぼみに消え去る。


「……平和だな」


 慌ただしいやり取りが繰り広げられる中、ラナがどこか遠い目をしながら紅茶に口を付けていた。


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