第六十二話 真実と偽りと(5)



「ベティだって……!?」


 その名前には覚えがあった。


 ソロンの街で新貴族派に加担していたという武器商人。そいつの名前がベティだった。

鎧や剣のみならず、爆弾や魔物まで用意したという、謎の人物。

 結局ソロンでは会えずじまいだったが、まさかその名前が出てくるとは思えなかった。

 しかも、その人物の正体がよりにもよってあのマータだというのだ。


「あいつが、武器商人……? ちょっと待て、ソロンの事件が起きたのは、せいぜいベヒモスの件から一ヶ月程度だぞ? その間に新貴族派への工作なんか無理だろ。あいつがどんだけ大怪我してたと思ってる」

『まあ、その怪我させたの自分だけどさ』


 黙ってろ、とジンメを叱責する。


 あの時は激情に駆られてしてしまったことだが、あれは一朝一夕で治せる代物ではない。何しろ、左目を潰して頬から腹まで深い爪痕を残したのだ。

 仮に、怪我自体は治せたとする。アレンの回復魔術や王国最高の病院の力を借りれば、早くて二週間で治療は可能かも知れない。


 だが、肝心の裏工作までは無理だろう。どういう手段で商人の名を騙ったとして、王国へのクーデターを目論むまで新貴族派を煽るという仕事は不可能だ。


 けれど、ラヴォワはレッドの疑問を否定した。


「多分……それ以前は別の奴が工作を担当していたんだと思う。あいつはその仕事を引き継いだ」

「引き継いだって……誰から?」

「誰かは分からないけど……引き継いだあいつは、長くても二週間程度で新貴族派を抱き込んで思うように操ったみたい」


 レッドは、ソロンの新貴族派たちを思い出していた。

 王国から良いようにされている彼らは、不平不満を貯めていずれ牙を剥いていたのは間違いないだろう。


 しかし、そんな彼らから二週間という短い時間で信頼を勝ち取り、王都への直接侵攻という暴挙を実行するまで焚きつけたことは恐ろしい話である。いくら強大な魔物がいるとはいえ、普通の人間は躊躇いがあるはずなのに。


 怪しんでいたのは、せいぜいギリーくらいだった。そう考えると、ベティ――マータの才は凄まじいものがある。ラヴォワとは別の形で、天才なのだろう。


『――あれ、ちょっと待って。もしかして、あの魔石に時限魔術式書いたの君かい?』

「なに?」


 レッドが寒気を感じていると、ふとジンメがそんなことを聞いてきた。


「時限魔術式って……サイクロプスを攻撃したあの魔石のことか?」


 レッドは、ソロンが崩壊した日を思い出した。


 あの日、サーシャが復活させたサイクロプスを動かそうとしたところ、周囲に敷き詰められた魔石が突然光の槍を作り、全身に突き刺さった。


 その時ジンメは、魔石に時限式の攻撃魔術式が埋め込まれていたと解説していたが、それを書けるのは相当な腕利きの魔術師だとも言っていた。

 そしてラヴォワは、世界最高の魔術師だったジンメが認めた魔術師である。


「……うん。サーシャ――あっちではマリオンとか名乗ってたけど――彼女とは『黒頭巾』の指導員として出向していた時の顔見知りだったから……」

『そういえば、君を魔術師の顧問として配属させた事があったっけ』


 意外な関係だった。まさかサーシャとラヴォワにそんな関係があったとは思いも寄らなかった。


「あいつ……私がレッドを捜索しているときに偶然出会ったの。何をしているのかは教えてくれなかったけど、黒頭巾の仕事に大量の魔石が必要だからって私を頼ってきた……私ほどの魔術師なら、裏ルートで魔石を手に入れる方法を知ってるだろうからって」

『あー、どこも出費には厳しいもんねえ。黒頭巾を通して請求すると嫌がられると思ったかな?』

 

 国の裏仕事を司る組織にしてはずいぶんとセコい話だ。レッドは呆れてしまう。


「で……それを引き受けるフリをして、魔石に攻撃魔術を組み込んだ罠魔術式を埋めたわけか」

「何する気かは知らなかったけど、ヤバいことする気なのは分かったから……でもサイクロプスと分かっていれば、直接仕留めに行ったのに……」


 そう唇を噛むラヴォワ。彼女も、ソロンが崩壊したのは自分の責任だと思っているのだろう。


 だからこそ、疑問がある。


「――なんで、そんな遠回りな方法選んだんだ? サイクロプスと知らなかったとは言え、お前なら普通の魔物程度余裕だろうに」


 レッドはふと思いついた疑問を述べる。


 ラヴォワの実力は、レッドが知るよりはるかに上らしい。旅していた時の力は一片に過ぎず、本当なら大概の魔物は余裕なのだろう。


 サイクロプスなら仕留めに行ったと言うからには、伝説の魔物であろうと戦える自信はあるはずだ。流石にベヒモスほどになれば難しいだろうが、まあいくらなんでもそこまでの魔物を新貴族派如きが持っているとは思うまい。


 あんな確実性に欠ける方法を使うのは、魔石を用意する手間を含めても面倒なだけに感じられた。


「……レッドの捜索を優先していたというのも本当」


 なんて、ラヴォワは言い辛そうに答えた。


「まさかあそこまでの代物を抱えているとは考えてなかった……だから、仮に魔物としても、あの魔石の攻撃魔術なら倒せるだろうと思ってた……」

『まあ、普通のサイクロプスなら確かに死んでたわ、あれで』


 ジンメの評価によって、一応は正しい理由らしいのは分かった。

 でも、この様子からするとそれだけではないようだ。


「……でも、一番の理由は、邪魔されたから……」

「邪魔? 邪魔って、誰にだよ」

「……マータ」

「はい?」


 驚いてしまった。

 よりによって、マータの名前が出るとは思っていなかった。


「あいつが邪魔しに来た。私は戦ったけど、あいつを仕留めるのは出来なかった……」

「な、なんだと?」


 面食らうほどの衝撃だった。


 ラヴォワは、世界最高の魔術師だったジンメが認めた魔術師である。

 それが倒せなかったというのは、ただ事ではない。しかも相手は魔術師ではなく、冒険者だ。


『あー、無理だろうね。彼女はエキスパートだから』

「え、エキスパート? 何がだよ」

『対魔術師戦闘さ。マータちゃんはその点でも一流だよ』


 まさか、ラヴォワに限らずマータまでそこまで優秀な使い手とは信じられなかった。


 前回は聖剣を振るいまくってただけのせいであまり実感が湧かなかったが、今回はマータも戦っていたし強かったことはきちんと覚えている。

 戦闘では高速のナイフ術や破裂球などを使った戦い方で魔物をいくつも倒していった。彼女が一流の冒険者であることも、当然レッドは理解しているつもりだった。


 しかし、彼女も同じく、実力を隠していたらしい。まさか、黒き鎧と互角に戦えるラヴォワが倒せないとは、驚くしかなかった。


「あいつに邪魔されて……何度も狙われて、ソロンに留まっていられなかった。私はレッドを探していたし、奴に時間を取れなかったから……」

「で、仕方なしに誰にも分からん方法使うしかなかった、か」


 事情は大まかに把握できた。ラヴォワがこの二ヶ月間何をしていたかも。


 それ故、レッドは質問せねばならなかった。


「……で、これからどうする気だ」

「……どうするって?」

「決まってるだろ、こいつだよこいつ」


 と言って、レッドは左手の甲を見せつける。

 いきなり突き出されたジンメは『うえぇ!?』と悲鳴を上げた。


「目的はこいつへの復讐……だったな。どうするよ? こいつを殺したいってんなら、まあ左手くらいは別に無くして構わないけど」

『ちょっ、ちょっ、ちょい待ち、早まるな!』


 レッドがあまりにも簡単に左手を捨てる決意をしたため、ジンメも相当焦っていた。間違いなくこいつならやりかねないと確信を持っていたからだ。

 ところが、


「……止めておく」


 と、なんとラヴォワ自身が拒否してしまった。ジンメがホッと無い胸をなで下ろした。


「おい、いいのか? 別に俺は左手一本ぐらい平気だけど?」

『君ちょっと自分の体を大事にしなさい! 命と体は一つだけだよ!』

「その命と体を山ほど使い捨ててきた奴が言える台詞かっ! ……でも、ホントにいいのか?」


 レッドは再度確認する。

 同じ人物に復讐を誓った相手として、彼女の憎悪は理解できるつもりでいた。


 が、彼女はやはり首を横に振った。


「違う……レッドのこともあるけど、それだけじゃない。

 そいつの言うとおり……左手切っても無駄かもしれない」

「なに?」


 それからラヴォワは、自身の推測を語り出した。


「ジンメの言うとおり、こいつの影響は左手だけじゃなくて脳まで続いている……単に左手を切ったくらいじゃ、ジンメを取り除けないかもしれない……さっき調べて分かった」


 そうラヴォワは、魔術で解析した結果を述べる。専門家の彼女がそう言うのなら、それは事実なのだろう。


「まいったな……こいつと縁が切れるかと思ったんだが」

『ふふん、だから言ったでしょ。僕はそう簡単に殺せるような相手じゃ無いよ。今まで君のためにだいぶ力を尽くしたんだから、捨てるなんて君もホント薄情……』

「……ただ」


 ジンメが勝ち誇ったようにしていると、ラヴォワが付け足してきた。


「影響の大部分は、やっぱり左手に集中している……ジンメの魔力は全身を回っているけど、やっぱり魂は左手にあるとして良いかもしれない……」

「……すると」


 そこで、ラヴォワは鋭い目でジンメを睨むと、


「……いけるかも」

「よし、やっちまうか」

『わー止せ止せ、ストップストップストップっ!!』


 ラヴォワの言葉にレッドはすぐさま魔剣を取り出して切ろうとするが、ジンメが必死に叫ぶ。


『ていうか、いつまでこんなところにいるんだよ! そろそろ時間じゃん!』

「あ」


 言われて思い出した。これから、大事な用があったのだ。


「時間? なんのこと?」

「すまない、行く場所があったんだ。人を待たせてる」


 そう言うとレッドは立ち上がり、家を出る準備をする。


「どこへ行くの?」

「なに、大した用じゃ無い。ちょっと行ってくるから、お前はここで休んでいたらどうだ?」

「……分かった」


 ラヴォワの返答を聞いて、レッドはすぐさま出ようとした。

 が、彼はいったん立ち止まり、ラヴォワへ振り返る。


「そういえばお前は知ってるか? 『光の魔物』の居場所」

「……いや、私には。多分王国の奴らが持ってるんじゃ……」


 なんて想像したラヴォワだったが、この意見は間違いである。

 それを、レッドは知っていた。


「――残念ながら、それはハズレだ。恐らくな」

「え……?」


 眉を潜める彼女に、レッドは自分の知ることを答えた。




「どうやら、王国も光の魔物の所在を知らないらしい。

 そして、王国は光の魔物を狙ってる――アレン・ヴァルド。聖剣の勇者のためにな」

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