第八話 勇者パーティとして(4)
「ん……」
そっと暗闇から光が入り、レッドは瞼を開ける。
起き上がって周りを見ると、既に作られているスープがぐつぐつと美味しい匂いを風に乗せていた。
すっかり日は昇り、シャドウウルフに昨夜襲われたとは思えないほど長閑な森がただ続いていた。
「――あ、起きましたか勇者様?」
そうアレンに声をかけられる。アレンはとっくに起きて朝食の支度や武器の整備などをこなしていたらしい。本当に働き者である。
「ああすまん。寝過ぎたな。何か手伝うことはあるか?」
「いえいえそんな、勇者様に手伝わせるなんて! はい、朝ごはん出来てますよ。ゆっくりお食べ下さい!」
そう言ってスプーンと一緒にスープの入ったお椀を渡してくる。昨日のシャドウウルフの肉が入った煮込みらしい。
肉を一口入れながら、今朝見た夢を思い出していた。今回の謁見の間で、あのゲイリーに会った時の記憶だったらしい。
――相変わらずだったあいつは。当然だけど。
苦々しげに顔をしかめるレッドに、アレンが美味しくなかったですかと不安そうに聞いてきたので慌てて否定した。
朝食を口にしながらレッドは、聖剣をアレンに奪われ、投獄された後は酷いものだったと前回の記憶を辿ってみる。
囚われたレッドは、何故かいきなり国内でも最悪の罪人が入る牢獄へぶち込まれた。釈明を請うても相手にされず何日間も檻へ入れられた。今までの生活では想像もつかない粗末な部屋、粗末な食事、粗末なボロ布一枚の服と悲惨な扱いを受けることになった。
何よりも辛かったのは、他の囚人たちである。特に質の悪い重犯罪者の群れにとって、大貴族の息子、しかも勇者なんて脚光を浴びていた者なんて恰好のオモチャである。しかも端正が取れたレッドの美貌が災いし、囚人たちに屈辱的、恥辱的な行いをされてしまうこととなった。
そうして心身ともに汚されて無残な姿になった数日後、裁判が開かれた。
驚いたことに、罪状はアレンに襲い掛かったことだけでなく、領地での亜人への虐待、勇者として旅の間に働いた暴行、略奪、そしてなんと勇者の名を騙った偽証まで付けられていた。全てが潔白とは言わないが、いくら何でも捏造だ。
裁判で自分の無実を主張するものの、証人として連れてこられた父も母も兄たちも、使用人たちすら自分を庇おうとせず、それどころか自分の暴虐な振る舞いを全て晒し上げ罵る始末。誰一人としてレッドを助けようだと庇おうだのはしなかった。
結局レッドは偽勇者の烙印を押され再び投獄され、また囚人たちに犯され汚され辱められる地獄の日々を過ごした。
非道な扱いを受け、絶望し壊れつつあったレッドの胸中にあったのは、自分が追放し全てを奪っていった(と思い込んでいる)アレンへの憎悪だけだった。
ところが三か月ほど経って転機が訪れる。囚われていた大牢獄が火事になり、大勢の囚人たちが逃げてしまったのだ。レッドその中に入り、脱獄に成功した。
そして必死の思いで逃げ、王都にあるカーティス家の屋敷へ辿り着いた。――愚かで甘ちゃんだった自分は、まだ家族が助けてくれると信じたかったのかもしれない、と今のレッドは笑う。
が、這う這うの体で家に帰ってきたレッドを見て両親は身を案じるどころか、激昂して怒り出した。
貴様のせいで我が家は格下げとなった。それもこれも全て貴様のせいだ。貴様など息子などではない。勝手に知らぬところでくたばれと言い放ったのだ。
なおも追いすがろうとするレッドを、兄たちはゲラゲラ笑いながら魔術で吹き飛ばし、何度も何度もボールのように打ち付け、庭に放り出した。この時点で既に半死半生なほど打ちのめされていたが、まだ仕打ちは終わっていなかった。
なんと、別邸のメイドや使用人たちがこぞってレッドに襲い掛かってきたのだ。日頃からカーティス家の人間に散々いたぶられてきた彼らにとって、こんな腹いせの機会は一生に一度だろう。ただ一人の例外なく嬉々としてボロボロの少年を打ちのめした。
殴られ蹴られ、鉄棒で叩かれ泥や汚物まみれにさせられ、挙げ句の果てには料理長が煮えたぎった油をぶっかけると同時に火を付けて火だるまにされた。炎に巻かれ苦しみ叫ぶレッドを、使用人たちはみんな大爆笑して喜び踊っていた。
「……はあ」
と、そこまで思い出してため息をつく。なんか飯までまずくなった気がしてしまった。
――道理で家族も別邸も嫌いなわけだよ。
記憶を取り戻して、家族や使用人たちに抱く嫌悪感の正体をようやく理解した。かつての経験が思い出せなくてもこの身に残っており、それが王都自体への忌諱感を生み出していたのだ。
ともかく、その後なんとか逃げ出したものの、家にまで見放されたレッドに帰る場所など無く、フラフラと彷徨い辿り着いたのはスラム街だった。
普通は王族か大貴族しか持たない金髪と碧眼のレッドだが、顔は大きく焼け爛れ左目は潰れており、全身ズタズタの薄汚い布を纏っただけの少年を貴族だなんて思うはずが無い。誰も気にせず、寝転がった貧者をスラム街の一風景として捉えた。
それ以降絶望の中だけで生き、這いつくばって適当にそこらのゴミを漁って細々と食べ物を見つけて食べて後は寝るだけの生活を、少なくとも一か月ほど過ごした時、奴が現れた。
いつどこでだなんて覚えていない。ただウジ虫のように這いずり回って生きているだけで何の感情も何の考えも抱かなくなってしまったレッドの前に、突然現れたのが山吹色の神官服を纏ったゲイリーだったのだ。
『ふむ……いい感じに澱んでいるね』
などと言っていた気がする。当時の記憶なんて曖昧なのだが。
在る記憶の中では、返事などしなかったはず。スラム街にいた時は精神的に死んでいて、まともに喋ったり出来なかったから。
ゲイリーはこちらの返答を期待していなかったらしく、そのまま続ける。
『さて――君はこう思っているだろう? 「どうして自分がこんな目に」ってさ。
君としてはどうしてだと思う? 君が捕まった時助けもしなかった家族かい?
パーティだというのに我が儘放題振る舞って、結局パーティを解散させた仲間かい?
もしくは自分を選ばれし勇者なんて言った聖剣かな?
それとも……君から全てを奪ったアレン・ヴァルドかい?』
『――っ』
アレンの名が告げられた時、それまで聞き流していたゲイリーの言葉にピクリと反応した。
その反応を嬉しく思ったのか、ゲイリーは口元をほころばせると、首飾りを外し、レッドの目の前にかざす。
突き出された飾りは、輪の中に黒い剣をはめ込んだ形をしていた。
『これはね、聖剣と対をなす魔剣だよ。正確には魔剣を召喚するためのマジックアイテムだけどね。
こいつに念じれば、魔剣を呼び出すことが出来る。ただし普通の人間には無理だ。
怒り、憎しみ、恨み――この世の全てを滅ぼしたいという強い感情が無ければ到底呼び出すことは出来ない。
君は持っているかね? そんな激しい憎悪を、怨念を。
君は望むかね? 自分を否定したこの世界に復讐する力を』
正常な時ならば、何故そんな力を俺に? とかあんたは何者だ? とか言っていたかもしれない。
しかし、既に心が壊れてしまっていた自分には、そんな疑問を抱く精神すら失われていた。
『この魔剣ならそれを為すことが出来る。いかなる剣士も魔術師も、この剣には勝てない。
そして当然あの聖剣――それと、あの聖なる鎧の騎士ともね。
君も見たんだろう? あの純白に輝く光の鎧を』
光の鎧。
その言葉に、レッドの身体はまたピクリと小さく脈動した。
アレンに鎧を奪われた時、奴の下へ降りた剣を取り戻そうと飛びかかったら、聖剣がひときわ強く輝き、気付いた時にはアレンが白い天使の姿と化していた。
当時は何が起きたか分からなかったが、その後聖剣と鎧を手にしたアレンが、世界各地で強大な魔物を退治している話は冷たい牢獄でも届いた。
ならば恐らく、あの鎧が聖剣の真の力であり、剣だけしか使っていなかった自分は真に選ばれし勇者では無かったのだろう。と前回の自分でも分かった。
『……おや?』
そうゲイリーの愉快な声が聞こえてきた。
いつの間にかレッドの手は、震えながらゆっくりと首飾りに手を伸ばしていたのだ。
そんなレッドに、ゲイリーは目を隠す布をずらしてみせる。
盲目なのかと思われた布の下には、血のように輝く二つの瞳があった。
『――君に力を与えよう。あの聖剣――白き鎧に勝るとも劣らない力だ。
憎悪によって動き邪心によって力を増す――まさに今の君にふさわしくないかね?
その鎧の力で君を捨てた全てに復讐するといい。たとえどんな姿になったとしても。
ねえ――元勇者様?』
最後の台詞を聞いた時、壊れ死んでいたはずのレッドの心が激しく燃えていく感覚が現れた。
恐ろしいほど強く、愚かしいほど苛烈な怒りと憎しみ。それが冷たく凍り付いたはずの彼の肉体を奮い立たせていた。
その激情のままに、レッドは黒い首飾りを掴み取った。
瞬間、首飾りから黒い靄のようなものが湧きだして周囲を黒く染め上げる。
目を見開くレッドに対し、ゲイリーはまるで動ずることもなくニヤリと口元を歪ませると。
『やはり――君を選んだのは正解だった。おめでとう、契約は成った。
君こそが、今世の――』
「――ちょっと、ちょっとレッド! いつまでボサッとしてんのよ!」
「ん!? あ、ああ、すまない。ちょっと失念してたわ」
マータの声で現実に引き戻された。だいぶ意識が飛んでいたらしく、もう出発の準備が終わってしまっている。レッドも慌てて荷物を持って旅立つ用意をした。
「次はもっと楽な仕事がいいわね。こんな狭苦しい森で何日間も張ってなきゃ行けないなんて疲れるわよ」
「同感だな。あんな子犬なんかじゃなくて、もっとデカくて倒し甲斐のある奴が出てきて欲しいものだっ!」
「……シャドウウルフなんてありふれた魔物、研究の対象にならない……つまらない……」
「ははは……あんまり危険じゃない魔物がいいですね僕は」
なんてバラバラなことを言いながらパーティは次なる場所へ向かう。この一か月でありふれてしまった光景ではあるが、過去のパーティ崩壊の記憶を知ってしまった自分としてはゲンナリしてしまう。
だが、今はまだ辞められない。そう聖剣を握りしめつつ再び思う。
前回の最後の記憶、自分が怪物化していった刹那に思い出した、ゲイリーの言葉。
『――その鎧の力で君を捨てた全てに復讐するといい。たとえどんな姿になったとしても』
間違いない。奴は知っていたのだ。魔剣と黒き鎧を使った人間がどうなるか、その末路も。
であれば、あの無実の罪を押し付けられたのも投獄も、あるいはそれ以前から介入していた可能性だってある。なにしろあの枢機卿長はこの一件の中枢にいた人物だ。
出来ればその場で全て問い質したかった。しかしそれは無理だ。
ラルヴァ教の神官、それも枢機卿ともなれば魔術師としても優秀であることが珍しくないのだ。しかも護衛の神官たちもいる。強引に行ったところで返り討ちに遭うのが関の山だ。
ならば――と聖剣を引き抜き、また刀身を眺める。
――やっぱり、強くなってる。
レッドはそう確信した。旅の前よりも、明らかに輝きというか剣自体が持つオーラが増しているのを実感していた。
これは前回の旅でも気付いたことだが、聖剣は戦えば戦うほど、魔物を斬れば斬るほどその力を増大させていた。かつては自分が強くなっているんだと浮かれていたが、今ならそれがこの剣自体の特性だと分かる。
ならば、今は勇者パーティとして振る舞い、聖剣が力を蓄えて待つことにしようと決めたのだ。
枢機卿長、それから他にもいるであろう自分を嵌めた者たち全員に復讐するために。
何故かつての自分は破滅させられたのか、それを知る為に。
決着を付ける日まで偽りの勇者として仮面を被り、偽りの勇者パーティとして生きることを決めた。
憎悪に燃えているレッドが握りしめている剣が、妙に鈍い光を放った気がした。
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