第七話 勇者パーティとして(3)
あの謁見の間で記憶を取り戻した時、心にあったのは絶望と恐怖だった。
当然だろう。自分がこの後僅か一年半で全てを失い破滅し、そして殺される未来なんてものを見てしまったのだから。
本当なら、今すぐその場を走って逃げたいくらいだった。しなかったのは、単に足が凍り付いて動くことすらままならなかっただけ。事前にトイレを済ませていなかったら失禁していても不思議ではなかったはずだ。
そんなわけで、アレンに挨拶されても怯えるばかりで何も出来なかった自分だが、アレンが怪訝な顔をした直後に、
「お待ちください、陛下っ!」
と、その場の静寂を引き裂く声が響いた。
出てきたのは、レッドと同じ公爵家の人間だった。貴族らしい豪奢な衣装に身を包み、つかつかとこちらへ寄ってきた。
「これはどういうことですか、何故亜人が勇者と同行するのです!?」
「不満かね、オルデン公爵」
国王の射るような視線に、公爵もビクッと身体を硬直させる。余計な横槍を入れた不届き者を咎める鋭い眼差しだった。
「い、いえ……マガラニ同盟国との停戦条約が締結されたことは承知しております。しかし、勇者パーティにまで参加するなど我々は一言も伺っておりません。どうして隠し立てのようなことを……」
「それが必要なことだったからですよ、オルデン公爵」
そこでまた、割って入るように別の声がした。その場にいた全員が、一斉に振り返る。
新たに扉から入ってきたのは、五人の神官たちだった。脇を固める四人の神官たちは、ラルヴァ教の神官服の特徴である白を基調として、それぞれ金や銀など華美な刺繡の付いた特別な服を着ていた。
が、中心にいる一番立場が上の神官は、華美な刺繡のような付属品の類は無いものの、代わりに神官服の色が山吹色に染色されている。
誰もがその服の色に言葉を失った。
ラルヴァ教の神官は、色で分けられている。一番位の低い司祭は白、逆に一番位の高い教皇は赤となっている。これはこの宗教が信仰する神が太陽の化身である太陽神ラルヴァだからであり、それ故太陽に一番近い色である赤が最高位の証、となっている。
そして山吹色は、その教皇の一つ下、つまり教皇を補佐する役目を担う枢機卿団、そのリーダーである枢機卿長だけが着ることを許されている服である。
要するに、今自分たちの目の前にいるのは、ラルヴァ教のナンバー2という事だ。
しかし、その神官服を着ている者は、とてもそんな高位の人物には見えなかった。
まるで少年のような、その地位に不釣り合いとしか言いようが無い可憐な美しさを持つ若者だったのだ。
アレンのような幼さとは違う、儚げで繊細な花のような美しさ。銀髪の髪の下にある両眼は、病気かは分からないが、何故か布で何重にも巻かれて塞がれている。しかし、それでもなお少年の美しさを少しも損なってはいない。
もっとも山吹色の衣装の次に特徴的なのは、耳だった。
普通の人間ではあり得ないほど長く、尖っている。
エルフという亜人族の一種、それを象徴する部分だ。
謁見の間にいた人間は、ほとんどが混乱しざわつき出していた。亜人族が来たかと思えば、今度は枢機卿長まで現れれば無理もない。ほとんど姿を出さないため山吹色の衣装を着ていること以外顔も誰も知らず、ましてやエルフだなんて話でも聞いた事が無いのだから当然だ。
この場で知っていたのはラルヴァ教の者を除けば、国王と国の重大ポストにいる数人の大貴族たち、そしてあとはたった一人であったろう。
「…………」
レッドは、またしても言葉なくその場に突っ立っていた。
ただし今は恐怖や絶望に震えているわけではない。
今の彼にとって、枢機卿長が注目されて誰も自分を見ていないことは幸運だったであろうことは間違いない。
何故なら、彼の枢機卿長を見る瞳は憎悪で血走り、殺意に満ち溢れていたからである。
枢機卿長たちは勇者たち五人を素通りし、国王の前で跪いた。
「お久しぶりでございます、ティマイト国王陛下。このような重大な式の中でありますが、教皇猊下は国内を守護する結界魔法のためこちらへ出向くことが出来ません。無礼をお許しください」
「構わぬ。そちらもこの国を守る役目を担っておるのだ。常日頃この国の、いやこの世界の者全てが感謝しておるぞ」
「勿体ないお言葉です。我々もその身命を賭して世界の安定を維持する所存。お任せください」
恭しく礼をする枢機卿長。その言葉は台詞自体は丁寧だが、どこか高所から見下すような感覚を抱いた。
ラルヴァ教とは単なる国教ではなく、神官たちによる大型結界魔術を形成する役目を担っている。これは五百年前アトール王国が建国されてから続いているもので、その役目があるからこそラルヴァ教は絶対的な権力を有している。五か国よりある意味上なほどの。
王への礼を終えた枢機卿長は、こちらへ向き直ると頭を下げる。目が見えないはずなのに、まるで常人のように動きに迷いが無い。
「初めましての方もおられるでしょう、名を名乗らせていただきます。ラルヴァ教枢機卿団の長を務めております、ゲイリー・ライトニングと申す者です。本日は教皇猊下のお言葉を、皆様へお伝えする役目を持ってこちらへ参りました」
そう言ってもう一度頭を下げると、この場にいる全ての者たちへ聞こえるよう淀みなく告げた。
「全ては神託なのです。数年以内に復活するであろう魔王による世界滅亡を防ぐためには、人間も亜人も関係なく全ての生きとし生けるものが一つとなり、力を尽くさねばならないのは、この場にいる方一人一人がご理解しておられることでしょう。それは、勇者パーティとて決して例外ではありません」
「し、しかし枢機卿長様、彼である理由は何なのです!?」
オルデン公爵はなおも問い質してくる。この場にこうして立ってしまった以上、引っ込みがつかないのだろう。
そんな彼に、ゲイリー枢機卿長は見えないはずの目をやると、
「それこそが神託なのです、オルデン公爵。彼の持つ力はこれからの苦難の旅で必ず役に立つ、それが教皇猊下に授けられた神託です。――レッド・H・カーティスよ」
「はっ、はいっ!」
途中で自分の方に振り返ったゲイリー枢機卿長に、レッドは不意を打たれやかましい返事をしてしまった。おかげで先ほどまでの鬼のような表情は溶けたが。
「たとえ聖剣に選ばれし勇者といえど、これからの旅を一人では決して乗り越えられないでしょう。長く続くであろう戦いに彼らは必要となる。そのことを心に留め、力を尽くしなさい」
「は、はい。枢機卿長様、ご期待に添って必ず使命を果たしてみせます!」
思わず声が上ずってしまった。その様にどうもゲイリー枢機卿長は怪訝な顔をしたようだが、何分目が塞がれているので表情が分かり辛い。
しかしすぐに笑顔を作り、こちらへ微笑みかけると、
「素晴らしい。貴方たちに世界の命運がかかっています。教皇猊下に代わって、皆様の旅に太陽神ラルヴァの加護があらんことを祈りましょう」
などと応じられた。そしてまた皆の方へ向くと、
「さあ皆さま、お祈りください。彼らに神の慈悲と慈愛が在らんことを」
そう仰々しく告げ、手を合わせて祈りのポーズをする。それに合わせて国王含めた謁見の間の全員が習うように手を合わせ祈った。
レッドも同じく手を合わせ、目を閉じたが祈りなどしなかった。記憶を取り戻した彼にとって、神など反吐が出るくらい嫌いだった。
そしてもう一人、吐き気がするくらい嫌いな奴がいた。
目の前で大仰に振る舞って、神の代行として信仰を一身に集めている枢機卿長――ゲイリー・ライトニング。
前回の自分が最後に化け物に変異するその瞬間、浮かんだのはこの男のにやけ面と、紅蓮に輝く両目だった。
『――君に力を与えよう。あの聖剣――白き鎧に勝るとも劣らない力だ。
憎悪によって動き邪心によって力を増す――まさに今の君にふさわしくないかね?
その鎧の力で君を捨てた全てに復讐するといい。たとえどんな姿になったとしても。
ねえ――元勇者様?』
そう。この男、ゲイリー・ライトニングこそが、自分に漆黒の魔剣と闇の鎧を与えた男だったのだ。
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