第四話 夢が始まる(4)




 王への謁見は、玉座にて行われた。

 出立式は明日であるが、これも式典の一つである。各国の大貴族たちや大商人、教会の神官など有力者たちが集まっていた。


 理由は、この日に王から聖剣を選ばれし勇者――レッドに預けられる儀式が執り行われるからだ。

 みな儀礼というだけでなく、初めて鞘を抜かれた聖剣の姿を見たいというのもある。


 そんな玉座の前で、レッドたち四人は跪いていた。


 既に王妃や王子、王女たちは玉座の傍らに座っている。ほとんどが初代国王の血族であることの証である金髪碧眼であるが、例えば王妃は着飾られた緑の髪にグレーの瞳である。


 王妃も金髪碧眼であると有利にされると言われているが、流石に親類ばかりと結婚すれば血が濃くなりすぎてしまう。故に王族の中にも他の大貴族たちから、あまり王家の直系から近くない者をあてがうのは珍しい話ではない。


 もっとも、五百年の歴史の中で金髪碧眼でなかったものが国王になった例は無いそうだが。


 などと思考を巡らせていると、ラッパの音が鳴り響いた。ファンファーレである。

 少しボケっとしていた顔を引き締め、改めて頭を垂れる。国王が来たのだ。


 ゆっくりと、護衛の者を連れて歩いてくる。

 そして王しか座る事の許されない神聖なる座へ、当然の如く腰を下ろした。


おもてを上げよ」


 王に促され、四人はようやく顔を上げられた。


 空席だった王の椅子に座ったのは、見るも美しい金髪の髪に王冠を乗せ、髪と同じ金色に輝く長い髭をたくわえた初老の男だった。

 目の色も勿論碧眼であり、間違いなく正統なアトール王国の王たる証を示している。

 着ている服も煌びやかさではこの場の金も力も持っている誰のものよりも群を抜いており、それだけでも一国の王という立場の凄さを見せつけた。

 威風堂々たる王の貫禄。これがアトール王国国王、ティマイト十世の姿だった。


「諸君、こうして集まって貰って感謝する。

 改めて言うまでもないと思うが、魔王がいずれ復活するとの神託があった。事実、世界各地での魔物による被害は深刻化する一方だ。

 魔王を倒さねば、世界の破滅は間違いはない。

 これに対抗するためには、各国だけでなく、全ての人々が一つにならねばならない。

 各国は強調することで一致したが……魔物と戦うだけでは、魔王を倒すことは叶わん。

 ――ロイ・バルバよ」

「はっ!!」


 呼ばれたロイはいつもよりもっと勢いよく返答する。


「お前は近衛騎士団の中でも特に優れた騎士と聞く。その力で仲間たちを守ってくれ」

「お任せください!! このロイ・バルバ、わが命に代えても役目を全うする所存でありますっ!!」


 喋っている最中にテンションが上がり過ぎたのか、王の前でがばっと立ち上がってしまう。何やってんだお前と仰天したレッドが急いで跪かせた。

 そんなことには構いもせず、王は次にマータの方に目を向ける。


「マルガレータ・ヘールトよ。冒険者ギルドより優秀な冒険者として派遣されたお前は、魔物やダンジョン、冒険の旅に関わるあらゆる知識に精通していると聞く。その知識はこれからの旅に必ず役に立つだろう。期待しているぞ」

「畏まりました。冒険者として引き受けたからには必ず依頼を果たしてみせます!!」


 先ほどまでの不遜な態度はどこへやら、流石に王の前だと恭しい姿勢を見せている。レッドは冒険者というのは初めて会ったが、こういうものなのかもしれないと思った。

 その次に王は、面を上げよと言ったのにまだ下げたままのラヴォワに声をかける。


「魔術連盟より推薦されたラヴォワよ。若いがあらゆる魔術に精通した、大魔術師の称号に最も近い者だと聞く。是非ともその才を世界のため役立てて欲しい」

「……わかった」


 王から賜った言葉に、頭はそのままにさも知らんとばかりに呆けたような一言だけで返した。微動だにしないなと思っていたが、もしかしたら寝ていたのかもしれない。

 王を相手にして失礼極まりない態度にざわついた者たちもいたが、王は気にする様子もなく、最後の一人、つまりレッドと視線を合わせる。


「レッド・H・カーティスよ」

「はっ!!」


 レッドも大きな声で返答する。ちなみに変な感覚は先ほど同様止まっていないのだが、王の面前で醜態を晒したらいけないので歯を食いしばって耐えていた。


「幼き頃より知るお前が勇者になるとは思わなかったぞ。聖剣に選ばれたその力、どうかこの国の、いや世界の為に使って欲しい」

「勿論です! 国王様の臣下として、カーティス家の嫡男として、誇り高き貴族として、そして選ばれし伝説の勇者として――!」




『聖剣と、私自身の優れた才があれば、魔王など恐れるものではありません。必ずや我が力で勝利を陛下へ捧げましょう!!』




「――っ!?」


 仲間と共に魔王を倒してみせます、と用意した台詞では言うはずだったが、その瞬間頭をよぎった別の台詞に遮られた。


 誰が何か言ったのかと辺りを見回すが、様子がおかしい自分に不審がるだけで他に怪しい行動をしている者はいなかった。

 それに――聞こえたあの声は、間違いなくだった。レッドは断言できた。

 何が何だか分からずまた困惑し始めると、今度は別の台詞が響いた。




『私は偉大なる王族の血を引く、王国で最も高貴な血を持つカーティス家の嫡男だぞっ! 剣も魔術も私に勝てる者などおる訳が無かろう! 下民どもと同じ空気を吸うだけで吐き気がするわっ!』


『メイドなど性欲のはけ口に過ぎんと決まっている。父も兄もそうしているさ。責任? 知るか、面倒になれば放り出せば済む話だ』


『亜人などケダモノも同然、家畜と一緒だろう! 生かすも殺すも自由さ。何が悪い? どこが悪い? 高貴な血に生まれればあらゆることが許されるのさ』




 次々と脳から溢れる言葉を、漏れださないように必死で口を塞いだ。周囲が何事かとざわついてきたが、構ってなどいられなかった。


 言ったことの無い、考えたことも無い言葉が次々と浮かんでくる。知らない。こんな台詞口に出したことも無い。


 だが言った。


 確かに言った。


 あるはずの無い言葉を吐いた記憶が、したことも無い非道を働いた記憶が、。混乱と動揺で脳がパニックを起こしていて、今すぐ頭を抱えて倒れたい衝動に駆られた。


「……おい、レッド? どうかしたか?」


 昏倒する直前、王の言葉になんとかレッドは現実に引き戻された。


「あっ! い、いえなんでもありません! 我ら四人、陛下のご期待に添えるよう……!」

「いや、四人ではない」


 なんとか台詞を良い終えようとした時、全く別のところから横槍が入った。

 陛下でも他の三人でもない。誰だという感じで、その場にいた者たちが皆顔をキョロキョロさせる。


 すると、両脇に控えていた参列者の中から、一人するりと抜けるように出てきた。

 場にいた誰もが驚いた。こんな儀礼の式で、しかも陛下の御前に何の躊躇もなく飛び出してきたのだ。無礼と言われ斬られて当然の行いである。


 だがそれ以上に驚いたのは、出てきた男の容姿だった。


 服自体は特に珍しくもない、執事が着るような燕尾服だ。

 しかし問題は、彼自身の容姿の方だった。


 キリリと鋭く尖った眼光に、切れ長の顔の下にある口には、それこそ猛獣にしか存在しないはずの研ぎ澄まされた牙があった。


 黄褐色の髪はたてがみのように逆立ち、ティマイト十世の王冠に負けぬ悠然とした風格を見せていた。


 そしてその豊かな髪に隠れているように、ネコ科特有の耳があり、さらに腰の後ろからの尻尾が動いていた。


 場は騒然となった。アトール王国の公的な儀礼の場に、亜人が出てくるなど前代未聞である。

「亜人……?」「まさかマガラニ同盟国の……?」との声がそこかしこから出てくる。他の三人も困惑の表情を露わにした。

 もっとも、レッドは全く別の事で困惑していたのだが。


 その燕尾服の亜人はゆっくりと王へ歩いていき、すかさず王の傍らにいた兵が剣を抜こうとしたが、その王に制止させられた。王は突然現れた亜人に一切驚いておらず、やがて王の前で跪いた亜人に対してさも当たり前のように声を掛けた。


「よく参られた、マガラニ同盟国の使者よ」

「遅れて申し訳ありません、国王様。こちらの都合で式典に間に合わなかった無礼をお許しください」

「構わぬ。こちらも遠路はるばる感謝するぞ」


 どうやらこの亜人が来ることは最初から決まっていたらしい。しかしこの場にいた者のほとんどはそれを知らされていなかった。どうしてそんなことをしたのか、誰にも理解できず困惑する。


「して、彼の者は連れてまいったか?」

「勿論です。世界を滅ぼす魔王を倒すため、我ら亜人族も力を尽くす所存。当然勇者様たちにもお力を貸す次第であります。――入れてくれ」


 最後の言葉のすぐ後に、重厚なものが引きずられるような音がした。謁見の間のドアが開いたのだ。そのドアの向こうから、何者かが歩いてくる音がする。酷く小さく、まるで子供が歩くような足音が聞こえてくる。


「…………」


 唖然、呆然どころか失神してしまいそうになっていた。

 レッドはむしろ、自分が正気を保っている方が信じられないぐらいの恐怖を味わっていた。


 覚えている。この足音も。この雰囲気も。


 前の時も、王に対する返答の途中で遮られ、亜人が出てきたのだ。


 そして、ドアの向こうから現れたのは――




「初めまして、国王様っ!」




 そう、レッドの背中越しに声がした。

 甲高い、まるで子供のような――いや、子供そのものの声。

 幼い少年そのものの、元気と明るさに溢れた力のある声だった。


「うむ。君もこのような地までご苦労だった。亜人たちの代表として、勇者たちの旅路の手助けをしてほしい」

「わかりましたっ! 故郷のみんなのため、この世界の人全てのため頑張りますっ!!」


 王の前にしてはあまりにも天真爛漫すぎる態度。だが幼さが前面に出過ぎていて無礼と指摘するのも躊躇われ、何より王自身が気にしていないので誰も何も言えなかった。


「宜しい。では今日より君が旅を共に仲間にも挨拶するとよい」

「はいっ!!」


 自分たちに目を向けられ、レッドは硬直しきった身体をビクッと震わせる。


 振り返れない。


 振り返りたくない。


 後ろにいる少年の顔を拝むことさえ拒絶していた。恐怖と絶望で頭がいっぱいになり、今すぐ泣くか逃げ出すかしたかったが、足が言うことを聞かず微動だすることすら出来なかった。


「初めまして、勇者様っ!」


 自分に浴びせられた声に、悲鳴を上げそうになる。


 振り返るな。振り返ってはいけない。

 頭はそう警告をガンガン鳴らしていたが、ここで無視することは不可能だ。

 怯え、狂いそうになりながらも、ゆっくりと顔を後ろへ向けたレッドは――


「マガラニ同盟国より来ましたっ! 勇者様をお助けするため、頑張るつもりです! よろしくお願いしますっ!!」

「――っ!!」


 その途端ガバッと立ち上がり声にならない悲鳴を叫んだ。


 銀髪に、オレンジ色のつぶらな瞳。犬族なのだろう特徴的な耳と尻尾はピクピクと元気に揺れ、快活さと元気が満ちている。


 純白のローブを身に纏い、様々なバッグや小物入れを肩より掛けている。冒険者か旅の小商人を思わせるような風貌だった。


「――あっ! すいません、名前を言うのを忘れてました! 僕は――」


 そう自身の名を告げたが、戦慄し震えあがったレッドは聞いてなどいなかった。

 いや、正確には聞く必要は無かったということだが。


 何故なら、レッドは彼の名前を、初対面のはずである亜人の少年、その名を知っていたからである。




 ――アレン・ヴァルド……っ!!




 その瞬間、全てを思い出していた。

 幼き頃より毎夜の如く見た悪夢の、霧にかかっていたように分からなかった詳細を。




『――この役立たずっ! お前みたいな汚らわしい亜人が、この高貴なる血筋を持つ選ばれし勇者こと、私レッド様の傍にいられるだけ幸福と思わないかっ!!』


『――アレン、やはり貴様は追放だ。この偉大な王家の血を受け継ぐ私のパーティに、醜き亜人の者がいるなどもはや我慢できん。今すぐ目の前から消えるか、それともこの聖剣の錆になるか、選べっ!』


『――何故だ!? アレンがいなくなってからというもの、聖剣の力が弱まっている……っ! いやそれだけではない、パーティ全体の力も……何故だ、何故だっ!!』


『――聖剣よ、何処へ行く! お前は俺を選んだんじゃなかったのか!? どうして奴の下へ行くんだ!? おのれ、おのれぇっ!!』


『――何故だ? 何故高貴な貴族たる俺がこんな惨めな日々を……父も、母も、兄たちも、従者たちまで自分を裏切って……。

 ――奴だ。やはり奴のせいなんだ……。

 アレン、アレエエェェェェェェェェェンッッッ!!』




 いや、それは夢などではなかった。

 脳裏に次々と蘇る記憶たちが、そう告げる。

 全て現実だった。

 




『――アレエェェェェンッ!! 見るがいい、これが貴様の聖剣と白き鎧にも勝る、魔剣と闇の鎧だっ!  

 この力で俺を裏切った貴様らを、俺に惨めな地獄を味あわせた全てに復讐してみせるわっ! 覚悟するがいいっ!!』


『ア、ァ、アノグゾヤロヴゥ……ハメヤガッダナ……ッ!!』


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッッッ!!』




 ほんの一瞬、時間にすれば数秒すらない時間だったはず。

 だがその僅かな時間で、レッドは全てを垣間見た。


 かつての自分の、そしてこれからの自分の未来を。


 これから約一年後、自分たち勇者パーティはアレンを邪魔と判断し追放する。

 そして追放から僅か一か月もかからず、パーティは信じられないほど弱体化し、やがて崩壊してしまう。


 そのすぐ後、レッドは身に覚えのない罪で捕まり、投獄され地獄の日々を味わい――聖剣までもアレンに奪われる。


 全てに絶望し、憎み呪った日々を、ただ虫けら同然に生きてきた中で、レッドは聖剣と対になる呪われた魔剣を手にし、勇者と呼ばれるようになったアレンと対峙するのだ。


 その魔剣の力で己の身が怪物となる末路すら知らず、最後ただの魔物として斬り伏せられる未来すら分からず、である。


「…………」


 全てを思い出したレッドは、言葉を失うしかなかった。無理もない。


 幼き頃より悩まされてきた悪夢が悪夢ではなく、現実であったと知ってしまったのだから。


 いや――それすら違う。


 夢が現実になった、のではない。夢はこれから始まるのだ。


 今日、この日、


 最悪の悪夢が現実になるという、夢が始まった。

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