第三話 夢が始まる(3)



 鬱陶しいばかりの食事会を終わらせると、意外にも早く叔父は去ることになった。

 てっきり忙しいというのは、長居したくない気持ちを誤魔化す嘘と思ったが、本当に所要があるのかもしれないとレッドは驚いた。


「それでは、私は失礼するぞ。騒がしくて申し訳ないが、何分無理を言って時間を空けてもらったものだからあまりのんびり出来んのだよ」

「お気になさらないで下さい。むしろこちらこそお気遣いできず失礼いたしました」

「気にするなと言ったろう? 魔王討伐の旅がどれくらいになるかは分からんが、帰ってきた時は是非とも英雄譚を聞かせてくれよ」

「勿論です。ご期待に添えるよう、全力を尽くしたいと思います」


 など言葉を交わして、叔父は馬車に乗って去っていった。姿が見えなくなるまで見送ると、盛大にため息をつく。


 ――終わったか。


 一気に疲れが来たように感じてしまう。やはり叔父は苦手だ。

 というより、両親や兄弟含めた親戚筋、もっと言えば他の貴族たちもどうにも好きになれない。不思議と苦手に感じてしまう。


 貴族など表面上は仲良く振る舞っていても、その実腹の探り合い粗の探し合いで、相手より上であることを誇示したく見栄を張ろうとしたり、逆に相手の弱みを知れば徹底的に糾弾したりなど珍しくない。そんな空気が嫌というならば理解できるが、どうも自分はそれ以前の問題な気がした。


 理由、という理由は思いつかない。あるとすれば、本能的に何かを感じ取っている。そんな気がしてならなかった。無論これも誰にも話していないが……


「レッド様」


 なんて考えを巡らせていると、アリーヤがこちらに話しかけてきた。


「うん? どうかしたか?」

「そろそろ準備した方が宜しいかと」

「……ああ、そうだったな」


 言われて思い出した。今日が出立の日だったと。


 元来この休暇は体調不良を起こしたことと、王国の方から出立に関わる様々な準備が必要なのでその期間を設けるために、待機を命じられたために許されたものだった。そして、その準備が整ったため王都に戻れとつい先日手紙が届いたのだ。


 このカーティス家領地から王都までは、馬車で五日はかかる。その日に合わせて出立式を兼ねたパレードや会食などを行う予定になっている。だから、本日中には行かなければならない。


「わかった。馬車は用意してあるのか?」

「既に出来ております」

「よし。じゃあ俺も行くか。――あっと」


 そのまま行こうとしたが、ふと立ち止まってメイド長に顔を向ける。


「ちょっといいか、アリーヤ」

「なんでしょうか?」

「これからしばらくは戻れないと思う。魔王退治の旅がどれくらいになるかは知らんが――」


 そこで一旦言葉を区切り、仮面のように表情を崩さないベテランメイドの顔に一言こう告げた。


「まあ、皆で仲良くやれよ?」

「――承知しました」


 残念ながら、メイド長の表情が歪むことは無かった。


   ***


 五日ほど馬車の旅を終え、王都ティマイオに戻ったレッドが訪れたのはアトール王国の王城であるポセイ城だった。


 王の権威と権力の象徴である王城は流石見上げるほどの高さだが、生憎生まれた時から幾度も訪れているレッドには何の感慨も湧くものではない。さっさと衛兵と高官に連れられて中へ入った。


 見慣れた城内、見慣れた高官、見慣れた鎧を着た兵たち。全てがレッドにとって平常と変わらぬ景色だった。


 にもかかわらず、代官たちと歩いている彼の動悸は激しくなり、胸のざわめきは強くなる一方だった。


 ――なんだ、この感じ……


 平静を装って歩いているが、胸はムカムカするし、吐き気すら感じた。二週間前に聖剣を抜いた時より、はるかに酷い。


 見慣れた城内、見慣れた高官、見慣れた鎧を着た兵たち。全てがレッドにとって平常と変わらぬ景色。異常なものなど何もないはずなのに。


 いや――。あまりにも見覚えがあり過ぎる。何度も来た場所だから、で済まされない感覚。心臓がどんどん激しく脈動していく。汗をダラダラとかいて、息を荒くしながら周囲をギョロギョロと目を動かして見回した。


 間違いない。気のせいなんかじゃない。


 


 


 レッド自身、何を言っているか分からなかった。しかし、その奇妙な感覚は決して気のせいなどではない。


 そういえば昔、聞いた事がある。

 初めて行った場所、初めて見た光景の筈なのに、どこか見覚えがあるという気分になる事。

 たしか異界の言葉で、既視感、デジャヴと言ったか――


 などと困惑していると、いつの間にか高官に連れられて応接間の前に立っていた。王への謁見までの間、控え室となる部屋だ。

 震えそうになるのを堪えて、扉を開けられるのを待って部屋に入る。部屋の中が視界に入った途端、「ひっ」と小さく悲鳴を上げて立ち止まった。


「おお、貴方が勇者様か。俺は近衛騎士団副団長のロイ・バルバだ。魔王討伐の旅に同行出来て光栄ですぞ」


 こちらが入ってくるなりずかずか近づいてきて挨拶し出したのは、レッドより頭一つか二つ抜けた大柄の鎧姿をした男だった。三十は優に超えているだろうか、短く狩り揃えられた黒髪の下にある目は緑色に爛々と輝いている。さらにその下の顔はところどころ傷だらけで、騎士団の名に偽りは無いと思える迫力があった。

 もっと派手なのは、背中に背負っている巨大なバトルアックスだった。ロイ自身の体を覆えるのではないかという圧倒的な質量は、見ているだけで恐怖を抱いてしまう。


「ふうん、なんか優男っぽいけど、これが勇者様? あたしは冒険者ギルドから派遣されたマルガレータ・ヘールト。マータって呼んでくれていいわよ」


 ロイに続いてこちらへ顔をグイと近づけてきたのは、赤髪に紫色の瞳をした二十代半ばくらいの女性だった。端正のとれた顔つきをしていて、マントの下にはやたら肌の露出が多い扇情的な恰好をしている。


「……ラヴォワ……魔術連盟から来た……」


 そんな二人に対し、応接間の椅子に座ってこちらを見向きもしない小柄な子がいた。どうやら少女のようだが、なにしろ三角帽子とローブに覆われているので中身のほとんどが伺えない。


 しかし、全く素顔が見えないにもかかわらず、レッドにはラヴォワの帽子の下に隠れた青髪と赤い瞳をした、可愛らしい少女の顔を頭に浮かべられた。


「…………」


 自己紹介など、聞いていなかった。

 いや、聞いていられなかったという方が正しい。

 心臓は先ほどとは比べものにならないほど強く脈動し、呼吸は荒くなる一方だった。


 知ってる。


 自分はこの三人を知ってる。


 初対面なのに、顔も名前も知らないはずなのに、声も口調も、服の中に隠れている肌の部分も鮮明に思い出せる。自己紹介の台詞とて、言われる前に一言一句違わず頭に浮かんだ。


 既視感、デジャヴ。初めて見た光景の筈なのに、どこかで見た気がする――なんてレベルではない。


 今この瞬間も、そしてその後も、覚えている。確実に。

 今日起きたこと、まだ起きていないこと。明日、明後日、一週間後も一か月後も、。恐怖で気が狂いそうになった。


 しかし、覚えているという感覚はあるものの、肝心の細かい内容まではおぼろげであった。まるで朝目覚めた時、夢見たものが全て消えていくような……


 ――夢?


「……おい、どうした? 聞いてるか?」

「ちょっと、あんた顔真っ青じゃない? 大丈夫?」


 何かに気付きかけたが、黙りこくっているレッドを不審に思ったロイとマータが顔を覗き込んできた。慌ててなんとか取り繕うとする。


「あ、あ、いえ何でもありません。皆さん初めまして。自分はレッド・H・カーティスという者です。宜しくお願いします」


 普通に見せかけたかったが、声は上ずったしどこかしどろもどろになってしまい余計におかしく思われたらしく、怪訝な顔をされた。


「どうしちまったんだ? そういや、体調崩して実家に戻ってるとか聞いたが、まだ治ってなかったのか?」

「いえいえ! もう全然平気です! まあ、これから陛下へ謁見するのでちょっと緊張しているかもしれませんが!」


 手をブンブン回して元気アピールする。不健康そうどころか怪しい人みたいな状態になってしまったが、もはやレッドにも余裕が無いのでなんとか別の話をして誤魔化すことにした。


「おう、そうだったな。陛下の御前に立てるなんて嬉しい限りだぜ。なあ、お前らもそう思うだろう?」


 王国騎士団副団長のロイはそう女二人に声を掛けたが、


「――さあ? あたしはパシフィカ帝国出身だけど、そっちの皇帝様とも縁が無かったし、王様なんて言われてもピンと来ないわよ」


「……興味ない」


 とまあ冷たい反応だった。これにロイは眉間にしわを寄せ、詰め寄ろうとした。


「おいお前ら、陛下に対してその口の利き方は……」


 そう今にも激昂しそうなロイの肩を、レッドはぐっと掴んで止める。


「何をしているんです。これからパーティとして世界を巡って戦うのに、こんなことで騒いでどうしますか。お互いに冷静になって下さいよ」


 そう宥めると、ロイは「お、おう……」と怒りを収める。マータは「はいはい、ごめんなさい」と軽く答え、ラヴォワは無視しているか聞いていないのか分からないが反応しなかった。


 苦労しそうだな、とため息を一つつくと、ふと先ほどまでの汗が収まっているのに気付いた。

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