第8話 葵と真人
お兄ちゃんが欲しかった。10歳年の離れた自慢の大好きな姉。その姉と同じように遊んでくれて、お出かけの時には手を繋いでくれる。そんな兄が。。。
どうして私にはお兄ちゃんがいないの?いるはずなのに。私のお兄ちゃんはどこ?何度も泣いて、母を困らせた。
中学生の頃、何かの話の流れで、母が私を産む前に流産していることを知った。産まれてくることが出来なかった子。私の兄だったかもしれない子。
学校の授業が終わり、ホームルームが終わるなり葵は帰り支度をする。部活に入っていない葵は、いつも真っ直ぐに羽鳥と住むマンションに帰っていた。
寄り道をするとすれば、たまに、ミチルと馨の3人で、近くの純喫茶に行くくらいだ。
出来れば、帰りにスーパーに寄って夕食の食材を買って帰るということをしてみたいと思っている。ただ、それは羽鳥に止められていた。
食材が重いだの、学生は真っ直ぐ帰れだのと言って、やらせてもらえないのだ。
過保護め!!
心の中で悪態をつく。羽鳥の、好きな人のことを考えながら夕食の献立を考えて、スーパーで買い物なんて新婚みたいだから、やってみたいだけなのに!
「葵ちゃん、どうしたの?お顔が怖いよ」
「ミチル」
考えていたことが、そのまま顔にでていたようだ。気づけば、ミチルが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ミチル、大丈夫だよ。多分、葵のその顔は羽鳥さんへの一方的な不満だろうから」
ミチルの後ろに、当たり前のように立っている馨が図星をついてきた。
こういうとき、幼馴染みは色々と隠せなくて困る。
「葵ちゃん、そうなの?」
「そうね。馨の言うとおりだよ。心配させてごめんね、ミチル」
「いいよー。それだけ、葵ちゃんが羽鳥さんのことが好きってことでしょう?」
「なんで、そうなるんだよ」
薫のツッコミが入る。
「だって、それだけ葵ちゃんの頭の中は、羽鳥さんのことでいっぱいってことでしょう?私の頭の中が、葵ちゃんと馨くんでいっぱいなのと一緒だね」
「私の頭の中は、羽鳥だけじゃないわよ。ミチルと同じ。ミチルと馨も、私の頭の中でいっぱいよ」
そう言って、ミチルと額を合わせてクスクスと笑い合っていると、お昼休みの時と同様に馨に引き剥がされた。
「あー、また馨くんに葵ちゃんと離された!!馨くん、ひどい!!」
「ごめん、ごめん。お詫びに、この後『木漏れ日』でケーキご馳走するから」
「やったー!!馨くん大好き!!葵ちゃんも、この後一緒に『木漏れ日』に行く?」
小学生の頃から通う純喫茶『木漏れ日』。馨の叔父さんが経営しているお店で、高校生になってから、馨もたまにお店を手伝いに行っている。
「今日は二人だけで行ってきて、真人くんが出張のお土産を私に買ってきてくれてるみたいだから。それに羽鳥の帰りも早そうだし」
「そっかぁ、じゃあ帰らないとだね。また今度行こうね葵ちゃん」
「うん。じゃあ帰るね。ミチル、薫」
「またね、葵ちゃん」
「また明日、葵」
ミチルと馨と別れて、学校から出ると携帯を確認した。
真人くんからのメッセージ。そこには、北海道の出張から帰ってきたことと、お土産をいっぱい買ってきたから、兄である羽鳥に渡しておくという内容だった。
相変わらず真人くんは優しいなと、思わず顔がほころぶ。姉の元彼さんである真人くんは、初めて私と会ったときから変わらず、私を本当の妹ように可愛がってくれる。
私が10歳の頃、姉に彼氏ができた。
それが、羽鳥の2歳年下の弟で、姉と同い年の真人くんだ。初めて会ったのは、姉と真人くんがデートの日だった。
私は、姉から出かけるとだけ聞いていて、向かっている途中で、最近できた彼氏と一緒ということを聞かされた。正直、当時の私の頭の中は、軽くパニックを起こしていた。
彼氏との待ち合わせ場所だといい連れてこられたのは、街の大きな商業施設で、その施設の一階にある大きなモニュメントの前が、待ち合わせの場所らしい。モニュメントの近くまで来ると、姉が「真人」と男の人の名前を呼んだ。
その名前に反応して、一人の男の人が、こちらを見た。
「朱音」
私たちを確認すると、男の人は、笑顔で姉の名前を呼んだ。
その男の人は背が高く細身で、髪は少し茶色がかっており、この距離からでも優しい人なんだろうなと分かるほど、柔和な雰囲気を醸し出していた。
あの人が、お姉ちゃんの彼氏か。
姉の彼氏と合流すると、姉が真人くんを紹介してくれた。驚かないところをみると、私がくることを知っていたのか。知っていてOKを出したのか。そう考えると、目の前の男の人の心の広さに感心した。
こっちは、さっき聞いたばかりなのに、、、
そして、なんで姉は私に前もって教えてくれなかったのかと、心の中で少し嘆いた。
それでも、嘆いていても仕方ないので、姉の後ろで様子を伺っていたが、このままではいけないと、姉の後ろから横に移動し、挨拶をすることにした。
神山家は、礼節に厳しいのだ。
「妹の、神山葵です。小学4年生です。よろしくお願いします」
背筋を伸ばし、相手の目を見て、出来るだけハッキリと発音し、頭を下げる。
今の自分に出来る、精一杯の挨拶をした。
「羽鳥真人です。先週からお姉さんの朱音さんとお付き合いさせてもらってます。よろしくね。真人くんって呼んでね」
挨拶をすると、当たり前のように真人くんは、しゃがんで目線を合わせて挨拶をしてくれた。さりげなく呼び名のリクエストを添えて。
横でクスクスと笑う姉と、今か今かと名前を呼んで欲しいそうにしている真人くんを見て、緊張しながらも名前を呼んだ。
「ま、こと、くん」
声に出すと、思いのほか恥ずかしく、私は慌てて姉の後ろに隠れた。少しだけ真人くんの様子を見てみると、とても嬉しそうだった。
これは、後から姉から聞いて分かったなのだが、真人くんは昔から妹か弟が欲しかったらしく、できた時には「真人くん」と呼んでもらうのが夢だったらしい。
その日から、何度か姉と真人くんのデートに同行した。真人くんには勉強も教えてもらった。一緒に遊んでくれたりもして、本当のお兄ちゃんが出来たみたいで嬉しかった。
真人くんが、お兄ちゃんだったらいいのに
日に日に、この気持ちは大きくなった。
一番のきっかけは、私が学校で久しぶりに発作を起こした時だった。
休み時間中に、少し咳が出だしたなと思っていたら、そこから咳が止まることはなく呼吸がしずらくなり、そのまま発作を起こしていた。
上手く呼吸が出来ず、その場にうずくまると、近くにいたミチルが心配そうに声をかけてくれていたが、苦しくて答えられないでいた。
気づけば、馨が呼んできてくれた担任の先生に抱えられ保健室に運ばれていた。
ひとまず座らされた保健室のベンチ椅子で、久しぶりに起きた発作に、こんなに苦しかっただろうかと困惑しながら、呼吸をすることに集中した。
気道を確保するために、ベンチ椅子に座った状態で、上体を前に倒そうとすると、今年入ってきて、重度の発作を起こした私の対応をしたことのない保険の先生に横になるように促された。横になると気道が確保できなくなるため呼吸が出来なくなってしまう。それを伝えたくても言葉に出来ず、ただただ横にさせようとする保険の先生に抵抗するしか出来なかった。
横になりたくない。そんなことより、保健室に常備させてもらっている吸入器を持ってきてほしい。
抵抗を続けていると、業を煮やしたのか「いいから横になりなさい」と、なかば強引に座っていたベンチ椅子に身体を横に倒され、倒されたと同時に、呼吸が出来なくなった。
殺される!!
そう思った次の瞬間には、保険の先生を突き飛ばしていた。
保険の先生を突き飛ばすと、その勢いでベンチ椅子から床になだれ落ちてしまった。座り直したくても、保険の先生を突き飛ばすことに体力を使ってしまい、座り直すことも出来ず、そのまま椅子に身を委ね、息をすることに集中するしかできないでいた。
苦しい。誰か助けて、、、。このままだと意識が、、、。ここで意識を失いたくない、、、。
心の中で誰にというわけでもなく助けを呼ぶ。すると、誰かが保健室に入ってきたのが分かった。
誰が入ってきたのか、顔を上げることもできず確認できない。周りの声も、どこか遠い。
すると、新しく保健室に入ってきたであろう人は、初めて会った時と同じように、その場にしゃがみ込み、私の視界に入るように私の様子を伺ってくれた。
真人くん・・・
苦しくて涙が出ていたが、今この瞬間、真人くんが来てくれたことが嬉しくて泣きそうになった。
私は必死に手を伸ばし、真人くんに助けを求めた。そんな私に、真人くんは躊躇うことなく、私を抱き抱えた。真人くんの腕の中に収まると、私は安心して息をすることだけに集中できた。
真人くんの車で病院に連れて行ってもらったところまでは覚えているが、そこからは意識を失ったらしく、目を覚ましたら知らない天井が見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます