第7話 朱音と葵 回想
駅から自宅までの帰り道、朱音の足取りは重かった。
駅から家まで、こんなに距離があっただろうかと思いながらも、頭の中は変わらず過去のことのがよぎっていた。
私は、妹が好きだ。待ちに待った妹。可愛くて可愛くて仕方がない妹。
その気持ちに、嘘偽りはない。
母から赤ちゃんが出来たと聞いた日から、毎日お腹にいる妹に話しかけたくらいだ。
おはようからおやすみまで。その日の学校での出来事も話した。
その甲斐あってか、生まれてきた葵は、母の声よりも私の声に反応した。
母があやすよりも、私があやす方が葵が笑顔になるのが早かった。おかげで、母に嫉妬されたくらいだ。
「お母さんは、私なのに」と。
それくらい、私は葵が可愛くて仕方なかった。
葵の成長が見られるたび喜んだ。
目が見えた。寝返りをした。ハイハイをした。つかまり立ちをした。歩いた。
その中でも、言葉を話し始めた時は「ママ」ではなく「おねえちゃん」と先に言って欲しくて頑張った。
それくらい大好きな妹だ。
ただ葵が3歳の頃、その思いがいきすぎてしまった。
当時、私は中学二年生で学校が休みの日だったと思う。いつものように葵と遊んでいた。
葵に笑ってほしくてだったと思う。遊んでいる最中、私は葵をくすぐり始めた。
葵はくすぐられるのに弱い。特に脇が弱く、少しくすぐっただけで、キャッキャっと笑い転げていた。
もっと笑わせてやろうと、私はさらに葵をくすぐった。さすがに笑いすぎて苦しくなったのか、葵から「やめて〜」と何度か言われた。
それでもやめなかった。くすぐりながら、男の子によくいわれる好きな子ほどいじめたいって、こういうことなのかな?と「やめて、お姉ちゃん!」という妹を前に考えていた。
前は、好きなのにいじめる理由が分からなかったが、今なら男の子の気持ちが分かる気がした。
「朱音、そろそろやめてあげなさい。苦しそうよ」
葵の言葉を無視していると、さすがに隣の部屋にいた母親に注意された。
確かに、葵は笑いながら少し咳き込み始めていた。
「えー。でも、くすぐっているだけだよ」
「いいから、やめてあげなさい」
「はーい」
私は、しぶしぶ葵をくすぐるのをやめた。
「葵、面白かったでしょ?」
「ヒュー、ヒュー」
「あお、い?」
「ヒュー、ヒュー」
葵からの返事はなく、横になったままうずくまり、両手で胸元あたりを押さえながら、苦しそうに顔を歪め、聞こえる呼吸音は「ヒュー、ヒュー」と不吉な
音を出していた。
「葵!!]
異変に気づいた母が、葵に駆け寄り抱き寄せ、何度も葵の名前を呼んでいた。
母に抱き寄せられた葵は返事をすることなく、ただただ苦しそうに呼吸をしていた。よほど苦しいのだろう、目からは涙が溢れていた。
そこからのことは、あまり覚えていない。気づいた時には父もいて、救急車も来ていた。そして、病院にいた。
いつ父が来たのか、いつ救急車を呼んだのか、自分はどうやって病院に着いたのか、全く分からなかった。
分かっていたのは、葵がこんな状態になったのが、自分のせいだと言うことだけだった。
その日から、葵は一週間ほど入院した。入院している間、母から葵が小児喘息になったと説明された。母が喘息持ちだから遺伝だろうと、だから遅かれ早かれ葵は喘息になっていた可能性があるから、朱音は気にすることはないと言われた。
そんなこと言われても、気にしないなんて無理だ。間違いなく、その引き金を引いたのは私だ。私が、葵がやめてと訴えたときにやめていれば、葵は喘息にならずに済んだかもしれないのに。
病院から退院した葵は、母が入院中に用意した、物が少なく風通しのいい部屋で療養することになった。そして、その部屋はキレイな空気を保つため、母以外が入ることの出来ない部屋になった。葵も、トイレとお風呂に行く以外は部屋から出て来ることはなかった。
小児喘息は身体が大人に成長するにつれ治ると説明されたが、葵は重度の小児喘息で、毎夜発作を起こしては、明け方まで苦しみ、落ち着いた時には睡魔と発作によって削られた体力を回復するため、そこから長時間の睡眠に落ちる生活を繰り返していた。
日に日に葵の体は弱っていった。それは、子供の私が見ても分かるほどに。
身体は華奢になっていき、日に当たることのない肌は、色白というよりは青白くなっていった。
一日のほとんどをベットで過ごすため、体力が落ち、食欲をなくし、食べても消化することが出来ず、嘔吐するを繰り返していた。
発作で苦しんで泣き、母が作った料理を食べれず、食べても嘔吐してしまう自分に泣き。その年から通い始めていた保育園にも行けず、外に出れず、周りの子たちと同じことが出来ないことに嘆いていた。
自分のせいで苦しむ葵を、私は、ただただ見ていることしか出来なかった。
唯一の救いは、葵が小児喘息になった原因が、私にあると知らないことだった。
母から聞いて分かったことだが、葵は、私と遊んでいた時の記憶がないらしい。病院に運ばれた日。病院に着いた時には、葵は意識を失っていた。意識を取り戻した翌日、目が覚めたら知らない部屋のベッドにいることに驚いていたいう。
今でも、葵は私が原因で病気になったことを知らない。喘息持ちの母の遺伝だと思っている。
何度か打ち明けようとしたが、葵から嫌われるんじゃないかと考えると、話すことが出来なかった。
自分でも卑怯だと思う。母のせいにしたまま、妹想いの姉として、葵からの好意を受けている。
重い足取りのまま家に着き、電気もつけず倒れるようにソファに横になった。
家の電気がついていないということは、母は、まだ仕事なんだろう。
葵が誠二さんと暮らすようになって、母と二人で暮らすようになったこの家は、二人で住むには広く、ひどく静かだ。
葵に戻ってきてほしいと思う。けれど、その我儘を言う資格が私にはない。
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