第1話    葵と羽鳥

 寝室のカーテンの隙間から、朝日が差しこんでいる。

その光が照らす先には、間もなく朝の6時を知らせる目覚まし時計があった。

目覚まし時計の秒針が、12を指し、目覚めを知らせようとした寸前。

それは、細く白い手によって止められた。




「毎日、目覚まし時計が鳴る前に起きて止めるなら、わざわざ目覚ましをかけなくていいんじゃないか?」

 葵が目覚まし時計を止め、ベッドから起きようと上体を起こすと、同居人であり、この家の家主である羽鳥誠二が、いつもと同じ白シャツに、スーツパンツの姿で寝室の入り口の壁にもたれがかりながら声をかけてきた。

「もし起きれなかったら、羽鳥が起こしてくれるの?」

私が聞くと、しばらく考えてから

「・・・起こさないな」

「でしょうね」

クスっと笑いながら、

「羽鳥の、そういうところ好きよ」

と返すと,

「知ってる」

 なかば、呆れるような表情で返事が返ってきた。そんな羽鳥に「起こして」と、無言で両手を広げて訴える。その動作を見て、羽鳥はゆっくりとベッドに近づいてきて私を抱き上げ、ベッドの傍に降ろした。


 私が高校に入学すると同時に、羽鳥と一緒に住むようになって1年以上が経つ。

一緒に住むようになってから、毎日のように一緒のベッドで寝ている。先に起きる羽鳥が、私の起きる時間に寝室に戻ってきて、すでに起きている私を今みたいに抱き上げて、ベッドから出させる。

 毎日のお決まりのルーティーン。そろそろ、おはようのキスの1つや2つ、してくれてもいいのではないだろうか?

「早く制服に着替えろよ。朝食が冷める」

と、いつもの言葉で、私の甘い思考は遮断された。

 私が制服に着替えるために、寝室を出てリビングに向かう羽鳥の背中に、私は小さく舌を出した。


 白い長袖のシャツに、紺色のリボン。紺色の膝丈のプリーツスカート。それに学校指定の黒のカーディガンを羽織り、黒のタイツを履く。今は5月。学校によってはシャツは半袖。カーディガンも着てはいけない。タイツもアウトな学校もあるだろう。それを思うと、出来るだけ肌を出したくない私は、今の高校を選んで良かったと思う。制服や髪形が、比較的自由なのだ。

 着替えがおわり、胸元まで伸びた髪を最後に整えると、羽鳥の待つリビングに急いだ。


 「葵は、いつまで俺のシャツをパジャマ代わりに寝るんだ?」

テーブルに着き、朝食に用意されていたトーストを食べ始めると、食後用のコーヒーを淹れ終わった羽鳥が私の分をテーブルに置きながら聞いてきた。

 ちなみに、初めての質問ではない。私は、冬以外は羽鳥のシャツをパジャマ代わりに着ている。冬は羽鳥のトレーナーだ。好きな人の服を着て何が悪い。

 「羽鳥の服を着て寝るのが、一番落ち着いて眠れる」

淹れてもらったコーヒーを飲みながら答える。毎回、同じ答え。でもこれは、あながち嘘ではない。一緒のベッドで寝ているとはいえ、羽鳥の服を着て寝る方が、より近くに感じて安心して眠れるのだ。

 というか、好きな女が彼シャツをしているというのに、なんなのだ、この男は!

 「そうか」

 と、いつもと同じ返答をコーヒーの飲みながら返された。

 その返答に少しイラつきをおぼえながら、トーストと一緒に用意されたサラダとスープに視線を落とす。視線を横にずらすと、羽鳥の手作りのお弁当。新婚みたいだなと思う。

 新婚どころか、恋人同士でもないけれど。


 しばらく会話もないまま食事を続けていると、羽鳥が席を立ち、飲み終わったカップをシンクに置いた。

「後の片づけは、よろしく。いってきます」

 と言って、まだ食事中の私を後ろから抱きしめてから、仕事に行くために身支度をして、そのまま家を出て行った。


 1年以上、一緒に暮らし、一緒のベッドで眠る。お互いに好きだと言い、ハグもする。でも、それ以上はないし、しない。

 あくまで同居人で、未成年と保護者。それは、私が羽鳥の住むマンションに引っ越してくる際に、お互いの親と、何より私たち2人が決めたこと。だけど、監視されているわけでもないのだから、キスぐらいしてもいいだろうに。それでも、羽鳥は変わらず、ハグ以上のことはしない。羽鳥からすれば、一緒のベッドで寝ていることも憚られるらしい。


 羽鳥とは、12歳離れている。そのため世間的にも、同居人として未成年と保護者を徹底した方がいいだろうとなった。

 引っ越してきた当初、マンションに住む人達の、特に主婦の人達の色んな意味を含んだ好奇の目を思い出すと、いまでもゾッとする。


 独身男の一人暮らしに、突如、女子高生が転がり込んでくるのだから、好奇の目も仕方がないだろう。念のため、伯父と姪という関係にし、入学する高校が実家からでは遠いため、実家よりも高校の近くに住んでいる叔父に世話になることになったという設定を用意しておいた。この設定は、数回役に立つことこそあったが、それでも好奇の目を少なくすることは出来ても、なくすことまでは出来なかった。

 そんな好奇の目にも耐え、仕方がないと分かっていながらも、さっきみたいにイラついてしまう私に、羽鳥はどこまでも優しく、どこまでも律儀で誠実だ。


 羽鳥に少しイラついてしまった自分に反省しながら、最後に残ったスープを口に含んだ。スープは、すでに冷めてぬるくなっていた。飲み終えたら、片づけて学校に行く準備をしないとなと、最後のスープを飲み干した。








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