18. 風邪っぴき(2)

 力の発動条件はもうわかっている。

 でも、手を伸ばしてニゲルに触れたのに頭には何も浮かばなかった。


「あれ?」

「どうした?」

「わたしね、一人で地下室への階段にいたとき、〝ニゲルの命ある限り、ニゲルのためなら何でもできる力と記憶がほしい〟って願ったの。だから、呪いも消せるかなって思ったんだけど……」

「ステラ……」


 ニゲルのきれいな顔が悲しそうに歪む。

 彼が近づいてきて、強く抱きしめられた。

 ぶわっと急に熱を帯びた顔を上げたけれど、ニゲルの胸にぴったりくっついているせいで彼の表情が見えない。


「すまない、ステラ。俺がもっと早く人間を追い払えていればよかった。そもそもあの日、君とノヴァだけで神殿に行かせなければよかったんだ」

「ニゲルは悪くないよ。ちゃんと待ってなくてごめんね」


 禁書に後ろからささやかれたかもしれないけれど、ノヴァを連れて先に神殿に向かったのはわたしだ。少しくらい待って、ニゲルと一緒に行けばよかったのに。

 いけなかったのはわたしなのに、ニゲルは首を横に振る。


「あの日、君が屋敷の結界を抜けたことにはすぐ気がついた。だが今まで人間たちが神殿や屋敷に近づいてくることはなかったし、屋敷から神殿までの道は何度も君と歩いていたから、着替えを中断せずにゆっくり追いかけたんだ。服などどうでもいいから急げばよかったと後悔している」


「……ニゲルは悪くないよ」


 もう一度同じ台詞を口にしたけれど、ニゲルはまた首を横に振った。

 紡ぐべき言葉に迷う。わたしがどれだけ否定しても、今の彼には響かないような気がして。


 願いに〝ニゲルの命ある限り〟とつけたから、ひょっとしたら長命な彼と同じ時間を生きられるんじゃないかって伝えてみたかったけれど、それもためらわれて。


 黙って抱きしめ返し、ニゲルの胸に顔をうずめる。彼の呼吸の音、心臓の音、それしか聞こえない。

 しばらくそうしていたけれど、確認しておきたいことがあったので、わたしは顔を上げた。


「ねえニゲル、ノヴァは地下室でのことを覚えてるの?」

「どうだろう。話を聞いても〝くろいおばけがこわかった〟としか言わなくてな……あの場にいた者の姿も思い出せないようだったし、若干記憶が曖昧になっているんだと思う」

「そっか」


 少しホッとした。

 殺されかけたことなんて、ノヴァには忘れてほしい。もし覚えていたとしても、悪い夢ということにしてくれたらいい。

 ニゲルがわたしを見下し、頬に手を添えてくる。


「何が起きたか知っているのなら、もう一つ話しておきたい。俺が地下室に降りた時点でノヴァの傷は癒えていたから、マレとオルドにはノヴァの怪我を伝えていない。ノヴァの体についていた血は屋敷に戻る前に洗い流したよ」

「……二人が気にするから?」

「ああ。君がノヴァを救うために禁書を開いたことには推測がついた。だがそのまま二人に告げれば、二人は君の呪いを消すことを願いそうだったから伏せたんだ」

「うん、わかった。わたしも内緒にするね」

「禁書はもう手元にないが……ステラが構わないなら、そうしてくれると助かる」


 ニゲルがほっと息を吐き、微笑を浮かべる。

 彼がわたしの記憶喪失の原因について隠そうとしていたのは、マレとオルドのためだったのかな。

 二人が何か願ってしまわないように。

 二人を禁書から守るために。


「あとは……禁書はどこに行ったのかな」


 あのとき、わたしは禁書を放り投げた。誰にも見つけられないどこかに消えてしまえと願って。

 もう思い出せないけれど、禁書を投げたあの瞬間だけは、わたしは禁書を誰にも見つからない場所に隠す方法を知っていた。

 でも具体的にどこに行ったのかはわからない。


「さあ、どこだろうね。大海の底か、地底深くか。生き物がそうそう近づけない場所であることを祈るよ」

「うん……でも、禁書の意思で移動するかもしれないんだよね」


 神殿にいたわたしのもとに現れたように。百五十年前にここに来たように。


「龍にしても、人の子にしても、欲は尽きないからね。絶対に大丈夫だと断言はできないな」

「うん」

「ただ少なくとも、今日の人間たちにはきっと見つけられないよ」

「どうして?」

「彼ら自身に願いがないからだ。神殿でも禁書は彼らには反応しなかった」

「そっか」


 じゃあ、少しは安心してもいいんだろうか。

 見つからない本を探し続けるなんて、ちょっと可愛そうな気もするけれど。


 禁書なんか別の世界に行っちゃえとでも考えればよかったのかな。

 でも、それだと禁書が移動した先の世界の人達が困るかもしれない。

 禁書を消滅させてしまえればよかった? でもそれだと、隠すな出せと詰め寄られて困ったと思う。


 どうするのが一番良かったのかなんて、いまさら考えても遅いのだけど、ついぐるぐると考えてしまう。

 眉を寄せていたら、ニゲルがわたしの眉間を優しくつついた。


「ステラ、今日はここまでにしよう。そろそろ寝なさい。元気になったら、ステラが見た記憶のことや、今後の儀式のやり方、諸々ゆっくり話そう。プルウィアも次の儀式に合わせて帰ってくると言っていたよ」

「うん……おやすみ」

「おやすみ」


 またベッドに横になると、ニゲルも隣に転がった。

 次に目覚めたときには熱が引いていたらいいな。わたしも、見た記憶の話を聞いてほしい。

 そんなことを考えながら目を閉じたけれど、なかなか眠気がやってこない。体勢を変えてみたり、まぶたをぎゅっと閉じてから力をゆるめてみたり、眠れ眠れと念じてみたりしたけれど、全然だめだ。


 ため息をついてから目を開けたら、ニゲルがわたしをじっと見ていることに気がついて、喉がひゅっと鳴った。

 さっき変な顔をしなかったっけ? 目をぎゅっと閉じたとき、どっちを向いてたっけな!?


「えっ、あっ、今の見てた!?」


 つい大きな声を出してしまって咳き込んだ。

 表情を笑みの形に崩したニゲルが、肩を震わせながらわたしの背中をさすってくれる。


「大丈夫か?」

「う、うん……」

「それで、見ていたかという質問は、君がごろごろ転がっていたことか、難しい顔で目の間にシワを寄せていたことか、それとも」

「ぜっ全部!」


 彼の口を片手でふさぎ、もう片方の手で毛布をぎゅうと握りしめた。わたしがまた咳き込むと、声を上げて笑い始めたニゲルが、また背中をさすってくれる。


「記憶を失っても、新たな呪いを受けても、ステラはステラだな」

「なにそれ、どういう意味?」

「言葉以上の意味も他意もないよ。強いて言うなら、俺はとんでもなく大物な女の子を奥さんにしたんだろうな、と思ったかな」

「……? それ、褒めてる?」

「もちろん」


 うーん? じゃあ、いっか?

 よくわからないけど、褒められているならいいことにしよう。


 ニゲルの手がわたしの頭をやわらかくなでる。いつもは温かく感じる手が冷たく思えるのは、わたしの体温が上がっているからなんだろう。

 でも優しい動きのくすぐったさはいつもと変わらない。

 そのことになんだかほっとして、ふわふわした気持ちに包まれるみたいに眠りに落ちた。








(終)





***


読んでくださってありがとうございました。

ここまでを1章にしてもっと続けるかだいぶ迷いましたが、元々の予定どおりにおしまいにします。

もし少しでも楽しんでいただけましたら、少し下にスクロールして、お星様をいただけるととても喜びます。

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