16. わたしじゃない誰かの記憶
開かれたページから光が流れ込んできたかと思うと、いろんな映像や言葉が頭の中を駆け抜けていった。
最初は忘れていた自分の記憶かと思ったけれど、そうじゃないことはすぐにわかった。
ニゲルの姿が今よりちょっと若かったり、お屋敷で働いている龍に見覚えがなかったりしたからだ。
過去の巫女たちの思い出が入れ代わり立ち代わり浮かんでは消えていく。断片的な上にめまぐるしくて理解が追いつかない。
『一年半の我慢よ。そうすれば私は自由になれる』
『どうしてあたしが巫女なのかしら』
『国にいても、ここにいても、結局どこにも出られないのね』
『なんにもない場所。早く帰りたいな』
複数の女の子のぼやきが流れていく。
何かを諦めているような弱い声ばかりだった。
みんなニゲルを見るとビクッと体を縮こまらせるので、そのたびムッとした。
あんなにかっこいいひと他にいないのに、何が怖いっていうんだろう。
巫女たちの記憶だから、鏡でもなければ巫女たち自身の姿は見えない。
でも自分を見下ろしたときの印象や声の違いから、片手じゃ足りないくらいの人数は見たと思う。
〈誰モ来ナイ。モット強ク呼ブ〉
退屈そうな声が聞こえたかと思うと、
『――逃げ出したい』
続けて別の誰かの声が強く響いた。
『儀式のためだけに育てられた私は、儀式が終われば用済み。適当なところに嫁がせるって言われたけど、そんなの嫌』
月のない夜に、寝巻き姿の女の子が離れを抜け出すのが見えた。結界をするりと抜けて、森の中を走っていく。
すらりと背の高い女の子だ。長い髪を肩の上で二つに分けて結んでいる。
彼女が先代の巫女かな?
森の中は真っ暗なのに、根や石に足を取られることもなければ迷うこともなく、彼女は神殿にたどり着き、地下室を降りていった。
――あれ?
何か変だ。
さっきまでは巫女の記憶を見ていたから、巫女自身の姿は見えなかった。
なのに今は彼女より少し上から女の子を見下ろしている。
ニゲルじゃない。だって彼は、見に行ったけど誰もいなかったと言っていた。
マレやオルドでもない。ふたりとも、ニゲルと一緒に森を探し回ったと言っていた。
ノヴァじゃない。前の巫女がいたとき、ノヴァはまだ産まれていない。
プルウィアでもないと思う。プルウィアなら、黙っていないで声をかけるはずだから。
じゃあ、これは誰の記憶なんだろう。
お屋敷から神殿までずっと女の子を追いかけているのに、彼女はこの記憶の持ち主に気がつく様子もない。
彼女を見つめていたのは、誰?
『どこでもいい。私を知る人のいない、ここじゃないどこかに行きたい!』
そんな声とともに禁書が開かれた瞬間、急にまばゆい場所に出た。
砂で作られた家が立ち並ぶ明るい街。さっきまで夜だったはずなのに、太陽が空高くにあった。
『ここはどこ……?』
視点が寝巻き姿の女の子に移動した。
街を歩く人たちの肌はみんな褐色。
訝しげな視線ばかり向けられ、女の子は憲兵らしき人たちに捕まってしまった。
大人の男性たちに取り囲まれ、武器を向けられた。
何かを問われているのに、言葉がわからないから答えられない。
怖くて怖くて震えることしかできない。
薄暗い牢屋に入れられた。
食事は定期的に出してもらえたけれど、何を食べても何を飲んでも味が分からない。
食事にすら心が休まらなくて発狂しそうになっていた。
何日も経ってようやく彼女の言葉を理解できる人が見つかった。『どこから、どうやって現れたのか』を問われた彼女は、『本を開いたらここにいた』と言って泣き出した。
彼女の言葉が通訳されたとたんに周囲がざわめく。
その後も質問攻めにあった女の子は、自分が龍のもとにいた巫女だということも話してしまった。
〈種ハ
別の声がしたかと思ったら、一瞬で情景が入れ替わる。
今度は屋敷のダイニングだった。ニゲルとわたしが食事をしている光景を、天井のあたりから見下ろしている。
この記憶もわたしのものじゃない。だってわたし自身の姿が見えている。
ニゲルもわたしも上に注意を向けることなく談笑していた。
マレが入ってきて、スープで満たされた二つの器を魔法で浮かせながら運ぶ。でも彼女も天井に目を向けない。
『すてらさま、あーしょーぼー!』
廊下から飛び込んできたノヴァが、マレのそばを通りすぎる。
そのとたん、器の一つがふわっと浮かんで、ニゲルの胸にスープをぶちまけた。
『申し訳ございません! ニゲレオス様、大丈夫ですか!?』
『ああ、問題ない。気にするな』
『ノヴァ、食事中に勢いよく飛んじゃだめでしょうっ!』
『うあああん!!』
マレに叱られたノヴァが大声で泣き出し、わたしに抱きついた。わたしは苦笑してノヴァの頭をなでている。
――違う、今のはノヴァじゃない。
ノヴァは器に当たっていない。器が勝手に動いたように見えた。
ひととおり食べ終えたニゲルが立ち上がり、「儀式の前に着替えるから待っていてくれ」とダイニングを出ていった。
マレも彼を追って出ていったので、部屋にはわたしとノヴァが残される。
記憶の持ち主がわたしの背後にゆっくりと移動した。
でもわたしは記憶の持ち主に気づくことなく、泣きやまないノヴァの背中をさすっていた。
〈……オイデ〉
甘い声がささやかれる。
背筋を冷たいものが駆け抜けていき、肌が泡立った。でも〝過去のわたし〟は声に気づいていない。
『あっそうだ、ノヴァ。また一緒に神殿のお掃除をしない?』
『……おしょーじ?』
『うん、二人で神殿をピカピカにしよう。そしたらマレも褒めてくれるかも』
『おしょーじ、する……』
『じゃあ行こう!』
過去のわたしがノヴァを連れて駆け出していく。記憶の持ち主もわたしにくっついて屋敷を出た。
屋敷の結界と森を抜けて神殿へ。
だめだよって叫んでも、過去のわたしには届かない。
わたしが神殿の結界に穴を開け、わたしとノヴァが結界を抜けた直後、強い突風が吹いた。
『うひゃあっ』
『ノヴァ、大丈夫!?』
風にあおられたノヴァを、わたしが追いかけていく。
その隙に、開けっ放しの結界の穴から黒い人影が入り込んだ。
その人は黒い頭巾で顔を隠している。服も靴も真っ黒な人物は、さっき神殿に現れた女性と同じような体型をしていた。
過去のわたしは隠れた人影に気づくことなく結界を閉じ直し、ノヴァと仲良く手遊びをしながら地下室へと降りていく。少し遅れて、刃物を手にした人物が続いた。
――やだ。
怖い。この続きを見たくない。
目を閉じても頭の中に流れ込んでくる映像は止まらず、階段を降りていくわたしたちを映し続けている。
わたしとノヴァは地下室の棚に立てかけてあった箒を手に、階段を登り始める。
折り返しの踊り場で、黒ずくめの人物と鉢合わせした。
『きゃっ、あなた誰?』
目を丸くしたわたしに、侵入者が短刀を向ける。
わたしもノヴァもにぶく光る刃を見下ろし、びくりと体を硬直させた。
『禁書はどこだ?』
『えっ……と』
わたしの目が泳ぎ、背後の地下室をちらと見る。顔を隠した誰かも地下室に顔を向け、『そこか』と小さくこぼした。
『どけ』
侵入者が短刀をふるう。とたんに小さなノヴァの体からたくさんの血が吹き出した。
『ノヴァ!』
落ちていくノヴァにわたしが手を伸ばす。その背に深々と短刀が突き立てられた。
侵入者は短刀を離さない。わたしの体だけがずるりと抜けて、赤い液体を散らしながら階段を転がり落ちていった。
〈……フフッ〉
誰かの笑い声がする。
血まみれで床に転がったノヴァはピクリとも動かない。
棚の上の箱から現れた禁書が、倒れたわたしのすぐそばに寄っていく。
〈
『……ノ……ヴァ、を……助け……て』
水音混じりの細い声を絞り出したわたしが禁書を開くやいなや、突風が巻き起こって黒ずくめの人間を階段から押し出した。
ノヴァの体から傷が消えていき、尻尾がピクリと動く。
一方わたしの手は力を失って床に落ち、地下室を照らしていた魔法の明かりが消えた。
真っ暗な地下室に光が戻ったのは、少ししてからのことだった。
『ステラ! ノヴァ!』
真っ青な顔をしたニゲルが階段を駆け下りてきて、わたしを抱き起こす。
目を閉じたわたしは身動き一つせず、だらんと腕をたらしていた。
ニゲルの手から放たれた魔法の光がわたしとノヴァを包み込む。
ノヴァは身じろぎしたけれど、わたしは何度呼びかけられても揺すられても反応を示さない。ただニゲルの服に赤いシミが広がっていった。
抱きしめられたわたしの肌は真っ白。息をしているのかどうかもわからない。
『ステラ! 頼む、目を開けてくれ……!』
魔法で傷を消すことはできないとプルウィアが言っていた。
自己治癒力を高めるだけだから、本人の力でどうにもならない大怪我や大病は治せないって。
だから、たぶん、このときのわたしには自分の傷を治す力なんて残っていなかったんだろう。
〈
禁書がニゲルに問う。眉を寄せた彼は強く唇を噛み、わたしを抱く腕に力を込めた。
ごめんね、ニゲル。
わたしが願えばよかった。
〝ノヴァを〟ではなく、〝わたしとノヴァを〟助けてって。
そうしたら、呪いを受けるのはわたし一人だけでよかったはずなのに。
『ステラを救ってくれ!』
ニゲルが禁書に手を伸ばす。
また誰かが笑った気配がした。
映像が再び切り替わり、屋敷の書庫に変わる。
わたしとプルウィアが書庫の奥の扉を開け、禁書にニゲルに止められるのを、記憶の持ち主は書庫の中でじっと見ていた。
〈呼ンダノニ、邪魔サレタ。次ハ、迎エニ行ク〉
頭に流れ込んだ映像はそこまでだった。
禁書から放たれていた光は消え、しんと闇が落ちてくる。
「……どうして、そんなに願わせたいの」
ぽつりともらした問いに、禁書は答えてくれない。
記憶の中ではぎこちない言葉を発していたから、もしかしたら答えてくれているのかもしれないけれど、わたしには聞こえない。
こんなもの、なくなってしまえばいいのに。
禁書を強く握るのとほぼ同時に、外に続く扉がゆっくりと開いた。
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