15. くろいおばけ(2)
突然現れた人物は、全身に闇をまとっていた。
黒いブーツ、黒いズボン、黒い上着。黒い頭巾まで被っていて、顔がわからない。でもすらりとした立ち姿と狭い肩幅から、女性のような印象を受けた。
ニゲルの純粋な黒とは違う、夜の暗さともまた別の、そら寒さを感じる闇色だ。構えられた剣だけが銀と赤という別の色彩を放っている。
「ニゲル、怪我したの!?」
わたしの位置から傷は見えない。でも剣に血がついているということは、斬られたのは彼に違いない。
怪我の様子を見ようと足を前に出したけれど、ニゲルの体が動いてわたしの進路をふさいだ。
「ステラ、頭を下げて」
わたしの周りをニゲルの長い体がぐるりと取り囲み、彼の尻尾に頭を押し下げられた。守ってくれようとしているのはわかるけれど、これじゃあ彼が動けない。
少しの魔法を使うだけでも辛そうだったのに、どうすればいいんだろう?
プルウィアは? すぐに戻ると言っていたけれど、いつ戻ってくるんだろう?
それに、彼女が張ってくれたはずの結界はどうなったんだろう?
周りの様子が見えないせいで結界を確認できない。でも禁書が神殿に現れたということは、書庫で禁書を見つけたときと同じように結界を消されてしまったんだろうか。
「禁書を渡せ」
低いけれど女性だとわかる声だった。全く感情が乗っていない事務的な声音だ。
禁書はまだニゲルのそばに浮いている。あんなもの持っていってくれていい。だから、これ以上ニゲルを傷つけないでほしい。
彼の荒い呼吸に合わせ、ニゲルの胴体が膨らんだりしぼんだりしているので、見ているだけで心臓がきゅうとなる。
「この儀式は、人間にとっても必要な、ものだろう……神殿で剣を取ってまで、君は何を願う?」
「我らは道具だ。道具に願いなどない」
……〝
そろりと顔を上げ、周囲に目を向けてみる。いつの間にか黒ずくめの人間に囲まれていた。皆一様に弓や剣を構えている。
体を縮こまらせたわたしを、ニゲルがまたぐいと押し下げた。再び女の人の声しか聞こえなくなる。
「儀式など本当は不要なのだろう。先代の巫女は儀式を放り出して逃げ出したが、何も起きなかったではないか」
「違うよ! それはニゲルが一人で儀式をしてくれたから――っ」
立ち上がりかけたけれど、ニゲルの尻尾に塞がれた。
「……では、君たちの主は、禁書をどうする気だ」
「そんなこと、道具に知らされはしない」
女性の言葉はにべもない。小さくため息をついたニゲルが、頭を横に振る。
「どう使われるかわからないなら、渡すわけにはいかない」
彼の言葉と同時に、わたしの胴体に魔法の光が巻き付く。きゃ、と息がもれたのは体が浮き上がってからだった。
視界がぐるりと回転したかと思うと、真っ暗な場所に放り込まれた。
冷たく静かな場所。そこが地下室に続く階段だという理解はあとから追いついてくる。
地下室と神殿を繋ぐ扉は閉じられ、外の明かりどころか音すらも入ってこない。
「開けて! ねえ、ニゲル!!」
叫んだ声だけが反響する。
やみくもにあちこち手を伸ばしていると、冷たく固い扉に触れた。握った拳で叩いてみても、痛いだけで扉は揺れすらしない。
わたしがニゲルのそばにいたって邪魔なだけ。それはわかってる。わかっているけれど、状況が何も見えなくなってしまったことに不安で押しつぶされそうだった。
震えが止まらない。乾ききっていない髪や服が冷たいせいなのか、怖いからなのか、どちらなんだろう。
どうしよう。どうしたらニゲルを助けられる? わたしには魔法も使えない上に戦うような力もない。でもここで待っているだけなんて嫌だ。
――そうだ、禁書は!?
禁書があればどうにかなるかも!
あたりを見回しても暗がりでは何も見つけられない。階段のあちこちを触れ回ってみたけれど、手に当たるものは固い床か壁ばかりだ。
ニゲルは禁書を地下室に放り込んではくれなかったのかな。たぶんそうだ。でも――っ。
両手を胸の前で組んで、強く握る。
さっき禁書が神殿に現れたのはどうしてだった? わたしが魔法の使い方を思い出したいと強く願ったからじゃないの?
わからない。違うかもしれない。でも今のわたしにできることなんて、その考えを試してみること以外に思いつかない。
何を願えばいいだろう。
黒装束のひとたちを追い払ってほしい? だめ、一度だけ追い払っても禁書がある限りまた来ちゃう。
禁書にいなくなってもらう? でもそれが叶ったとして、もう禁書はないってあのひとたちに証明するのが難しい。
もし魔法の使い方を思い出せたら、わたしにも何かできるかな? だけど大した魔法が使えなかったらどうにもならない。
早く決めなきゃと思うのに、気持ちばかりが
『手段の一つを願うべきではないよ。なぜならその手段は、必ずしも真の望みを叶えてくれるとは限らないのだから』
ふと、ニゲルの言葉を思い出した。
もしかして、さっきまでわたしが考えていた案は全て手段だったかな。
わたしの真の望みはニゲルを助けたいってことだ。そしてそれは今だけじゃない。この先もずっと。できれば禁書に頼るのはこの一度きりにしたい。
どうせ願うなら、ついでに記憶も返してほしいな。
「……決めた」
胸の前で組んだ手を握り直し、強く祈る。
お願い、来て。
今なら迷わずあなたを開くから!
〈
待ち焦がれた声が耳元で響いた。
あたりは闇に包まれているのに、禁書だけが浮き上がって見える。本自体が発光しているようにも、禁書だけが別の空間にいるようにも思えた。
強く脈打つ胸を押さえ、息を吐く。
……大丈夫。覚悟はもう決まってる。呪いなんて怖くない。だって本当に怖いのは彼を失うことだから。
息を吸って、禁書を強くつかむ。
「ニゲルの命ある限り、彼のためなら何でもできる力と、記憶を、わたしにちょうだい!」
勢いよく開くと、禁書が強く光った。
クリーム色の紙にはたった一行の文字が
〈
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