11. 二人っきりのプラネタリウム


 夕食だと呼ばれてダイニングに行くと、ニゲルは先に席についていた。わたしが座ってからすぐにプルウィアも姿を見せ、今は三人で食卓を囲んでいる。

 プルウィアは平常時と変わらないように見えた。でも外の雨は強まったり弱まったりと安定しない。


 テーブルには湯気の立ち上る美味しそうな料理が並んでいて、見ているだけで口の中がよだれであふれそうだ。お肉料理も楽しみだけれど、最初に食べたいのはやっぱりやわらかそうなパンだった。

 いただきますと声を上げ、パンに手を伸ばす。ダイニングテーブルの上に夕食の配膳を終えたマレが、ニゲルのそばに寄っていった。


「失礼させていただく前に、ニゲレオス様に折り入ってお願いがこざいます」


 わたしと同じようにパンに手を伸ばしかけていたニゲルが、動きを止めてマレを見下ろす。


「何だ?」

「食事を終えられましたら、ステラ様とゆっくりお話をしていただきたく」

「……何かあったか?」


 ニゲルが首をかしげ、わたしに視線を送ってくる。特に何にも思い当たらなかったから、わたしも首を傾けることでそれに返した。


「実はニゲレオス様の留守中に、ステラ様が書庫にいらっしゃいまして」

「えっ」

「え!?」


 ニゲルだけでなく、プルウィアもぎょっと目を見開いてわたしを見る。さすが兄妹、丸くなった目の形も口の半開き具合も、すごくよく似ていた。


「あのねっ、禁書に負けない強い子になろうと思って!」

「その発想どっからきたの!?」

「えっとね」


 さっきマレとオルドに話したのと同じように説明しかけて、そういえばオルドに「もう少し手前から説明をお願いします」と言われたなあと思い出して、唇が止まった。どこから話せばいいんだっけな?

 マレが息を大きく吸い込んで、両手を自分の腰に当てた。


「私から多くは語りません、が! ご夫婦なのですから、お二人にはまずお互いと話をしてから行動していただきたいのです」


 目を丸くしたニゲルがマレに顔を向け直す。


「お二人には、ということは……俺もか?」

「はい」

「いや――」

「ニゲレオス様もです」

「……うん、善処しよう」


 マレの有無を言わせない物言いに、ニゲルがちょっとだけ身を引いた。


 そんなわけで、食後はすぐにニゲルと二人で部屋に戻った。

 ニゲルが魔法で明かりをつけてくれたから部屋は暗くないけれど、外は天気が悪いせいかもう闇が広がっている。


「えっと……」


 改めて話をしてほしいと言われると、逆にどうしていいかわからない。

 広いベッドの端に腰を下ろし、手持ち無沙汰をごまかすように足を揺らしていたら、ニゲルが隣に身を寄せて座った。

 腕と腕がぴったりくっついて、彼の体温を間近に感じる。わたしの温度に彼の熱が足されたようで、急に心臓がせわしなく跳ね出した。


「明かりを消すよ」

「えっ」


 部屋に闇が降りてきて、明るさに慣れた目には何も映らなくなる。見えないぶん、触れ合った腕や服越しに伝わる体温の存在感が増し、動悸が激しくなった。

 えっえっ明かり? どうして消したの? 今から何するんだっけ!?


 硬直していたら、突然小さな光の粒が空中に生み出された。

 淡く小さな光は、浮き上がりながら何度も分裂して増え、天井あたりでピタリと止まる。

 部屋の中に美しい星空が描かれ、「わぁ」という言葉が口からもれた。


「きれい。……きれいだけど、これなあに?」

「君とゆっくり話すときはいつも星を見ていたんだが、今は雨だから、代わり。いらなかったか?」

「いらなくはないけど、明かりを消す前に説明してほしい」

「ああ、ごめん」


 マレに言われたのもそういうとこだよ。

 なんだか拍子抜けして、ベッドに背中から倒れ込んだ。やわらかな抵抗が下から押し返してくる。

 なーんだ。動揺したわたしがばかみたい。

 まあ、夫婦って言ってもキスもまだって話だったもんね。なにかあるわけないよね。


 転がって偽星をぼんやり眺めていたら、ニゲルもわたしの隣に寝そべった。

 

「本物の美しさには敵わないけど、今日はこれで我慢してくれ。厚い雲を突っ切るわけにもいかないし」

「えっ行きたい!」


 ばっと体を起こし、ニゲルを見下ろす。暗さに目が慣れたのか、彼の目がわたしに向けられたのもよく見えた。


「寒くて風邪をひくからだめ。晴れた夜なら君を乗せて飛んでもいい」

「厚い雲を抜けるのがいいの! ねえ、お願い」


 よつばいで一歩進み出ると、ニゲルの眉尻が困ったように下がる。


「前に、君がどうしてもというから雨の夜に雲を超えたんだ」

「いいなー」

「そしたら君は案の定、風邪をひいた。だからもう連れて行かない」

「えーっ!」

「そんな顔をしてもだめ」

 

 ふくらませたわたしの頬を、ニゲルの指がつつく。中の空気がぷすっと軽い音を立てて出ていった。


「ちぇー」


 上向きに寝転び直して天井を見上げる。

 本物の美しさには敵わないとニゲルは言ったけれど、魔法の偽星も十分綺麗だ。眺めていると頭の中がしんと静かになって、澄んでいくような気持ちになる。

 ニゲルがわたしに顔を向けてきたので、わたしも寝返りをうって体ごと彼の方を向いた。


「で、ステラ。さっきの〝禁書に負けない強い子になろう〟と思った理由を教えてくれるかい?」

「いいよ。あのね、わたしが強い子だったら、ニゲルもいろいろ話してくれると思ったの」

「なるほど……?」


 大きく開いたまぶたをぱちぱちさせたニゲルは、ぎこちなく視線を天井に移してしばらく考えてから、またわたしと目を合わせた。


「ステラ、俺が君の記憶喪失の経緯について語らないのは、君が強いとか弱いとかそういう話ではないんだ」

「えっ、違うの?」

「うん……わかったよ、こういうことを話さないからマレに怒られるんだな」


 ニゲルの指が伸びてきて、わたしの髪を一房すくいとる。くせの強い髪が頬に触れ、少しくすぐったい。


「俺にとって一番大切なのは君だよ、ステラ。でも、他の皆――君の知る範囲だと、プルウィアやマレ、オルド、ノヴァのことも守りたいと思っている」

「うん」

「俺の知っていることや推測は誰かの心に別の願いを生みそうで、それが禁書に付け入る隙を与えそうで――だから口にするわけにはいかないんだ」

「うん……?」


 どういう意味だろう?

 目を瞬いていたら、「完全に例え話だけど」とニゲルが言い置いた。


「たとえばもし、マレが何かを願って、呪いで両腕が動かなくなったとしよう。好きな料理も、洗濯や掃除も何もできなくなった彼女を見たら、きっとオルドはどうにかしたいと考えるだろう」

「オルドがマレのために呪いを受けたら、今度はまたマレが何かを願うかな?」

「きっとね。願いが呪いをもたらし、その呪いが別の願いを呼ぶという連鎖は、遠い昔に人の国で起きたそうだよ。禁書について調べていたときに人づてに聞いただけだから、どこまで正確な話かはわからないが」

「ふうん」


 わかったような、わからないような。

 寝転がったまま腕を組み、うーんとうなる。ニゲルが話してくれない理由はわかった気がするけれど、なんだかモヤモヤする。

 どうして胸に何かがつっかえたような気持ちになるんだろう。結局何も教えてもらえなかったから? ……それもなくはないけど、何か違う気がする。


 ――手段の一つを願うべきではないよ。なぜならその手段は、必ずしも真の望みを叶えてくれるとは限らないのだから。


 ふとニゲルの言葉を思い出した。彼がプルウィアに語っていたみたいに考えてみようかな。

 たとえばもし、ニゲルが全部話してくれても、「話したのだからもう何もしないでくれ」と言われたら嫌だ。

 それはなんでかっていうと、ええと……。


「ねえニゲル。わたしは、ニゲルが一人で頑張ってるみたいで嫌だな。夫婦って助け合うものでしょ? わたしにできることは何かない?」


 そっか、わかった。話してほしかったのは、ニゲルの力になりたかったからだ。

 最初に思い浮かべた願いが真の望みとは限らないと、ニゲルが言っていた意味が少しだけわかった。

 自分の望みを考えるのは、簡単そうで意外と難しい。プルウィアがすぐに結論を出せないでいるのは、わたしには想像できないくらいたくさんのことを考えているなのかもしれない。


「ステラ……」


 目を丸くしたニゲルがすぐに真剣な表情になって、わたしの肩をつかんだ。


「そう思ってくれるのなら、頼むから、禁書に近づくような真似はやめてくれないか」

「あ、うん」

「それからできれば普通のテンションでいてくれ。君の〝やる気モード〟は時々盛大に空回るから……」

「ええ? 何それー!」


 わたしの肩から手を離し、ニゲルが遠い目をした。


「たとえば、人間のおやつを作ると言ってキッチンを水浸しにしたり、庭の草むしりをすると言ってボヤ騒ぎを起こしたりね」

「いくらわたしでもそんなことしないよ」

「君が忘れてしまっていても、俺たちは覚えているよ」

「ええー?」


 本当にそんなことしたのかな? おやつを作ろうとしてキッチンが水浸しになるってどういう状況? いくらなんでも冗談じゃない?

 でもそういえば、マレにも『そんなに張り切らないでください』と言われたような……。


「いや、いいんだ。平時なら君の自由にしてくれて構わない。だが禁書は危ないから、本当に近づかないでくれ」

「わかったよう」


 ぶうとむくれていたら、ニゲルが「そうだ、ステラにはプルウィアの相談相手になってやってほしい」と取ってつけたような言い方で仕事をくれたので、わたしの頬はますます膨らんだのだった。

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