10. 夢うつつ(2)


 ベッドの端に腰を下ろし、ニゲルが出ていった窓をぼんやり眺める。木々にさえぎられ、森の奥の様子はわからない。ただ手前の木々と雨が目に映るだけだ。


「うーん……」


 ニゲルに流されて頷いてしまったけれど、どうして見回り?

 彼が何を考えているのかわからない。全部忘れてしまった私とニゲルでは、知っていることの量に大きな差がある。だから彼の行動の意図がわからないのかな。


 さっきニゲルは何かを言いかけてやめてしまったけれど、何を言おうとしたんだろう。どうして言ってくれなかったんだろう。

 もしかして、わたしが怖い夢に怯えていたから?

 たとえばもしノヴァが何かに怯えていたら、わたしだって話す前にちょっとは考える。本当のことでも、ノヴァが怖がりそうならきっと言わない。

 それと同じかな?


 ――じゃあ、わたしがもっと頼りになる強い子だったら、ニゲルは話してくれる?


「よし!」


 ぴょんとベッドから飛び降りて、部屋を出た。夢を思い出すとまだちょっと怖いけれど、負けるもんか。

 足が重く感じるぶん、あえて駆け足になる。

 書庫の前の廊下には壊れた扉が置かれていた。木枠の前でオルドとマレが難しい顔をしていて、二人のそばではノヴァが積み木で遊んでいる。


「やはり鍵穴の修理は無理だな。このあたりに新しく鍵をつけ直すしかないんじゃないか」

「扉も丈夫なものに替えますかねえ」


 さっきプルウィアが蹴破った木の扉は、支柱部分が折れ、全体がゆるやかなくの字に曲がっている。壁側の鍵穴も割れてしまっていた。


「ステラさま!」


 最初にわたしに気づいたノヴァが、ぱっと笑顔になって飛んでくる。わたしの肩の上いつもの定位置にちょんと乗った。


「ステラ様、どうしてこちらに?」

「書庫には近づかれないほうがよろしいのでは」


 マレとオルドもこちらに駆けてきて、わたしの前を塞ぐ。わたしは両手をぐっと握り、二人を見下ろした。


「うん、あのね。負けないぞって宣言しようと思って!」

「……はい?」

「……なんですと?」


 目を丸くして固まった二人の間をすり抜け、書庫に入る。


「あっ、ステラ様!?」

「大丈夫だよ!」

「何がですか!?」


 ちょっとドキドキするけれど、うん、大丈夫。

 書庫の奥の扉を勢いよく開け放ち、禁書の入った箱に目を向ける。結界なしに向き合えたほうがかっこいいなって思うけど、結界は開けられないからここまでだ。

 片手を腰に当て、もう片方の手で禁書の箱をまっすぐに指さした。


「絶対、負けないんだからねっ!!」


 その台詞をわたしが言い終える前に、後ろから光の粒がたくさん飛んできて目の前の扉を閉める。慌てた様子で飛んできたマレとオルドが前に降り立って、わたしのおなかをぐいぐい押してきた。


「ステラ様、とりあえず出てくださいな」

「えー、まだ途中」

「廊下でお話をうかがいますので、ニゲレオス様が隣にいない時に突飛な行動は慎んでいただけますか」

「突飛じゃないもん」

「いいから出てください」

 

 二人に押し出されるように廊下に戻る。

 わたしの肩を離れて「のあもやるー!」と奥の扉に手をかけたノヴァも、マレの魔法でぐるぐる巻きにして連れ出された。

 壊れた扉が木枠のところに立てかけられ、書庫を隠す。廊下の端までわたしを押しやったマレが、不満げな顔のノヴァを抱いた。


「ママー、のあもまけないぞしたいよー」


 マレの腕の中ではノヴァが暴れている。オルドに「このとおり、ノヴァが何でも真似したがるので禁書に近づかないでください」と叱られてちょっと反省した。


「うん、ごめん。ノヴァのいないときにやるね」

「言葉を間違えました。ノヴァがいてもいなくても駄目です。ニゲレオス様はどちらに?」

「ニゲルは見回りをしてくるって外に行ったよ」

「……、そうでございますか」


 マレとオルドが一瞬遠い目をして、それからなぜだか気合を入れた顔をして、わたしを見上げてくる。


「で、急にどうされたんです?」


 口を開いたのはマレだった。


「あのね。さっきは不意打ちにびっくりしちゃったけど、気合を入れていけば大丈夫なんじゃないかと思って!」

「……申し訳ありませんが、もう少し手前から説明をお願いします」


 オルドが眉間にしわを寄せる。

 手前? 手前ってなんだろう? もっと前から説明してってことだから、ええと。


「ニゲルがわたしに相談してくれないのは、わたしが頼りないからなんじゃないかと思って」

「……それで?」

「わたしが禁書に負けない強い子だったら、もっと話してくれるかなって思ったの」

「……はあ」

「でね、負けないってなんだかよく分からなかったけど、とりあえず気合を入れに来たんだ」


 マレとオルドは、無言で難しい顔を見合わせる。伝わらなかったかな? でも、他にどう説明すればいいんだろう?

 ノヴァがマレの腕を抜け出して、わたしの肩の上に戻ってくる。


「のあもきあいするー」

「うん、一緒に頑張ろうね」

「きあーい」

「おー!」


 ノヴァの小さな手のひらに、人差し指をちょんと合わせる。ノヴァは〝気合〟の意味をわかっているんだろうか? ……ま、いっか。


「そういえば三人は書庫にいても平気なの?」

「え? ええ、大丈夫ですよ」


 マレがわたしに視線を戻す。

 オルドなんてずっと書庫で掃除をしていたし、マレもノヴァも書庫の前にいてもいつもどおりだった。わたしも同じようになれるかな?


「私たちの望むものは、ここにありますから」


 マレがノヴァとオルドを順に見上げ、やわらかく笑う。気難しい顔をしていることが多いオルドの表情もふわっとゆるんで、見ていたわたしも心があたたかくなった。なんだか幸せを分けてもらったみたいな気分だ。


「ステラ様も、これまでは禁書の置かれた部屋でも平然としておられましたし、さっきのはプルウィア様に引きずられただけだと思いますよ」

「あれ? そうなの??」


 マレもオルドも、わたしを見上げてうなずく。

 でもわたしの記憶喪失は禁書の呪いのせいなんだよね? 二人はそれを知らないってこと? わたしが何か勘違いをしてる? それとも、あの夢みたいなことが本当にあった――?

 ちょっと沈みかけた心を、マレとノヴァの元気な声が引っ張り上げる。


「なので、そんなに張り切らないでください! そろそろご夕食の準備をしますので、出来上がるまでノヴァと子供部屋で遊んできていただけますか?」

「のあ、あしょぶ!」


 目を輝かせたノヴァがぴょんと飛び上がり、わたしの頭の上に着地した。オルドも浮き上がってきて、わたしの鼻先に指を突きつける。


「いいですか、ステラ様。仰りたいことはなんとなくはわかりましたが、く、れ、ぐ、れ、も、ニゲレオス様とよくよく話をしてから行動なさってください」

「でも、ニゲルはお出かけ中だよ」

「お帰りを待ちましょう」

「えーっ」

「少しくらいお待ちください! よろしいですね!?」

「はい……」


 オルドの厳しい声に渋々うなずき、わたしの指を引くノヴァの後について廊下を歩き始める。


「一刻も早く扉を修理しなければ……」


 呟きが聞こえて振り返ると、マレとオルドが書庫のほうに戻っていくのが見えた。


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