08. 書庫の奥には(3)


「最初に確認しておきたいのだが、相手は龍か? それとも人間か?」


 真面目な表情を取り戻したニゲルが顔を上げ、手を下ろす。余計なことを言わないように無言でプルウィアに目を向けたら、彼女は頬杖をついて「人間」と小さくこぼした。


「歳は?」

「聞いてないけど、見た目はあたしと同じくらい」

「つまり、十二、三歳くらいだな?」

「たぶん」


 わたしより年下かあ。どんな子なんだろう。プルウィアが好きになって、しかも求婚するくらいなんだから、とっても素敵な子なんだろう。会ってみたい。いつか結婚式を挙げるならぜひ呼んでほしい。

 あれ? 〝大きくなったら結婚しよう〟じゃなくて〝今すぐ〟って言ったんだっけ?


「なるほど」


 ニゲルが大きなため息をついた。


「プルウィア、人間はね、社会通念上、少なくとも十五歳にならないと結婚できないんだよ……」

「なにそれ!?」


 目も口も丸く開いたプルウィアが頬杖を解く。目をぱちぱちさせているし、本当に知らなかったみたいだ。

 逆に考えてみると、龍は十五歳になる前に結婚できるのかな? 歳の取り方に個体差があると言っていたし、十五歳でもう大人の姿になる龍もいるのかもしれない。


「数年なんてすぐだろう。相手が十五歳になるまで待ってやれないか?」

「嫌よ!」


 大きな音を立ててプルウィアが立ち上がる。倒れかけた椅子がぐらぐらと揺れていた。


「だって、だって――人間は簡単に死ぬじゃない!」


 叫ぶような声に、一瞬心臓が止まった気がした。


 わかってる。プルウィアはわたしに言ったわけじゃない。

 でもなんだか、急に未来を突き付けられたような気持ちになった。

 いつかわたしはニゲルを置いて先に死ぬんだって言われた気がした。


「雨を連れているあたしは、ずっと一緒にはいられない。親は農家だって言ってた。あたしが一か所に留まり続けたら、作物がだめになっちゃう」


 ふっと体の力を抜いて、プルウィアが椅子に腰かける。


「待つなんて嫌よ……たまにしか会えない上に、人の寿命は長くはないんだもの」


 静けさが落ちてきて、急に外の雨音が大きくなった気がした。プルウィアは黙ってしまったし、ニゲルもたぶん言葉を探している。彼に視線を向けたら、無言で目だけが返ってきた。

 しばらく無言の時間を過ごしていたけれど、お茶を少し飲んでから、ニゲルがようやく口を開いた。


「一つ聞きたい。禁書を前にして、どんな願いを思い浮かべた?〝想い人と結婚したい〟〝雨と縁を切りたい〟〝想い人が同じ龍であればいいのに〟〝自分も人間になれればいいのに〟――プルウィアが思い描いた願いは何だった?」


 プルウィアはニゲルを見たけれど、答えなかった。


「嫌なら答えなくてもいい。だが、ちゃんと考えなさい。最初に思い浮かべた願いが、必ずしも本当の望みだとは限らないのだから」

「……どういう意味?」

「思い浮かべた願いは本当の望みを叶えるための手段の一つかもしれない、ということだ。例えば〝想い人と結婚したい〟という望みが叶ったとしても、すぐに相手が心変わりしてしまったらどうだ? 意味がないとは思わないか?」


 確かにそうだ。そうだけど、ニゲルが何を言いたいのかつかみきれない。プルウィアも丸くした目を瞬いている。


「手段の一つを願うべきではないよ。なぜならその手段は、必ずしも真の望みを叶えてくれるとは限らないのだから」

兄様あにさまの言葉は〝本当の望みなら禁書に願ってもいい〟と言っているように聞こえるわ」

「いや、そうではない。そうではなくて……禁書に願わなければならないほど不可能に思えることでも、真の望みを叶えるための手段の一つでしかないのなら、実現可能な手段に変えればいい。君の真の望みが何なのか教えてくれ。どうすればいいかを一緒に考えたい」


 ニゲルはプルウィアをまっすぐ見つめている。でもプルウィアはすぐニゲルから視線をそらした。


「少し、一人で考えてみる」

「わかった」


 椅子を降りようとしたプルウィアを、ニゲルが呼び止める。


「もう一つ、プルウィアに確認しておきたい。相手は男か?」

「そうよ」

「男か……なら、理解しておいたほうがいいことがある。人間の子がどうやって産まれるか知っているか?」


 プルウィアが首を傾げた。


「卵を産むんじゃないの?」


 ……おっと?

 そうだった、龍は卵生だ。しかも性別はない。一人で卵を産むということは――あっ!


「いや、人間は胎生生物だから卵は産めない。それで、人間にはオスメスという性別があってだな」

「性別があることくらいは知ってるけど」

「子供を産むには雄と雌がつがいになって、その、床を共にする必要がある」

「一緒に眠ればいいの?」

「…………いや」


 言葉に詰まったニゲルが、わたしに目を向けてきた。困ったように眉尻が下がっている。

 ものすごく嫌な予感がした。


「ステラ、俺はどう説明すればいい……!?」

「わっ、わたしだって詳しくないよ!?」


 プルウィアがきょとんとしてこちらを見た。

 純粋な疑問しか含まれていない視線がつらい。

 見ないで。そんな澄んだ目で見ないで!


兄様あにさま、その知識は必要? いくら人間に化けられると言っても、見た目を真似てるだけで、あたしに人の子なんて産めないわ」

「いや、子を産むために必要なわけではなくて……その、なあ、ステラ」

「どうして説明できないのにその話を始めちゃったの!?」

「心配だったから……」

「わかるよ? わかるけどっ!」


 ニゲルと視線で説明役を押し付け合う。無理だ。そんな唐突に振られたって無理だ。

 ふるふると首を横に振ったら、ニゲルが諦めたようなため息をついた。


「相手はまだ子供だということだし、焦らなくてもいいか。説明は考えておこう。プルウィアもさっきの話を考えてみてほしい」

「うん」


 今度こそプルウィアが椅子を降り、ダイニングの扉に向かう。廊下と部屋の境界を超える直前、彼女は足を止めて振り返った。


兄様あにさま。……鍵を壊してまで書庫に入って、ごめんなさい」


 しょんぼりした声を残して、プルウィアは廊下を駆けていく。

 ニゲルに視線を戻すと、彼は廊下を見つめて優しく笑っていた。


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