08. 書庫の奥には(1)
プルウィアに引きずられるようにして書庫に向かう。
廊下はしんと静かだ。ノアもニゲルも昼寝に行ってしまったし、マレもノヴァを寝かしつけているんだろう。もしかしたら一緒に寝ているかもしれない。
だから屋敷が静かなのは当たり前。なのに雨音だけがよく響く廊下に薄ら寒さを感じた。
「プルウィア、ニゲルが起きてから何があるのか聞いてみようよ。危ないものが置いてあるって言ってたよ」
前を進むプルウィアに何度も声をかけたけれど、振り返りもしない。黙ってわたしの手を引いている。
わたしより小柄なのに力はすごく強くて、引っ張ってもびくともしなかった。握られた手首がズキズキと痛む。
「どうしたの? ねえ、神殿になら付き合うよ。外に行こう?」
「……」
無言で廊下を歩き続ける彼女が急に知らない人に思えて、胸がゾワゾワした。
目の前にいる女の子は本当にプルウィアなんだろうか。わたしは誰に手を引かれているんだろう。
書庫の扉には鍵がかかっていた。
ほっと息をつき、「戻ろうよ」ともう一度声をかける。でも、プルウィアは幼さの残る細い足で扉を蹴破った。
「何事でございますか!?」
中にいたオルドが飛び上がる。床に積まれていた本の山が音を立てて崩れた。
でもオルドにも本の山にも目を向けず、プルウィアはまっすぐ奥の扉を目指す。
「お待ち下さい、奥の部屋に入ってはなりません!」
オルドが慌てた様子で飛んできて、わたしたちの前を塞ぐ。でも、
「邪魔をしないで!」
プルウィアが片手を水平に
「待ってよプルウィア、どうしたの? やめよう? 奥に何があるのってニゲルに聞けばいいじゃない」
「あたしだって
プルウィアの魔法の光は奥の扉にのび、それを開け放つ。扉の向こうは少しだけ揺らいで見えた。ニゲルの結界だ。
ほっと息をつく。
ニゲルの結界で守られているなら、触れれば彼に伝わる。プルウィアも結界に手を伸ばしかけて、迷うように指をさまよわせた。
「扉、閉じよう? ね?」
手首をプルウィアにつかまれたまま、前に足を踏み出す。わたしは戸を押せばいいはずだったのに、視線が部屋の中のある一点に吸い寄せられた。
こちらを見ろ――と、抗えない何かに命じられたみたいだった。
窓のない狭い小部屋には、本がぎっしり詰まった棚が並んでいる。ある棚の一番上に、鎖を巻き付けられた木箱が置かれていた。
ふわりと木箱が浮かぶ。
見慣れた魔法の光はどこにもないのに、ゆっくり浮き上がった箱がこちらに寄ってくる。
結界を挟んですぐ向こう側に静止した箱の鎖が、音もなく
誰も手を触れていないのに木箱が開き、一冊の本が姿を見せる。真新しい立派な本だ。
〈
耳元で誰かが笑った気がした。
心を絡め取るような、甘くしびれる声だった。
〈
音のある声じゃない。空気は少しも揺れていない。
なのに声の主は浮かんだ本だと本能が告げている。
鋭く研がれた刃を胸元に突きつけられているような気持ちになった。
それなのに一歩踏み出せと誘われる。
わたしの背中に誰かが両手を添えている。
――願エ。
違う、それはわたしの声じゃない。
――願エ。
何かに足首をつかまれた。
底のない沼に引きずり込まれそうな気がした。
暗い
〈
いつの間にか結界は消えていた。わたしと本を隔てるものなんて最初から何もなかったみたいに。
手を伸ばせばいい。ただ本を開けばいい。そうすれば、望みは叶うのだから。
頭の奥が静かに
望めと誰かがささやく。願えと、祈れと、何かに誘われる。
何だろう。
わたしは。
わたしの、願いは。
「――その本に触れるなッ!」
背後からの大声にびくっと肩を跳ね上げる。
わたしとプルウィアの間を光の帯が勢いよく通りすぎた。光は浮かんだ箱に巻き付いて、本を箱の中に押し込める。床に落ちた鎖で箱を巻き、棚の上に押し戻した。
瞬きをしたら扉が閉じていた。自分の手足がひどく冷えていることにようやく気がついて、鳥肌が立ってくる。
「ニゲル……」
振り向いたら安心して涙が浮いてきた。ニゲルは見たことがないほど険しい顔をしているのに。
す巻き状態から解放されたオルドも、ふうと息をついて額の汗をぬぐった。
肺の中の空気をすべて絞り出すような息を吐き出したニゲルが、わたしとプルウィアを順に見る。
「禁書に
プルウィアは青い顔をして自分の腕を抱いていた。
「
「……、場所を変えよう。ついておいで」
わたしたちを見つめたまま廊下に下がったニゲルが手招きをする。動こうとしないプルウィアの背中をそっと押して、書庫を出た。
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