04. 雨に愛された龍(2)



『記憶喪失ってどういうこと?』って聞かれたから、


「記憶喪失っていうのはね、『過去のことを忘れちゃう』ことだよ」

「誰が言葉の意味を説明しろって言ったのよ」


 真面目に説明したのに睨まれた。

 心なしか外の雨も強くなったような気がする。


「忘れたって何を? 兄様あにさまのことは!?」

「えっと……昨日までのことは何も覚えてない」

「嘘でしょ……」


 一瞬ぼうぜんとしたプルウィアが、手を強く握って身を乗り出した。


「巫女の役割は? あんた、儀式はどうするの」

「えっ、うーん、どうしよっか」

「どうしよっか、じゃないわよ! 何をどうしたら兄様あにさまの結界の中で記憶喪失なんてことになるの? まさか一人で森に出たの?」

「ごめん、何も覚えてないんだ」


 プルウィアは口を半開きにして目をパチパチさせてから、ニゲルのほうを向く。


兄様あにさま、何があったの?」


 ニゲルはすぐには答えなかった。ソファに腰かけたまま、足の上で指を組んで、プルウィアを見上げる。


「俺も知らない。俺はただ、倒れたステラを見つけただけだ」

「じゃあ、どこで倒れてたのよ」


 鋭く切り込むようなプルウィアの質問に、ニゲルが何かを答えかけた。でも一度口を閉じて目をそらしてから、またプルウィアを見上げる。


「答える前に、『聞いてすぐにステラを連れてその場に向かうようなことはしない』と約束してくれるかい? プルウィアはともかく、人間であるステラをこんな嵐の中に連れ出すのは危ないから」

「……、約束するわ」

「なら答えよう。神殿だよ」


 ノヴァがぴくりと耳を動かして、不安げにわたしを見上げてくる。神殿は怖いって言ってたもんね。

 笑みを広げて頭をなでてあげると、ノヴァはくすぐったそうに目を閉じてから、わたしの膝の上にあごを乗せなおした。


「神殿のどこ?」

「地下室」

「神殿に地下室なんてあった?」

「小部屋があるよ。今は神殿を掃除するための道具しか置いていないけどね」

「ふうん……?」


 細い指先を唇に当て、プルウィアがわたしに視線を送ってくる。

 何かを求められた気がするけれど、ニゲルの話を聞いてもピンとくるものはない。

 反応に困って首を傾げると、「ヘラっと笑ってんじゃないわよ。他人事じゃないでしょ」と怒られてしまった。


「掃除しようとして階段から落ちたとか、マヌケな話じゃないでしょうね」

「さあ……? あっ、でも、知識のようなものは残ってるから、何かの魔法かなってニゲルと話してたよ」

「魔法? 記憶を消すなんて、魔法じゃ無理よ」


 きっぱり言い切ったプルウィアが腰に手を当てる。


「この世界の魔法は、一言で言えば〝加算〟なの。熱を加える、力を高める、そういうもの。何かを消すなんて、魔法のことわりから外れてるわ」

「でも、怪我や病気を治す魔法はあるよね?」

「あれは本人の自己治癒力を高めて治りを早めているだけ。魔法で消すわけじゃない。だから本人の力で治しきれないほどの大怪我や大病はどうにもならないわ」

「へえー、プルウィアは詳しいねえ」


 そっかあ、魔法は加算。知らなかった。もっといろいろできると思っていたのに。

 小さく拍手をすると、プルウィアはちょっと赤くなってそっぽを向いた。


「別に、これくらいあたしじゃなくても知ってるし。兄様あにさまが教えてくれたことだし――」


 はっとしたように目を大きく開け、プルウィアはニゲルに向き直る。


兄様あにさま、どうして嘘をついたの。記憶喪失は魔法では無理だってことくらい、兄様あにさまならすぐわかるじゃない」

「……」


 ニゲルは無言でプルウィアを見上げたあと、わたしに顔を向けてくる。


「記憶を失って目覚めたばかりのステラにそんな話をしても、混乱させるだけだと思ったんだ。だが嘘は嘘だな。ステラ、ごめん」

「そうなんだ。うん、全然いいよ」


 そう答えると、ニゲルがほっとしたように笑う。綺麗な淡い笑みに、ストンと心を射抜かれた気がした。

 理由を言って謝ってくれたのに、プルウィアはなぜだか「この状況でときめいてんじゃないわよ」と舌打ちをした。


兄様あにさま、質問を変えるわ。ちんちくりんが倒れていたときの状況を詳しく教えて。地下室のどのあたりに、どんなふうに倒れていたの? 他に誰かいた? 何か落ちていたものはない?」


 おおっ、なんだか探偵さんみたいだ。

 わたしより小さく見えるのに、とっても頼もしい。

 あれ? わたしより年上なんだっけ?


「……、それを知ってどうしたい?」

「どうって、気になるじゃない。何か危険があるなら対処しなきゃじゃないの?」

「危険に対処するのは俺の役割だよ」

「なにそれ。あたしには話せないってこと?」

「……そうだな」

「どうしてよ!」


 ニゲルはずっと静かに話しているけれど、プルウィアの声がどんどん剣呑になっていく。


「ま、まあまあ、ケンカしないで……」


 そうっと声をかけてみる。すごい形相で振り返ったプルウィアに両頬をつねられた。


「なんで本人が一番のほほんとしてるわけ!? あんたの話でしょ!?」

「い、いひゃいよー」

「ぷういあさま、いたい、だめー!」

った! 腕を噛まないでよ、ちびっ子!」


 ノヴァがプルウィアの腕にしがみついたことで、わたしの頬は離してもらえた。でも今度はノヴァとプルウィアがケンカを始めてしまった。

 といってもプルウィアの剣幕にノヴァがすぐに泣き出してしまったので、ケンカというのは変かもしれない。


「ぷういあさま、やーだー!!」

「うるさい! ぎゃんぎゃん泣かないで!」

「あーーーーー!!!!」


 うーん、困ったなあ。

 何かこう、二人の気がそれて、しかも機嫌が良くなるような魔法のアイテムはないかなあ。


 そんなことを考えていたらぐうとお腹が鳴った。

 

「あっ、そろそろお昼じゃない? みんなでご飯を食べようよ。ね!」


 我ながらグッドアイデアだ。プルウィアは「ええ……?」と気が抜けたように肩を落としたし、ノヴァも「ごはん……」と呟いて鼻をすすった。

 お腹が減るとイライラするよね。うん、それだ。ご飯を食べよう。


「そんな時間か。食事にしよう」


 ニゲルが先に部屋を出ていく。わたしも追いかけようとしたら、プルウィアに手首をつかまれた。


「食後に二人で話せる? あたしの部屋に来て」

「……? うん、いいよ」

 

 視線を感じて扉の方を見ると、ニゲルがわたしたちに目を向けている。でも何を言うでもなく、先にダイニングに行ってしまった。


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