04. 雨に愛された龍(1)


 よく晴れていたのに、ポツポツと降り出したかと思えば一気に嵐に変わった。


 強い雨が激しく屋根や窓を叩き、風がごうごうと吹き荒れている。昼間なのに外は暗く、雷はひっきりなしに鳴っていた。


 降り出した雨から逃げるように屋敷に戻ってから、ローテーブルとソファーのある部屋に移動した。ニゲルとノヴァと三人でゆっくりお茶を飲んでいる。

 といっても、のんびりしているのはわたしとニゲルだけだ。


「かみなり、こわい……」

「大丈夫だよ、ノヴァ」


 ノヴァはずっとわたしの膝の上に丸まって震えている。


「今日は荒れに荒れているな……」


 閉じた窓に目を向け、ため息混じりにニゲルが呟く。


「こういう天気は珍しいの?」

「そうだな、最近は機嫌が良かったんだが」

「?」


 天気にも機嫌があるんだ?

 よくわからないけれど、嵐が去るまで外には出られなさそうだ。ノヴァが元気なら屋敷の探検も楽しいだろうけど、今付き合ってもらうのは無理かなあ。


「ノヴァ、――」


 口を開きかけたら、屋敷のどこかでガタンと大きな音が鳴った。


「ひゃっ」


 ビクッと体を震わせたノヴァが、不安そうな顔で周囲を見回す。

 何だろう。見に行くつもりでノヴァを抱いて立ち上がる。するとニゲルがまた大きなため息をついた。


「ステラ、先に謝っておく。妹がすまない」

「どういうこと?」

「妹のプルウィアは、もともと気が強いところがあるんだが、今はすこぶる機嫌が悪いみたいだ」


 さっきニゲルが『プルウィアが帰ってくる』と言っていたのは、妹さんが帰ってくるって意味だったのかな。てっきり雨が降ると言っているのだと思っていた。


「会ってないのに機嫌がわかるの?」


 首を傾げると、またニゲルが窓に目を移す。


「プルウィアは生まれたときから雨に愛されている。彼女の機嫌が良ければ優しい小雨、虫の居所が悪ければ嵐になる。この天気を見れば機嫌の悪さはわかるよ」

「へえー」


 気分で天気を変えてしまうなんて、龍はスケールが違う。

 記憶を失う前のわたしはどう呼んでいたんだろう? プルウィア? プルちゃん? プーちゃんのほうが可愛いかな?


 呼び方に迷っていたら、パタパタと軽い足音が二つ近づいてきた。


「お待ち下さい、プルウィア様、先に説明を」

「うるさいわね! 兄様あにさまの屋敷で案内なんていらないわよ!」

「いえ、そうではなくて――」


 片方の声はマレだ。

 外の雷みたいな大きな音を立てて部屋の戸が開かれる。十二、三歳くらいの女の子が立っていた。


 年下なのに、可愛いというより美人な子だと思った。

 長い水色の髪はうらやましいくらい真っ直ぐで、毛先が腰にかかっている。大きな灰色の瞳の上で釣り上がる眉も細い。さすが兄妹、二人そろって綺麗だ。


「ただいま、兄様あにさま

「ああ、おかえり」


 機嫌が悪くてももちゃんと挨拶はするらしい。いい子だな。わたしも声をかけたほうがいいよね?


「おかえり、えっと……プーちゃん?」

「はあ!?」


 すごい形相で睨まれた。


「意味わかんない呼び方はやめてって言ったでしょ、このちんちくりん! 脳みそまでちっさいわけ!?」

「プーちゃんじゃなかったかあ。じゃあ、プルちゃん?」

「〝ちゃん〟をやめろって言ってるの! 何回言わせるのよ!」


 えー、可愛いと思ったのになあ。

 ちゃん付けがだめなら名前で呼ぶしかないか。ちょっと残念。


「プルウィア、俺も〝ちんちくりん〟は止めなさいと言ったよ」


 ニゲルがそう言ってくれたけれど、ニゲルだって〝おちびさん〟って呼んだじゃない? 自分のことは棚に上げるんだ?

 うん、でも、そうだな。わたしもそこには抗議しておこう。


「そうだよ。わたしのほうが大きいよ」

「は? あたしのほうが年上だし。人間の年齢で言えばもう大人だし」


 また睨まれた。声の一つ一つが刺々しい。

 ニゲルが小さなため息をつき、少し眉を寄せる。


「プルウィア。龍の年齢をそのまま人に当てはめても意味がないだろう。何があったかは知らないが、君の怒りとステラは無関係だろう? なのにステラに八つ当たるのは、君の思う正しい振る舞いかい?」

「……」


 不満げな顔で口を閉じたプルちゃん――あっ、ちゃん付けはだめなんだった――プルウィアが、間を置いてからわたしに目だけ向けてきた。


「……ごめんなさい」

「うん、いいよー。わたしも呼び方を間違えてごめんね」

「で、どうした? いつもより早く帰ってきたみたいだが、何か相談事か?」

「それは」


 何か言いたげに口を開いたプルウィアが、ちらっとわたしを見る。

 あ、お邪魔かな? ニゲルと二人のほうがいいよね。

 廊下で困った顔をしていたマレに視線を送り、ノヴァを抱いて立ち上がる。


「わたし、部屋に戻ってるね」

「あっ、――その」

「?」


 何だろう。

 プルウィアの揺れた目と開いた口に〝待って〟と言われた気がした。


「もしかして、わたしに相談? わたしでよければ何でも言ってね」


 そう言ってみたけれど、プルウィアは黙ってそっぽを向いた。腕組みをして壁を見つめたまま何も言わない。

 しばらく嵐の音が響く中待っていたけれど、


「別に、相談とかじゃないわよ」


 と言って出ていってしまった。

 マレがプルウィアの後ろをぱたぱたと駆けていく。

 廊下の足音が遠ざかってから、ニゲルがわたしを見て頭を下げた。


「ステラ、妹が悪かった。すまない」

「大丈夫だよ。プルウィアはどうしたのかな?」

「さあ。機嫌よく出ていったから、出先で何かあったんだろうが……」


 外は相変わらずの激しい嵐。心なしか雷が減ったような気がしないでもないけれど、ノヴァは相変わらず震えている。


 何か言いたげに見えたし、プルウィアの部屋を訪ねてみようかな?

 ニゲルに聞けば場所はわかるよね。女同士、二人っきりなら何か話してくれないかな。ノヴァは……まあ、連れていってもいっか。置いてけないし。


「ねえニゲル、プルウィアの部屋ってどこ?」

「部屋を出て右に行き、廊下の突き当りを左に曲がった一番奥だ。行ってもいいが、少し待ったほうがいいんじゃないか?」

「うーん、行くだけ行ってみるよ。無理には聞かないけど、困ってるなら早く助けになりたいし」

「そうか、ありがとう」


 ニゲルがふっと笑みを広げたので、わたしもつられて笑う。

 右足を一歩前に出したら、ひときわ大きな雷が落ちた。


「ひゃあっ!!」

「ノヴァ、大丈夫だよ」

「うー、こーわーいー……」

「よしよし、大丈夫大丈夫」


 今の雷、なんだろ?

 ポロポロと涙をこぼし始めたノヴァの背をなでながら窓を見ていると、


「ちょっと、ちんちくりん! 記憶喪失ってどういうこと!?」


 またプルウィアが戻ってきた。


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