03. 忘れられない笑顔 ※ニゲレオス視点
身体を人に似せる魔法を解いて、空へと昇る。
昼間に龍の姿に戻るのは好きではない。
黒一色の体が陽に焼かれて熱いし、光の中に俺という
だが真下に目を移すと俺を見上げるステラの表情がはっきり見える。
これなら明るいのも悪くはないと、簡単に考えを改めてしまう俺はきっと単純なのだろう。
丸い口を開けて俺を見ているステラの目には、明るさだけが理由でない輝きが見て取れた。
驚きと、期待と。
宝物を見つけた子供のような目を俺に向けてくれる人間を、俺はステラ以外に知らない。
〝どんな夜より
〝全てを飲み込んでしまいそうな冷たい影〟
〝夜の中にぽっかり空いた恐ろしい闇〟
そんなふうに表現されることの多い俺の黒を『他のどんな色より綺麗だよ』と、手放しで褒めてくれるのは彼女だけだ。
初めて会ったときから、彼女は他の人間とは違っていた。
一年前、古くからの
ステラは今までの巫女と同じように〝引き合いの祭壇〟で待っていたが、反応だけは正反対だった。
俺が人に姿を変えながら降りていくと、
『ねえっ、もう一回さっきの姿になって!』
そう言って駆け寄ってきた。
これまでの巫女はみな、逃げようとしたり怯えて固まったりしていたというのに。
『俺が怖くないのか?』
『怖い? 別に? そんなことより、もう一度龍になってくれない?』
人の子から龍の姿を請われたのは生まれてはじめてだった。
過去の巫女たちに、恐ろしいからできるだけ人の姿でいてほしいと言われたことならある。
同じ龍ですら俺に怯えるものはいる。
だというのに、目の前の少女は頬を紅潮させ、まばゆい笑みを広げていた。
戸惑いつつも求めに応じると、ステラは両手を上げてその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
『触ってもいい!?』
『あ、ああ、背なら』
近づかないで、触らないで――そう言われたことしかなかったから戸惑った。
しかもためらいも遠慮もなくべたべたと触られ、『ひゃー』とか『わー』とかいう歓声にどう返していいのかわからない。
『ねえ、わたしを乗せて飛べる!? 乗ってみていい!?』
『いや……少し落ち着いてほしい。まずは自己紹介をしよう。俺はニゲレオスだ。君は?』
『わたしはステラだよ。はじめまして!』
その時目にしたステラの笑顔を、俺は一生忘れないだろう。
一点の曇りもない満面の笑み。人間はそんなふうに笑うのだと、俺はステラに会うまで知らなかったから。
巫女になる者は生まれた時から決まっている。
普通の人間にはない、空より澄んだ青色の瞳と強い魔力は、星に選ばれた証だ。
聞いた話では、巫女は生まれた直後から国に預けられ管理されるものらしい。
巫女に何かあっては向こう三十年の作物の収穫に支障がでる。管理方法は国によって違うらしいが、軟禁に近い状態で育てられるものだという。
あえて親兄弟と一緒に育てられた上で、巫女の役割を果たしてこいと人質にとる国すらあると聞く。
そのせいなのか俺に怯えていたのか、俺のもとに来る巫女は笑わない者や口数の少ない者が多かった。
少なくともステラのような、無邪気に庭を走り回る少女は見たことがない。
下に向けていた視線を少しずらすと、屋敷から離れた場所に立つ小屋が目に入った。
巫女には一年半、月に一度の儀式に付き合ってもらう必要があったので、巫女を住まわせるために建てたものだ。
ステラのことも初めは離れに案内したが、暮らし始めて二日目には、
『お屋敷の部屋はこんなに空いているのに、どうしてわたしだけ離れなの? わたしもこっちがいいよ』
と言って屋敷に居着いてしまった。
今までの巫女は屋敷に来たがらなかったのだという話をしても、きょとんと首をかしげるだけで。
マレとオルドも初めは人に化けてステラと接していたが、一週間もしない間にやめてしまった。
『龍の姿のほうが可愛いと言われてしまいましたし……ねえ、あなた?』
『はい。人に化ける意味を微塵も感じられないのでやめます』
不思議な子だ。
周りに龍しかいない暮らしに一瞬で馴染み、ノヴァともすぐに仲良くなって屋敷を明るい笑い声で満たした。
ノヴァのいたずらをステラが喜々として手伝うので、たまに――いや、そこそこ頻繁に困りはするのだが。
向けられる純粋な好意に。
彼女とのあたたかな日々に。
戸惑いが愛しさに変わるのに、そう時間はかからなかった。
「……?」
何かが強く光り、森に目を向ける。水場のないあたりだ。自然の反射より固く鋭い光だった。
木々に隠れてよく見えないが、おそらく人間がいるのだろう。
巫女が屋敷にいるのは一年半。
その間、周囲の森を人間がうろつくことは珍しくない。
これまで人間が接触して来ることはなかったから、巫女の警護か、巫女が逃げ出さないよう見張っているか、そんなところだろうと思っていた。
だが少なくとも今回は違うらしい。
これ以上何かある前にと、森から出ていけという警告はした。だがまだうろついているということは、多少手荒にしてでもどうにかしなければいけないだろうか。
白い神殿に目を移す。三日前の儀式も中止してしまっているし、早めに片付けなければならない。
だが、その前に――
空に昇ったときから気づいてはいたが、あえて見ないようにしていた遠くの雨雲に目を移した。
低く厚い暗雲。雷が光っているのも見える。
雲の下にうねる長細い影が、雨雲とともに急速にこちらに近づいてきていた。
「
まずは彼女の対応が先になりそうだ。雨が降るから洗濯物を片付けてくれとマレにも頼まなければ。
屋敷に体を当ててしまわぬよう、小さくなりながら地上へと降りる。
駆け寄ってきたステラが声を弾ませた。
「ねえっ、触ってもいい? 乗ってもいい? わたしを乗せて飛べる!?」
彼女の言葉が、表情が、忘れられない思い出と笑顔に重なる。記憶喪失を告げられた直後は不安に思ったが、何を忘れても彼女は彼女なのだと、改めて安堵を覚えた。
「……ああ、どこでも好きに触っていい。だが、雨雲が近づいてきたから少しだけだよ。飛ぶのは今度だ」
「うん!」
「ところで、マレ。プルウィアが帰ってくる」
「まあ大変! 洗濯物を片付けなくては!」
慌てて洗濯物を片付け始めるマレと、それを手伝っているのか邪魔しているのかわからないノヴァを視界の端に映す。
「ニゲルの体は本当に綺麗だね」
「褒めてくれてどうもありがとう」
ステラの細い指先が俺の背をなぞる。くすぐったさと心地よさ。ぽつぽつと小雨が降り出すまで、静かにそれを感じていた。
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