02. 巫女の役割(2)



「ステラさま、おはよー」


 わたしめがけて飛んできた龍は、マレと同じ深い青色をしていた。

 大きさはわたしの手を開いたくらい。マレやオルドに比べるとずいぶん小さな龍だ。


 さっきニゲルが名前を挙げていた子かな?


「おはよう。君が新しいノヴァ?」

「のあー」


 ノヴァはわたしの肩にちょんと乗ると、頭をわたしの頬にすりつけてくる。指で頭をなでてみると、気持ちよさそうにクルルと鳴いた。


「ステラ、ノヴァはマレが産んだ卵からかえった子で、まだ二歳になったばかりだ。二人で好きに遊んで構わないが、書庫の奥と森には行かないように」

「どうして?」


「森には武器を持った人間がうろついている。屋敷には俺が結界を張っているから入ってこられないが、安全なのは庭までだ。書庫の奥にも不用意に触れると危険なものを保管しているから、勝手に入らないように」

「はーい」


 森にいる人間って誰だろう。山賊さん?

 書庫の奥も気になる。

 わたしの記憶喪失と何か関係があるのかな?


「ねえ、ニゲル――あっ!」


 わたしがぼんやりしている間に、ニゲルはさっさと行ってしまった。

 食事中にプロポーズのことを聞きすぎたかもしれないけど、置いていかなくてもいいのに!


 ニゲルが逃げた。……シャレかな?


「ステラさま、あしょぼー」

「あ、ごめんね。何して遊ぶ?」

「んー、こしょこしょしてー」

「こう?」


 ノヴァのお腹をくすぐると、「キャハハ」と笑いながら天井近くまで勢いよく飛んでいった。

 そしてわたしの肩に戻ってくると「もいっかーい」と楽しげに言う。


 くすぐってはノヴァが飛び上がり、戻ってくる――というのを何度も繰り返していたら、勢いよく飛び上がったノヴァが天井にぶつかった。


「ノヴァ、大丈夫!?」

「うー」


 少しふらついたノヴァが、わたしの胸の前まで降りてくる。だっこしてあげるとノヴァはわたしの腕に座り、両手で頭を押さえた。


「いたかった……」


 小さな目に、あふれそうなほどの涙をためている。痛がっているのを笑っちゃいけないんだけど、自滅してしゅんとした姿が可愛くて、つい口元がゆるんでしまった。


「うん、痛かったね。天井にぶつかると危ないから、外で遊ぼうか?」

「おそと、いく!」


 泣きべそがぱあっと笑顔に変わる。でもまたしゅんとして、


「しんでん、こわい……」


 わたしの服をぎゅうとつかんだ。

 しんでん、って何だろう。寝殿? 神殿?

 わからないけれど、どのみち出ていいと言われたのは庭までだ。


「〝しんでん〟は行かないよ。お屋敷の庭に出るだけ。どうする? 行く?」

「おにわ、いくー!」


 屋敷の出入り口がわからなかったので、ノヴァについて外に出る。

 ノヴァが教えてくれたのは正面玄関ではなく、たぶん使用人が使う勝手口。屋敷の裏庭ではマレが洗濯物を干していた。


 開けた平地に、物干し竿が並べてある。白いシーツやカーテンがたくさん干されて揺れていた。

 白い布の向こうには深そうな森が見える。


「ママー!」


 ノヴァが甘えた声を上げ、一目散に飛んでいく。

 やわらかい笑顔で振り返ったマレは、手を止めて抱きついてきたノヴァの頭をなでた。


「どうしたの?」

「のあね、いたいいたいした」

「あらそう、痛かったのね」

「ぴょんしたらね、ごっちんしたの」


 ノヴァは屋敷を指さしたり、頭を押さえたり、身振り手振りで一生懸命に説明している。にこにこ笑顔で聞いていたマレは、ときおり「頭ねー」「痛かったのね」と優しい声で相づちを打ちながらノヴァの頭をなでていた。


「ステラ様、ノヴァと遊んでくださってありがとうございます」

「いいよ。そういえばマレ、わたしの仕事は何かないの?」

「ステラ様のお役目ですか? それは……」


 頬に手を当てたマレが、困ったように眉尻を下げる。でもノヴァは笑顔でわたしの前まで飛んできた。


「ステラさま、みこ!」

「巫女? 巫女って、何をする人?」

「んー、わかんないっ」


 満面の笑みできっぱり言われると、「そっかあ」という返事と笑顔しか出てこない。

 マレに視線を向けてみると、彼女は頬に当てていた手を下ろした。


「巫女とは、龍の王とともに大地に活力をもたらす人間のことです」

「活力ってどういうこと?」

「植物が元気に育つための力といえばいいのでしょうか。作物が豊作であるようにと、龍の王と人の巫女が力を合わせるのです」

「どうやって?」

「さあ……私が知っているのは、儀式が神殿で行われることだけです」

「ふーん?」


 さっきノヴァが言っていた神殿のことかな?

 高く飛び上がったノヴァが「しんでんね、あっちよー!」と教えてくれたけれど、木々に遮られてわたしからは何も見えない。

 試しに森の入口に近づいてみる。


「ステラ様、森に入ってはだめですよ!」

「うん、入り口までしか行かないよ」


 屋敷の庭だけは木がなく草も刈られているから、自然そのままの森と庭の境界線がはっきりわかる。

 境界に近づくと、森がゆらっとブレて見えた。


「?」


 手を伸ばすと、見えない壁のようなものがある。

 固くはない。ぐにゃっとやわらかく押し返してくる。

 面白くて何度も触っていたら、ノヴァが肩に乗ってきた。


「ステラさま、でる?」

「ううん、結界があって出られないよ」

「? ステラさま、もりいくよ」

「どういう意味?」

「いくの」

「うん?」


 どうしよう、わからない。

 ノヴァも困り顔でわたしを見ている。

 説明に必要な言葉がわからないのかな。まだ二歳って言ってたもんね。


 助けを求めて振り返ると、マレは干そうとしていた洗濯物をかごに戻してこちらに来てくれた。


「どうされました?」

「ノヴァの話がわからなくて」


 わたしとノヴァの話を聞き、マレは笑顔でうなずく。


「ステラ様はニゲレオス様の結界を解く方法をご存知でしたので、ノヴァはステラ様なら出られると言いたかったのではないかと。ね、ノヴァ」

「うん」

「なるほどー!」


 へえ。記憶を失う前のわたしが結界を解けたなら、今のわたしにもできるんじゃないかな?

 試しにあちこちつついていたら、わたしを見ていたノヴァが笑顔になった。


「のあも、ぽよんぽよんできるよ!」


 ノヴァはふわっと飛び上がり、見えない壁に体当たりをする。ぽよんと押し返されて、「きゃはは!」と明るい声を上げた。


 いいなあ、楽しそう。

 よし、わたしもやーろうっと!


 勢いをつけるために一歩後ろに下がったら、マレがジト目になった。


「ステラ様、危ないのでだめですよ」

「えー」

「えー、じゃありません。事故で結界を解かれても困りますので、やめてください」

「……ちぇー」


 遊びたかったのに。

 それに森も気になるなあ。

 武器を持った人がいるって言ってたけれど、手入れされてない森を歩くのも楽しそう。

 とはいえ今のわたしには開けられなさそうだ。


 諦めて、マレに笑顔を向けてみる。


「ところでさ、プロポーズがどうだったのか、ニゲルが教えてくれないんだけど」

「えっ!? えーと、それを私から申し上げるのはちょっと……」

「ねえねえ、教えてよー」

「そ、そんな可愛らしい顔でウルウルなさってもだめです」

「えー」


 じいっとマレを見つめる。

 じー、じぃー、じぃぃぃいー。


 困り顔でじりじりと後ずさったマレは、はっとした顔をして手を叩いた。



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